2014年01月26日

昭和6年「大高崎建設論集」から考えること

上州テレビ「高崎わたしばなし」で、しみづ農園会長の清水一也さんが、興味あるお話をしています。


昭和6年「大高崎建設論集」から考えること清水さんのお話しに出てくる、「大高崎建設論集」がこれです。

今から80年ほど前、関東日日新聞社が高崎市各界の指導者を訪ね、高崎発展のための意見を聞きとって連載をしていました。
その326名からの提言を、昭和六年(1931)に一冊の本にまとめて出版したのが、「大高崎建設論集」です。

「大高崎建設論集」については、過去記事「小さな高崎展 in 高崎図書館(2)」で、ちょこっと触れたことがあります。
高崎市立図書館に収蔵されていますので、ご興味のある方はご覧ください。

昭和6年「大高崎建設論集」から考えること「大高崎建設論集」発行から48年経った昭和五十四年(1979)、月刊誌「上州路」7月号(No.62)で、「高崎・街づくりへの提言」という特集を行っています。

昭和6年「大高崎建設論集」から考えること





座談会に出席した13名の他、市民活動団体や町の店主ら8名の提言を掲載しています。

「上州路」も、高崎市立図書館に収蔵されていますので、ぜひご覧頂きたいと思います。

「大高崎建設論集」、「上州路」の特集、どちらにも高崎市民高崎を愛する熱い思いを感じます。
その上での、「高崎市に物申す!」という迫力が伝わってきます。
はたして、先人のこの熱い思いと迫力を、高崎市民は今も持ち続けているでしょうか。

高崎市「第2期中心市街地活性化基本計画素案」では、
「第1期計画に含まれていた本町や柳川町、若松町の一部などを、第2期計画の区域から除外」し、東へ東へと新しい市街地を拡大していこうとしています。
ここに、高崎市民の意見はどのくらい盛り込まれたのでしょうか。

「上州路」特集の座談会において、こんな意見が述べられています。
都市のビジョン策定というものが、上からでなくその地域に住む人たちの中で議論され作られていかなければならないのではないか、そうでないと国のレベルや県のレベルで考えた形でしか、都市開発・街づくりができないと思うんです。
高崎市民が主役になって高崎の街づくりを考えるということが非常に大切で、当然私たちがやらねばならぬ時期に来ていると思いますね。
いろんな立場の人たちがいろんな角度から意見を出し、高崎は本来こうあるべきだとか、市はこういうことをやるべきだとか、国はこういうことを援助してくれるべきだという議論がなされなければいかんだろうと思います。
その場合、結論を早急に求めようとしないで、自分の郷土は自分たちでつくるという考え方、そうした意見の交換がなされる場が広がっていくことに、さしあたってはその意義を求めた方がいいと思います。」
(佐藤博 中部名店街振興組合理事長 学陽書房社長)

現代においても、高崎の街づくりを考える市民グループはいくつも活動しています。
しかし、その人達が一堂に会して話し合う場はなく、「高崎市に物申す!」という大きな力にはなっていないように思います。

「ときの高崎市民、この街をつくる。」、そんな誇りある市民の一員になりたいものです。





同じカテゴリー(◆高崎雑感)の記事画像
関東大震災 高崎の虐殺事件
号外! 江戸・明治・令和の高崎ジオラマ展
号外! 歴民企画展「さかずきに映った高崎」開催中!
号外!群テレで高崎五万石騒動!
号外! 郷土玩具津々浦々展
号外!歴民企画展「高崎人まつりの記録」
同じカテゴリー(◆高崎雑感)の記事
 関東大震災 高崎の虐殺事件 (2023-09-23 06:00)
 号外! 江戸・明治・令和の高崎ジオラマ展 (2019-08-21 12:14)
 号外! 歴民企画展「さかずきに映った高崎」開催中! (2019-08-11 07:46)
 号外!群テレで高崎五万石騒動! (2019-04-11 10:58)
 号外! 郷土玩具津々浦々展 (2019-03-28 08:11)
 号外!歴民企画展「高崎人まつりの記録」 (2018-11-22 11:55)

Posted by 迷道院高崎 at 09:44
Comments(19)◆高崎雑感
この記事へのコメント
この、栄町再開発と西口、アリーナ、イオンを含む再開発は空恐ろしいですね。「そんなもんならどこにでもある」紫文師匠のお言葉。
僕もコンベンションの経験はかなりありますけど、300億円かけて造る箱モノにその招致プランが全く聞こえてこない。問屋町のも落成で「楽市」とかですけど、何も変わっていない(笑)。しかし、考えてみると「現役世代」には時間がない。僕ら高齢者世代、残された時間しかない。燃え尽きますか(笑)。
キネヅカ倶楽部の2F事務局とオープンサロン活用してください。
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2014年01月26日 16:25
>昭和24歳さん

