上州テレビ「高崎わたしばなし」で、しみづ農園会長の清水一也さんが、興味あるお話をしています。
清水さんのお話しに出てくる、「大高崎建設論集」がこれです。
今から80年ほど前、関東日日新聞社が高崎市各界の指導者を訪ね、高崎発展のための意見を聞きとって連載をしていました。
その326名からの提言を、昭和六年(1931)に一冊の本にまとめて出版したのが、「大高崎建設論集」です。
「大高崎建設論集」については、過去記事「小さな高崎展 in 高崎図書館(2)」で、ちょこっと触れたことがあります。
高崎市立図書館に収蔵されていますので、ご興味のある方はご覧ください。
「大高崎建設論集」発行から48年経った昭和五十四年(1979)、月刊誌「上州路」7月号(No.62)で、「高崎・街づくりへの提言」という特集を行っています。

座談会に出席した13名の他、市民活動団体や町の店主ら8名の提言を掲載しています。
「上州路」も、高崎市立図書館に収蔵されていますので、ぜひご覧頂きたいと思います。
「大高崎建設論集」、「上州路」の特集、どちらにも高崎市民の高崎を愛する熱い思いを感じます。
その上での、「高崎市に物申す!」という迫力が伝わってきます。
はたして、先人のこの熱い思いと迫力を、高崎市民は今も持ち続けているでしょうか。
高崎市の「第2期中心市街地活性化基本計画素案」では、
「第1期計画に含まれていた本町や柳川町、若松町の一部などを、第2期計画の区域から除外」し、東へ東へと新しい市街地を拡大していこうとしています。
ここに、高崎市民の意見はどのくらい盛り込まれたのでしょうか。
「上州路」特集の座談会において、こんな意見が述べられています。
現代においても、高崎の街づくりを考える市民グループはいくつも活動しています。
しかし、その人達が一堂に会して話し合う場はなく、「高崎市に物申す!」という大きな力にはなっていないように思います。
「ときの高崎市民、この街をつくる。」、そんな誇りある市民の一員になりたいものです。

今から80年ほど前、関東日日新聞社が高崎市各界の指導者を訪ね、高崎発展のための意見を聞きとって連載をしていました。
その326名からの提言を、昭和六年(1931)に一冊の本にまとめて出版したのが、「大高崎建設論集」です。
「大高崎建設論集」については、過去記事「小さな高崎展 in 高崎図書館(2)」で、ちょこっと触れたことがあります。
高崎市立図書館に収蔵されていますので、ご興味のある方はご覧ください。


座談会に出席した13名の他、市民活動団体や町の店主ら8名の提言を掲載しています。
「上州路」も、高崎市立図書館に収蔵されていますので、ぜひご覧頂きたいと思います。
「大高崎建設論集」、「上州路」の特集、どちらにも高崎市民の高崎を愛する熱い思いを感じます。
その上での、「高崎市に物申す!」という迫力が伝わってきます。
はたして、先人のこの熱い思いと迫力を、高崎市民は今も持ち続けているでしょうか。
高崎市の「第2期中心市街地活性化基本計画素案」では、
「第1期計画に含まれていた本町や柳川町、若松町の一部などを、第2期計画の区域から除外」し、東へ東へと新しい市街地を拡大していこうとしています。
ここに、高崎市民の意見はどのくらい盛り込まれたのでしょうか。
「上州路」特集の座談会において、こんな意見が述べられています。
「 | 都市のビジョン策定というものが、上からでなくその地域に住む人たちの中で議論され作られていかなければならないのではないか、そうでないと国のレベルや県のレベルで考えた形でしか、都市開発・街づくりができないと思うんです。 |
高崎市民が主役になって高崎の街づくりを考えるということが非常に大切で、当然私たちがやらねばならぬ時期に来ていると思いますね。 | |
いろんな立場の人たちがいろんな角度から意見を出し、高崎は本来こうあるべきだとか、市はこういうことをやるべきだとか、国はこういうことを援助してくれるべきだという議論がなされなければいかんだろうと思います。 | |
その場合、結論を早急に求めようとしないで、自分の郷土は自分たちでつくるという考え方、そうした意見の交換がなされる場が広がっていくことに、さしあたってはその意義を求めた方がいいと思います。」 | |
(佐藤博 中部名店街振興組合理事長 学陽書房社長) |
現代においても、高崎の街づくりを考える市民グループはいくつも活動しています。
しかし、その人達が一堂に会して話し合う場はなく、「高崎市に物申す!」という大きな力にはなっていないように思います。
「ときの高崎市民、この街をつくる。」、そんな誇りある市民の一員になりたいものです。