
司会進行は、ブロ友のいちじんさんです。
りっぱな紋付羽織袴のいでたちは、五万石騒動を世に伝えた細野格城と髭の長さがほぼ同じになったからとのこと。
格城さんのお髭は、いちじんさんのブログからどうぞ。

上毛新聞が、ちょうどその命日に義人祭の記事を掲載してくれました。
大総代辞世の句です。
望みなき身は今日かぎり散りぬるも
なゝたび生まれかなへてやみむ
佐藤三喜蔵 享年52歳
吾人のためともなれと身をすてて
いまいけにへとなりしうれしさ
高井喜三郎 享年42歳
三喜蔵と喜三郎を救おうと岩鼻県庁へ願い出てそのまま捕われ、9月7日に処刑された、上小塙村の大総代・小島文治郎の辞世。
人のため草葉のつゆと消ゆるとも
名を後の世に残すうれしさ
小島文治郎 享年46歳

設計は、高崎の誇る工芸家・水原徳言(みはら・とくげん)氏です。

この日頂いた資料には、当時の商工会議所副会頭の吉野五郎氏が50万円を、碑石は永井石材店が寄贈したとあります。
たくさんの方々によって伝えられてきた郷土の歴史です。
「義人堂」の前に立ち、140年前の出来事を通して、世の行く末を考えてみるのもまた一興かと。
【高崎五万石騒動義人堂】