「我峰八幡神社」から北へ300m、「長野堰」の水が新白川の下を潜って出てきた所に「棗原(なつめはら)稲荷神社」があります。
史跡看板の内容は、至極あっさりしたもので。
これ以上の情報を見つけることはできませんでしたが、この辺一帯は発掘調査が行われ「棗原遺跡」と呼ばれているようです。
発掘の結果、昔から人々が生活していたことが分かります。
「棗原」という名の通り、参道には今も棗の木が何本かあり、地面には実がたくさん落ちていました。
昔はきっと沢山の棗の木が自然群生していたか、もしかすると栽培されていたのかも知れません。
「桃・栗三年、柿八年、棗はその年カネになる」という言葉もあるらしいですから。
花は6月頃咲くそうです。
その時期にまた訪れてみたいと思いました。
史跡看板の内容は、至極あっさりしたもので。
これ以上の情報を見つけることはできませんでしたが、この辺一帯は発掘調査が行われ「棗原遺跡」と呼ばれているようです。
発掘の結果、昔から人々が生活していたことが分かります。
「 | 浅間B軽石下水田跡・畠跡や平安時代の住居跡が発見されている。 |
中世の遺構は、浅間B軽石下畠跡を切るピット(小さな穴、細い穴)群がある。 | |
44個発見されたピットは、径30cm、深さ40~45cmで、ほぼ円形である。 | |
これ等のピットは直線的な列として、また平行に並んでおり、単なるピット群でなく、掘立柱建物群になる可能性も残されている。」 |
(新編高崎市史資料編3)
「棗原」という名の通り、参道には今も棗の木が何本かあり、地面には実がたくさん落ちていました。
昔はきっと沢山の棗の木が自然群生していたか、もしかすると栽培されていたのかも知れません。
「桃・栗三年、柿八年、棗はその年カネになる」という言葉もあるらしいですから。
花は6月頃咲くそうです。
その時期にまた訪れてみたいと思いました。
【棗原稲荷神社】