一昨日は、お世話になりました。

前橋は、行政・郷土史家・一般市民・学生が一体になって街づくりを議論しています。
その拠点となる「まちづくり会社」も設立して、中心市街地活性化に取り組もうとしています。
本気度が伝わってきますね。

県庁を取られた時のように、気が付いたら賑わいも取られてたなんてことになりそうです。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2014年01月26日 19:56
私の町(小字)は
中居団地へ行く片側2車線道路で
南北に分断、
今年からは
前橋に至る片側2車線道路で
東西に分断、
メチャメチャになってしまいました。
多くの市民の便利をはかるためとは
いえ、
戦国時代からあった村(小字)は
姿かたちが無くなりました。

こういう歴史と住民の生活を無視した
街づくりでないことを
願わずにはいられません。
Posted by いちじん  at 2014年01月27日 04:57
高崎は、江戸時代には街道の要所で
1884年には、鉄道が開通して
県内では、突出した情報の街ですが、
其れが、災いして、推敲が多く加えて墨守の方も多く
結果として、県庁の問題もその典型と私は、思います。
マネー イズ タイムは、当てはまらないですが、


http://blogs.yahoo.co.jp/tomodatiyamato/40332031.html
Posted by wasada  at 2014年01月27日 06:49
市外者目線で言わせていただければ
高崎では街づくりに関心を持ち
意見を発信する方達がおられるということだけでも
羨ましくなってしまいます。
上州テレビのことは初めて知りました^^。
Posted by 風子風子  at 2014年01月27日 08:55
>いちじんさん

いま前橋は、旧町名を捨ててしまった事をとても残念がっているようです。
でも、旧町名でのお散歩マップを作ったりして、旧町名を街づくりに活かそうとしています。

金沢市では、大変な思いをしてやっと旧町名を復活させました。
松本市は、復活させようとしていますが、まだ実現できていません。

わが高崎は、江戸時代の町名と町割りがそのまま残っているというのに、それを活用させようとしていません。
勿体ないことです。
足元にある宝物に気が付かないんでしょうね。

小字名は、その地の成り立ちや歴史を表しているものが多いですよね。
旧町名の残っている高崎こそ、小字名を慣用的に使うようにするといいと思うんですがね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2014年01月27日 19:55
>wasadaさん

過去記事にも書いたことがあるんですが、高崎は「あり過ぎし町」なんですよ。
そこそこ何でもあるけど、特別これっていうものがない。
そんな感じがするんですよね。

でも、あの観音様はどこにでもあるって代物じゃないですよ。
それを本気で活かそうとしないなんて、勿体ないでしょ。
その辺が、高崎の根本的な問題だと思っています。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2014年01月27日 20:04
>風子さん

どこの地域にも、郷土を愛して意見を発信している人は沢山いるのだと思います。
その人達の意見を、どう集め、どう活かすかが問題なんでしょうね。
どうしても、力のあるリーダーが必要になりますが、そこが難しいところですね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2014年01月27日 20:15
県都よりも「軍都」。それが当時の時代のトレンドだった。それ以降、当然「秩父事件」や「群馬事件」があり、明治初期の「五万石騒動」高崎藩領民の歴史。明治新政府はその旧政府の「高崎城下」を徹底的に再開発する。駿河大納言廟を見るにつけ思う、そこにある徳川幕府における「高崎藩」の位置づけ。想像だが徳川幕府開闢にあって戦国末期の箕輪、長野氏の滅亡に百姓に身を潜めた領民末裔が脈々として江戸時代を辿った。知人でもある「小島文次郎」の子孫が小声で語る高崎の不穏。明治新政府が最も恐れたそうした西上州領民のDNA。結果、軍都で制圧する旧高崎藩、当然高崎城もその城下町も「再開発」(破壊)。まあ、徳川幕府がその地政学観点から開発した「高崎城下」、交通の要衝はその幕府の情報の要衝でもあった。つまり、今日の明治新政府も西上州領民「生かさず殺さず」の分断統治(笑)。それにしても駅周辺再開発、その槌音は狂乱するが、そこに高崎市政、選民の声が全く聞こえない。耳を塞いでいるわけではないのだが。20年後の骸たち(^^ゞ
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2014年01月28日 03:13
>昭和24歳さん

