金沢城は、現在なお築城が続いています。
金沢城は、明治十四年(1881)の 火災により、石川門と三十間長屋と鶴丸倉庫を残して焼失してしまいますが、平成十一年(1999)から復元工事に着手しました。
そして、平成十三年(2001)には、第1期工事として菱櫓・橋爪門・橋爪門続櫓・五十間長屋を復元完了させています。
現在は、第2期工事として河北門の復元、さらに石川門の保存修理、橋爪門二の門の復元整備、いもり堀の段階復元などが計画されているそうです。
明治維新後の金沢城と高崎城は、明治六年(1873)に発布された「全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方」により、共に「存城処分」となっています。
ただ、「存城」とはいっても城郭などの建造物を残すという意味ではなく、「陸軍施設として使いなさい」ということだったのが、高崎にとっては残念な結果となりました。
金沢城には、陸軍第9師団司令部が置かれました。
写真奥の石垣を見ると、ぽっかり穴があいているのが分かります。
これは、陸軍が石垣を改造して穴をあけたもので、おそらく火薬庫か何かに使用したのでしょう。
それでも、金沢城の城郭は取り壊すことなく、焼失するまでは残されていた訳です。
片や高崎城には歩兵第15連隊が置かれましたが、土塁と堀だけ残して、あとは見事なまでに取り壊してしまいました。
裕福な百万石加賀藩と、逼迫財政の八万石高崎藩の違いとあれば、如何ともしがたいものでしょうが、残念なことではあります。
金沢城の復元ができたのは、図面がきちんと残っていたためと言われますが、その意味では高崎城の図面も相当程度残っているようです。
折角、金沢市と友好交流都市協定を結んだ高崎市ですから、できれば高崎城も復元できないものかと思います。
両市の平成21年度一般会計予算額は、金沢:1530億円、高崎:1347億円です。
加賀藩と高崎藩ほどの違いはありません。
金沢と高崎は、規模の差こそあれ似通った歴史を持っています。
加賀藩は、参勤交代で必ず高崎に立ち寄っています。
倉賀野には、加賀の飛脚を祀った「梅乃木大神」もあります。
2014年には、北陸新幹線の延伸によって金沢・高崎間は1時間半で結ばれます。
今、国内や国外から金沢市を訪れている沢山の観光客に、高崎まで足を延ばして頂くためには、高崎はどんな町であればよいのでしょう。
造れませんか?高崎城。
金沢城は、明治十四年(1881)の 火災により、石川門と三十間長屋と鶴丸倉庫を残して焼失してしまいますが、平成十一年(1999)から復元工事に着手しました。
そして、平成十三年(2001)には、第1期工事として菱櫓・橋爪門・橋爪門続櫓・五十間長屋を復元完了させています。
現在は、第2期工事として河北門の復元、さらに石川門の保存修理、橋爪門二の門の復元整備、いもり堀の段階復元などが計画されているそうです。
明治維新後の金沢城と高崎城は、明治六年(1873)に発布された「全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方」により、共に「存城処分」となっています。
ただ、「存城」とはいっても城郭などの建造物を残すという意味ではなく、「陸軍施設として使いなさい」ということだったのが、高崎にとっては残念な結果となりました。
金沢城には、陸軍第9師団司令部が置かれました。
写真奥の石垣を見ると、ぽっかり穴があいているのが分かります。
これは、陸軍が石垣を改造して穴をあけたもので、おそらく火薬庫か何かに使用したのでしょう。
それでも、金沢城の城郭は取り壊すことなく、焼失するまでは残されていた訳です。
片や高崎城には歩兵第15連隊が置かれましたが、土塁と堀だけ残して、あとは見事なまでに取り壊してしまいました。
裕福な百万石加賀藩と、逼迫財政の八万石高崎藩の違いとあれば、如何ともしがたいものでしょうが、残念なことではあります。
金沢城の復元ができたのは、図面がきちんと残っていたためと言われますが、その意味では高崎城の図面も相当程度残っているようです。
折角、金沢市と友好交流都市協定を結んだ高崎市ですから、できれば高崎城も復元できないものかと思います。
両市の平成21年度一般会計予算額は、金沢:1530億円、高崎:1347億円です。
加賀藩と高崎藩ほどの違いはありません。
金沢と高崎は、規模の差こそあれ似通った歴史を持っています。
加賀藩は、参勤交代で必ず高崎に立ち寄っています。
倉賀野には、加賀の飛脚を祀った「梅乃木大神」もあります。
2014年には、北陸新幹線の延伸によって金沢・高崎間は1時間半で結ばれます。
今、国内や国外から金沢市を訪れている沢山の観光客に、高崎まで足を延ばして頂くためには、高崎はどんな町であればよいのでしょう。
造れませんか?高崎城。