29年前の「高崎市観音山観光診断に基づく提案レポート」の話、第三話。
レポートでは、観音山の観光客数減少についてこのように指摘している。
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本来、観音像というものは、信仰の対象であって、物見遊山の対象物ではないのかも知れぬ。
しかし、もし、この白衣観音像を仮に物見遊山の対象物とすれば、そろそろ過去のものになってきたがゆえに、客数減少を見せているといえるかもしれぬ。
もっと極端な表現をするならば、そのスケールの大きさについても、現代人にはさほど驚異的なものではないし、頂上からの鳥瞰にしてもこれまた高層ビルや飛行機が一般化している今、それほど珍しいものではない。
それゆえ、訪れた人々には驚きも何も感じずに、むしろ「な~んだ、この程度のものか」的な感じを抱いて戻っていくのではないかと考えるのである。
いわば、「もう一度訪れてみよう」というリピーターが、ほとんど期待できぬということになる訳である。
これは、「観光要素」としてはまことに致命的なものである。
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(団体バスで訪れ20~30分で参拝して帰るという、物見遊山の対象から脱皮させるために、レポートでは「宿泊観光地化」の提案をしている。)
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今のところ、慈眼院、一路堂、白衣観音像は別々の存在にしか訪れる人々は感じまい。
やはり、観音像を参拝した後、慈眼院を訪れ本尊観音像に祈りをささげ、そして一路堂で馬場一路居士の遺墨に触れ、その庭園のたたづまいの中に憩う、その体験は感激的であるという環境づくりを行うべきであろう。
(上に出てくる「一路堂」をご存知ない方も多いかも知れない。
それもそのはずで、今は一般に開放されていない。馬場一路遺墨の展示もされていないと聞く。
入口の門は、ことによると目にしているかもしれない。
井上保三郎氏銅像に向かって左にある木戸がそうである。
「一路堂」はこの木戸を潜って中に入り、石段を降りたところにあるが、この木戸も今は鍵が掛かっていて入れない。
残念である。)
さらに、房(慈眼院)に一泊し、周辺の土産店街を散策し一夜を送る、というコースづくりも決して夢ではあるまい。
その時観音山から眺めた高崎の夜景、ここに山頂よりの景観が初めて「観光要素」として生きてくるのではあるまいか。
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(さらに、「宿泊観光地化」のツールとして「民宿」の経営を提案している。)
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土産店の内の何店かが、「民宿」的宿泊を行わせ得る可能性もあると考える。
「民宿」は時には、観光旅館以上の魅力を観光者に与え得ると思う。
いわば、旅館やホテルにありがちなまことに味気ない、時には慣れ過ぎた応対ではなく、素朴な人と人との触れ合い、語り合いが行われるところに、多くの人々を惹きつける魅力があるのである。
もし、観音山がこうした意味での素朴な民宿地帯になり得たら、そして団体バスの運んでくる瞬間的滞在客依存から脱皮し得たら、その効果は計りしれぬものがあろう。
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(そして、「民宿」化成功のアイデアを、なんと140項目も挙げているのである。
2、3拾ってみよう。)
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・民宿村入口に、村長の歓迎の言葉を掲示する。
・一年ごとに、有名人・文化人を民宿村村長に推薦し、ニュース価値を高める。
・交通機関として、馬または馬車などを起用し、民宿ムードを高める。
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この、溢れるようなアイデアの豊富さと柔軟な思考力を、現代高崎の企画者にも求めたいところである。
次回の第四話では、「観音山の土産店」への提案をご紹介する。
レポートでは、観音山の観光客数減少についてこのように指摘している。
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本来、観音像というものは、信仰の対象であって、物見遊山の対象物ではないのかも知れぬ。
しかし、もし、この白衣観音像を仮に物見遊山の対象物とすれば、そろそろ過去のものになってきたがゆえに、客数減少を見せているといえるかもしれぬ。
もっと極端な表現をするならば、そのスケールの大きさについても、現代人にはさほど驚異的なものではないし、頂上からの鳥瞰にしてもこれまた高層ビルや飛行機が一般化している今、それほど珍しいものではない。
それゆえ、訪れた人々には驚きも何も感じずに、むしろ「な~んだ、この程度のものか」的な感じを抱いて戻っていくのではないかと考えるのである。
いわば、「もう一度訪れてみよう」というリピーターが、ほとんど期待できぬということになる訳である。
これは、「観光要素」としてはまことに致命的なものである。
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(団体バスで訪れ20~30分で参拝して帰るという、物見遊山の対象から脱皮させるために、レポートでは「宿泊観光地化」の提案をしている。)
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今のところ、慈眼院、一路堂、白衣観音像は別々の存在にしか訪れる人々は感じまい。
やはり、観音像を参拝した後、慈眼院を訪れ本尊観音像に祈りをささげ、そして一路堂で馬場一路居士の遺墨に触れ、その庭園のたたづまいの中に憩う、その体験は感激的であるという環境づくりを行うべきであろう。
(上に出てくる「一路堂」をご存知ない方も多いかも知れない。
それもそのはずで、今は一般に開放されていない。馬場一路遺墨の展示もされていないと聞く。
入口の門は、ことによると目にしているかもしれない。
井上保三郎氏銅像に向かって左にある木戸がそうである。
「一路堂」はこの木戸を潜って中に入り、石段を降りたところにあるが、この木戸も今は鍵が掛かっていて入れない。
残念である。)
さらに、房(慈眼院)に一泊し、周辺の土産店街を散策し一夜を送る、というコースづくりも決して夢ではあるまい。
その時観音山から眺めた高崎の夜景、ここに山頂よりの景観が初めて「観光要素」として生きてくるのではあるまいか。
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(さらに、「宿泊観光地化」のツールとして「民宿」の経営を提案している。)
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土産店の内の何店かが、「民宿」的宿泊を行わせ得る可能性もあると考える。
「民宿」は時には、観光旅館以上の魅力を観光者に与え得ると思う。
いわば、旅館やホテルにありがちなまことに味気ない、時には慣れ過ぎた応対ではなく、素朴な人と人との触れ合い、語り合いが行われるところに、多くの人々を惹きつける魅力があるのである。
もし、観音山がこうした意味での素朴な民宿地帯になり得たら、そして団体バスの運んでくる瞬間的滞在客依存から脱皮し得たら、その効果は計りしれぬものがあろう。
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(そして、「民宿」化成功のアイデアを、なんと140項目も挙げているのである。
2、3拾ってみよう。)
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・民宿村入口に、村長の歓迎の言葉を掲示する。
・一年ごとに、有名人・文化人を民宿村村長に推薦し、ニュース価値を高める。
・交通機関として、馬または馬車などを起用し、民宿ムードを高める。
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この、溢れるようなアイデアの豊富さと柔軟な思考力を、現代高崎の企画者にも求めたいところである。
次回の第四話では、「観音山の土産店」への提案をご紹介する。