選民の声のボリュームを、少しづつ上げていくしかないですね。
まずは、同じ思いの人が集まる場を作りましょう。
キネヅカ倶楽部もその場の一つとして、ご協力をお願い申し上げます。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2014年01月28日 18:03
>キネヅカ倶楽部もその場の一つとして、ご協力をお願い申し上げます。
喜んで、です。2階のサロンで「語らいませんか」。残された時間の中で、僕らが何をなすべきか、何ができるかを。
一昨日の上毛新聞にも「県・コンベンションセンター」の賛否が報じられてました。到底、現状ではその運営はお荷物になりますね。栄町の「大規模集客施設」もそうですけど東京並みのレコーディングスタジオを作ったはいいが、一流どころが高崎でレコーディング?(笑)。
「音楽のある街」に「音楽がない」。そんな現状では無理ですね。
2階のサロン、テーマはなんとしましょうか?
第一回、グラスルーツ・シンポジウム(笑)。
むかし、「若い根っこの会」というのがありましたけど、「渋い根っこの会」とでも(^^ゞ
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2014年01月29日 11:33
>昭和24歳さん

場のご提供、ありがとうございます。

>「音楽のある街」に「音楽がない」

そもそも「音楽のある街」って、いまやそんなに珍しいもんなんでしょうか?
これが「ジンタの街」とか「昭和歌謡の街」とかっていうんなら、珍しいかも知れませんけど。

「渋い根っこの会」、面白いですね。
でも、若者も年寄りも、男も女も、市民も議員も、学者も学生も、いろんな立場の人が集まる場にしたいんですが・・・。
「たかさき楽会(がっかい)」なんての、どうかなぁ?
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2014年01月29日 15:19
たかさき楽会
大賛成です。
高崎の歴史と未来を楽しく語る会、
高崎の昔と夢を楽しく話しましょう。

提案
月2回、
1回は(月~木)の
14:00~16:00

もう1回目は(土)
19:00~21:00

金曜日はイベント日なので
抜きました。

月の第何週かは
キネヅカ倶楽部に
決定してもらいましょう。

如何でしょうか?

      X年後の骸より
Posted by いちじん  at 2014年01月30日 06:34
>いちじんさん

月曜日がいいんじゃあないでしょうか?
僕は、月曜日が一番嫌いだった。なぜなら、学校が始まる日、仕事が始まる日(笑)。
土曜日は、第四がいいと思います。別に深い意味はないですけど(^^ゞ
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2014年01月30日 06:49
迷道院師匠・・・・・
この、5月24日(土)に名門「高崎市立第二中学39年度卒業の同窓会があるようです。今晩、同窓生の「宮沢くん」と「須永洋子ちゃん」が「JJ & BB」ご光来いただいてその旨を。
残された、幸運ならば20年をどう生きるか、そしてそれを後世にどう伝えるか市井の末席に身を置く我を見て、本日、彼らとの語らいは大きな意義を見つけた次第であります。
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2014年01月30日 06:58
>いちじんさん、昭和24歳さん

早速のご提案、ありがとうございます。

まずは、「たかさき楽会」の絵姿について擦り合わせをしましょうかね。
2月8日(土)の19:00から、キネヅカ倶楽部でいかがでしょうか?
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2014年01月30日 11:04
>2月8日(土)の19:00から、キネヅカ倶楽部でいかがでしょうか?
僕はOKです!!去年まであまり意識してませんでした自分の「エンディング・ストーリー」(笑)。昨年3月、音楽仲間の先輩後輩を続けて亡くし、そして姉も。ある意味自身「蘇生」しました。生まれ変わったとでも言うんでしょうか、精神的に。父母世代からはあまりにも恵まれすぎた時代を頂いてこのまま「バックレル」のは忍びなく思った次第です。何ができるかわかりません、何もできないかもしれない。しかしこの残された時間を「DO My EBST」。子ども、孫たちに安心をです。
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2014年01月30日 14:16
>2月8日(土)の19:00から、
キネヅカ倶楽部でいかがでしょうか?

早速決めていただき
ありがとうございました。
予定に組み込みました。
よろしくお願い致します。
Posted by いちじん  at 2014年01月30日 16:28
>昭和24歳さん、いちじんさん

決定、早いですね!
興味のある人には、ぜひ参加してほしいです。
あとで、ブログで呼びかけるとしましょう。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2014年01月30日 20:13
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
昭和6年「大高崎建設論集」から考えること
    コメント(19)