金沢からの帰り道、やはり昔の街並みを残して沢山の観光客を呼び寄せている、飛騨高山へ寄ってきました。
その名も「古い街並み」。
やはり電線は地中化されていて、すっきりした街並みです。
ここもまた、外国からのお客様が沢山歩いており、興味深そうにお店の一軒一軒を覗いています。
歯医者さんの建物も、昔のままなんでしょうが、営業してるんですよね?きっと。 →
← 産婦人科のお医者さんも、こんな味わい深い佇まいです。
「国選定重要伝統的建造物群保存地区」ですから当然ですが、仮に近代的な建物を建てたとしても、この町には不似合いで下品に映るでしょう。
寄り道ついでに、「飛騨民俗村」へも寄ってきました。
ここは室町時代、松倉山に築かれた三木自綱(よりつな)の居城・松倉城の城下町だったそうです。
松倉城は、天正十三年(1585)に秀吉の命令を受けた金森長近に攻め滅ぼされますが、天正十六年(1588)に長近が飛騨高山に高山城を築城すると、松倉城下の商人たちはみな高山城下に移り住みます。
そこが現在の高山市内「古い街並み」地区です。
ちょうど、箕輪と高崎の関係によく似ていますね。
市の名前も、高山、高崎とよく似てますが、その街並みは、時を経て全く趣きを異にしています。
「飛騨民俗村」には、昭和三十年(1955)から四十年代の高度成長期に、ダム建設や過疎化により消滅しようとしていた、合掌造りなどの古民家30軒が移築・保存されています。
大切に保存されているのは、建物だけではありません。
8000点にも及ぶ民具、今なお囲炉裏に火を入れて建物を維持する、榑(くれ)板や茅で屋根を葺く・・・、日本古来の自然を巧みに利用する知恵と技術も残されています。
その知恵と技術を継承するために、解説員が常駐し、染色、陶芸、彫刻などの作家が工芸村に居住し、訪れる人たちに体験教室を開いています。
「飛騨民俗村の使命」は、私たちが決して忘れてはならない「誇るべき日本と日本人の使命」でもあります。
ここにもまた、外国人観光客の姿が目立ちます。
ここのような、日本らしい日本を見たいという外国人が多いということなのでしょうね。
姿あるものだけでなく、禅や茶の湯、書道、武道などの日本古来の精神文化に、興味と尊敬の念を持つ外国人も多いと聞きます。
日本はかつて、「日本列島改造」によって高度経済成長を遂げてきましたが、同時に「良き日本文化」まで改造してしまった感があります。
これから観光立国日本として取り組むべきは、「日本列島復元」と「日本文化再生」かも知れません。
それは、日本に生まれ、日本で育った者でなければできません。
他の国の人に、日本の行く末を決めてもらうことはできません。
いや、決してそれをしてはなりません。
さて、大きな話になってしまいましたが、高崎市民としては、まず高崎から復元していきたいと思います。
明日からまた、復元したい昔の高崎を探し歩くことに致しましょう。
その名も「古い街並み」。
やはり電線は地中化されていて、すっきりした街並みです。
ここもまた、外国からのお客様が沢山歩いており、興味深そうにお店の一軒一軒を覗いています。
歯医者さんの建物も、昔のままなんでしょうが、営業してるんですよね?きっと。 →
← 産婦人科のお医者さんも、こんな味わい深い佇まいです。
「国選定重要伝統的建造物群保存地区」ですから当然ですが、仮に近代的な建物を建てたとしても、この町には不似合いで下品に映るでしょう。
寄り道ついでに、「飛騨民俗村」へも寄ってきました。
ここは室町時代、松倉山に築かれた三木自綱(よりつな)の居城・松倉城の城下町だったそうです。
松倉城は、天正十三年(1585)に秀吉の命令を受けた金森長近に攻め滅ぼされますが、天正十六年(1588)に長近が飛騨高山に高山城を築城すると、松倉城下の商人たちはみな高山城下に移り住みます。
そこが現在の高山市内「古い街並み」地区です。
ちょうど、箕輪と高崎の関係によく似ていますね。
市の名前も、高山、高崎とよく似てますが、その街並みは、時を経て全く趣きを異にしています。
「飛騨民俗村」には、昭和三十年(1955)から四十年代の高度成長期に、ダム建設や過疎化により消滅しようとしていた、合掌造りなどの古民家30軒が移築・保存されています。
大切に保存されているのは、建物だけではありません。
8000点にも及ぶ民具、今なお囲炉裏に火を入れて建物を維持する、榑(くれ)板や茅で屋根を葺く・・・、日本古来の自然を巧みに利用する知恵と技術も残されています。
その知恵と技術を継承するために、解説員が常駐し、染色、陶芸、彫刻などの作家が工芸村に居住し、訪れる人たちに体験教室を開いています。
「飛騨民俗村の使命」は、私たちが決して忘れてはならない「誇るべき日本と日本人の使命」でもあります。
ここにもまた、外国人観光客の姿が目立ちます。
ここのような、日本らしい日本を見たいという外国人が多いということなのでしょうね。
姿あるものだけでなく、禅や茶の湯、書道、武道などの日本古来の精神文化に、興味と尊敬の念を持つ外国人も多いと聞きます。
日本はかつて、「日本列島改造」によって高度経済成長を遂げてきましたが、同時に「良き日本文化」まで改造してしまった感があります。
これから観光立国日本として取り組むべきは、「日本列島復元」と「日本文化再生」かも知れません。
それは、日本に生まれ、日本で育った者でなければできません。
他の国の人に、日本の行く末を決めてもらうことはできません。
いや、決してそれをしてはなりません。
さて、大きな話になってしまいましたが、高崎市民としては、まず高崎から復元していきたいと思います。
明日からまた、復元したい昔の高崎を探し歩くことに致しましょう。