昨日、高崎市歴史民俗資料館主催の「五万石騒動史跡巡り 中居地区編」に参加してきました。
写真中央のメガホンを持っている方がこの日の講師、高崎市史編纂専門委員の中村茂先生です。
40人ほどの参加者は、やはり中高年層で占められます。
「五万石騒動スイーツ巡り!」とでもすれば、若い方も参加してくれるのでしょうが・・・。
歩いている途中、ここ数日間気になっていた、丸茂元次郎が正しいのか、丸茂元治郎が正しいのか、資料館員の方にそっと聞いてみました。
お答えは、
「昔の人は、音(おん)が合っていれば、字は気にしなかったようです。」ということでした。
うーん、確かに歴史上の人物でもいろいろな文字を当てています。
念のため、元治郎の墓地で中村先生にも同じ質問をそっとしてみました。
お答えは全く同じでした。
字はどちらでもよかったんですね。
昔の人のおおらかさに比べ、数日間も小さなことにこだわっていた自分を笑っちゃいました。
今回の史跡巡りで最大の収穫は、
上中居の諏訪神社に伝わる伝説の「抜け縄」を見られたことです。
「抜け縄」については、以前このブログの「ひいらぎさま」で紹介していますが、一度実物を見てみたいと思っていたのです。
今日は、この伝説をもう少し詳しくご紹介しましょう。
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第二総代となった丸茂元次郎は、常日頃より諏訪神社のお稲荷様を厚く信奉していました。
2回目の訴願のために密かに上京した元次郎は、捕り手の目を欺くために玩具の行商人を装っていました。
ある日、急に眠気がさして道端でうとうとしていると、いつの間にか捕り手に囲まれて、縄を打たれてしまいます。
思わず、「うわぁーーーーっ!」と大声を上げた途端に目が覚めて、辺りを見回すと何事もありません。
この夢を不思議と思った元次郎は、国元の父に夢の次第を知らせました。
父は、きっと諏訪神社のお稲荷様が、息子が災難に逢わぬように夢で知らせてくれたのだろうと、早速お稲荷様に御礼を言いに行き、神官の堤氏にもこのことを話しました。
それを聞いた堤氏も驚きます。
同じ晩、堤氏のところに、元次郎が捕われたことを知らせに東京の若者が来たというのです。
ところが、それも夢だったのです。
不思議なこともあるものだと言いながら、二人がお稲荷様へ行ってみると、拝殿の真ん中に、ちょうど人が縛られた縄を抜け出たような形で、縄が置いてあったといいます。
そこで村人達が集まって、お稲荷様にその神意を聞くために祈りますと、こう言ったそうです。
「・・・日頃我を信仰しているのでヤピッコを遣い、
元次郎の身代わりにたたせ捕縛されたままここまできて、
神殿において縄抜けをさせた。」
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一度はお稲荷様に身代わりになってもらって捕縛を逃れ、訴願の責務も果たした元次郎ですが、そこでついに囚われの身となります。
しかし、お稲荷様のご加護は続いたのでしょう。
獄死することもなく刑期を終え、72歳の天寿を全うすることができました。
それにしても、科学的にはあり得ないと思われる「抜け縄」の話ですが、昔の人にとっては、嘘か真かはどちらでもよかったのでしょう。
そんな昔の人のおおらかな心、現代にも必要かもしれませんね。
写真中央のメガホンを持っている方がこの日の講師、高崎市史編纂専門委員の中村茂先生です。
40人ほどの参加者は、やはり中高年層で占められます。
「五万石騒動スイーツ巡り!」とでもすれば、若い方も参加してくれるのでしょうが・・・。
歩いている途中、ここ数日間気になっていた、丸茂元次郎が正しいのか、丸茂元治郎が正しいのか、資料館員の方にそっと聞いてみました。
お答えは、
「昔の人は、音(おん)が合っていれば、字は気にしなかったようです。」ということでした。
うーん、確かに歴史上の人物でもいろいろな文字を当てています。
念のため、元治郎の墓地で中村先生にも同じ質問をそっとしてみました。
お答えは全く同じでした。
字はどちらでもよかったんですね。
昔の人のおおらかさに比べ、数日間も小さなことにこだわっていた自分を笑っちゃいました。
今回の史跡巡りで最大の収穫は、
上中居の諏訪神社に伝わる伝説の「抜け縄」を見られたことです。
「抜け縄」については、以前このブログの「ひいらぎさま」で紹介していますが、一度実物を見てみたいと思っていたのです。
今日は、この伝説をもう少し詳しくご紹介しましょう。
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第二総代となった丸茂元次郎は、常日頃より諏訪神社のお稲荷様を厚く信奉していました。
2回目の訴願のために密かに上京した元次郎は、捕り手の目を欺くために玩具の行商人を装っていました。
ある日、急に眠気がさして道端でうとうとしていると、いつの間にか捕り手に囲まれて、縄を打たれてしまいます。
思わず、「うわぁーーーーっ!」と大声を上げた途端に目が覚めて、辺りを見回すと何事もありません。
この夢を不思議と思った元次郎は、国元の父に夢の次第を知らせました。
父は、きっと諏訪神社のお稲荷様が、息子が災難に逢わぬように夢で知らせてくれたのだろうと、早速お稲荷様に御礼を言いに行き、神官の堤氏にもこのことを話しました。
それを聞いた堤氏も驚きます。
同じ晩、堤氏のところに、元次郎が捕われたことを知らせに東京の若者が来たというのです。
ところが、それも夢だったのです。
不思議なこともあるものだと言いながら、二人がお稲荷様へ行ってみると、拝殿の真ん中に、ちょうど人が縛られた縄を抜け出たような形で、縄が置いてあったといいます。
そこで村人達が集まって、お稲荷様にその神意を聞くために祈りますと、こう言ったそうです。
「・・・日頃我を信仰しているのでヤピッコを遣い、
元次郎の身代わりにたたせ捕縛されたままここまできて、
神殿において縄抜けをさせた。」
(細野格城著・佐藤行男氏訳「高崎五万石騒動」より)
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一度はお稲荷様に身代わりになってもらって捕縛を逃れ、訴願の責務も果たした元次郎ですが、そこでついに囚われの身となります。
しかし、お稲荷様のご加護は続いたのでしょう。
獄死することもなく刑期を終え、72歳の天寿を全うすることができました。
それにしても、科学的にはあり得ないと思われる「抜け縄」の話ですが、昔の人にとっては、嘘か真かはどちらでもよかったのでしょう。
そんな昔の人のおおらかな心、現代にも必要かもしれませんね。