2012年12月30日

幻の田村隧道(1)

幻の田村隧道(1)実は、「金ヶ崎不動尊」の記事を書く前に、「金ヶ崎用水」のことを調べていました。

「金ヶ崎用水」は、碓氷川の水を乗附・石原の農地へ引いているものですが、江戸時代に造られたものであろうと言われているだけで、開鑿時期も開鑿者も分かっていません。

幻の田村隧道(1)現在の「金ヶ崎用水」は、乗附の字七ツ石から取水し、少林山下の乗附・鼻高線(通称・中曽根道路)に沿って、東へ向かって流れて行きます。

幻の田村隧道(1)

取水口から700mほどの所で暗渠になりますが、そこから分岐した水は「乗附緑地」のせせらぎになり、釣り池に注がれています。

幻の田村隧道(1)幻の田村隧道(1)

幻の田村隧道(1)釣り池を満たした水は、再びせせらぎとなり暗渠に合流して姿を隠します。

幻の田村隧道(1)



←そして東へ約300mほど行った所で、姿を現します。

ここは、乗附の字「大神前」
その字名が示すように、水路の上には「八海山大神」「三笠山大神」「御嶽山座主大権現」など、神々の石碑が建ち並んでいます。

幻の田村隧道(1)神々の石碑群に混じって、「田村隧道」と刻まれている碑があります。

写真では、碑文が読めないと思いますが、次のように刻まれています。
本組合金ヶ崎堰ハ下流百十町歩ノ田用水ヲ維持スル重要ナル堰ニシテ
過去幾多ノ洪水魔ニ遭遇シ、其ノ都度應急工事ヲ施シツゝアリシガ、偶々昭和十六年(1931)八月彼ノ大洪水ハ堰堤及水路延長百間ヲ全ク破壊セシメタリ。
茲ニ於テ急據復旧工事ヲ縣市ノ補助ヲ仰ギ施工セシモ完全タルヲ得ズ。
然ルニ地元実業家タル田村今朝吉氏慧眼以テ之レガ隧道ノ掘鑿ヲ企画セラレ、巨財ヲ投ジ昭和二十年(1945)九月起工、爾来不屈ノ闘魂ヲ傾ケ、遂ニ昭和二十一年(1946)五月五日完工セシメタリ。
我等ハ之ヲ田村隧道ト命名シ永久ニ讃仰セントス。
昭和二十一年之建

さて、「田村今朝吉」氏とはどのような人物なのか、そして「田村隧道」とは・・・。

この続きは、来年になります。
では、みなさま、よいお年をお迎えください。



【金ヶ崎用水 取水口】

【乗附緑地】

【田村隧道完成記念碑】





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Posted by 迷道院高崎 at 09:43
Comments(2)田村隧道
この記事へのコメント
碑文が戦後に書かれたものとは思えない見事な漢文体なんですね。
戦後間もない時期に隧道を穿ったことにも驚かされます。

よい御年をお迎えください。
Posted by ふれあい街歩き  at 2012年12月31日 13:57
>ふれあい街歩きさん

ありがとうございます。
来年は(も?)、良い年にしたいですね。

まさに、開戦の年に洪水で堰が壊れ、終戦の年に「田村隧道」着工ということで、私財を投じる人がいなかったら出来なかったですよね。

偉い人がいたもんです、この高崎に。
その割に、その生涯を記したものが残ってないのが不思議なんです。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2012年12月31日 18:09
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