前橋のエキータで開催されている「ホロコースト展」を見てきました。
沢山の人が見に来ていることに、まず驚きました。
説明パネルも沢山展示されていて、一枚一枚のパネルの説明文の多さにも驚きました。
来ていた人もみな、その説明文を熱心に読んでいました。
私は、入ってすぐのパネルの文章に深く共感を覚えました。
ホロコーストを煽動したヒトラーという人物は勿論とんでもない人物ですが、彼一人ではあれだけのことはできなかった訳で。
彼の周囲には、彼を煽動した者もいれば、積極的であれ消極的であれ彼に同調した大勢の市民がいた訳で。
そう考えると、彼は実は冷酷残忍な「ヒトラー」という人物を演じていただけで、演じさせたのは彼に支配されていたように見える「市民」ではなかったのかと。
「命のビザ」を発行して迫害されるユダヤ人を救った、杉原千畝の勇気を嚙み締めたい。
当今、やたらと「○○ファースト」という言葉が流行っていますが、どこか自分本位で、「○○以外は二の次」という、ともすれば差別につながりかねないような言葉にも聞こえ、私は大嫌いな言葉です。
でも、同じ「○○ファースト」でも、千畝の言う「人道・博愛精神ファースト」は素直に心に入ってきます。
「ホロコースト展」、10月22日(日)まで。
沢山の人が見に来ていることに、まず驚きました。
説明パネルも沢山展示されていて、一枚一枚のパネルの説明文の多さにも驚きました。
来ていた人もみな、その説明文を熱心に読んでいました。
私は、入ってすぐのパネルの文章に深く共感を覚えました。
「忘れない勇気」 | ||
本展は、1933年にヒトラーが権力の座に就いてから始まった、ナチス・ドイツによる反ユダヤ人政策の歴史をたどるものである。 | ||
1945年に第二次世界大戦が終結するまでに約600万人のユダヤ人が殺害され、史上最悪の大虐殺となった。 | ||
ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党の略語がNazis)の人種憎悪政策は、憎しみを煽る宣伝から大量虐殺へと容赦なく移行した。 | ||
ホロコーストという途方もないほど無慈悲で残忍な、そして冷酷かつ組織的で機械的な大量虐殺は、類を見ない。 | ||
だが、ホロコーストの根本的な原因は特別なものではない。 | ||
人種憎悪、人間の心理的、精神的な弱点、無実の者への迫害に対する普通の人間の間接的な関与は、おぞましくはあるが、身近なことでもある。 | ||
したがって我々は、それがどんなに心を乱すとしても、ホロコーストのことを忘れない勇気を持ち、学び続けていかなければならない。 | ||
将来、このような憎悪を二度と起こさないために大切なのは、一人一人が知識と道徳心を身につけることである。 |
ホロコーストを煽動したヒトラーという人物は勿論とんでもない人物ですが、彼一人ではあれだけのことはできなかった訳で。
彼の周囲には、彼を煽動した者もいれば、積極的であれ消極的であれ彼に同調した大勢の市民がいた訳で。
そう考えると、彼は実は冷酷残忍な「ヒトラー」という人物を演じていただけで、演じさせたのは彼に支配されていたように見える「市民」ではなかったのかと。
「命のビザ」を発行して迫害されるユダヤ人を救った、杉原千畝の勇気を嚙み締めたい。
「 | 最初の回訓(外国に駐在する外交官が指示を仰いだ事項に対する、本国政府の回答の訓令)を受理した日は、一晩中私は考えた。考え尽くした。 |
回訓を文字どおり民衆に伝えれば、そしてその通り実行すれば、私は本省に対し従順であるとして、ほめられこそすれと考えた。 | |
かりに当事者が私でなく他の誰かであったとすれば、恐らく、その百人が百人、東京の回訓通りビザ拒否の道を選んだだろう。 | |
それは何よりも、文官服務規程および何条かの違反に対する昇進停止、ないし馘首が恐ろしいからである。 | |
私も、何をかくそう、回訓を受けた日、一晩中考えた・・・。 | |
(略) | |
苦慮、煩悶の揚句、私はついに人道・博愛精神第一という結論を得た。 | |
私は、何も恐るることなく、職を賭して、忠実にこれを実行し了えたと、今も確信している。」 |
(杉原千畝晩年の回想より)
当今、やたらと「○○ファースト」という言葉が流行っていますが、どこか自分本位で、「○○以外は二の次」という、ともすれば差別につながりかねないような言葉にも聞こえ、私は大嫌いな言葉です。
でも、同じ「○○ファースト」でも、千畝の言う「人道・博愛精神ファースト」は素直に心に入ってきます。
「ホロコースト展」、10月22日(日)まで。