
「(脇本陣の)漆喰壁に和紙と新聞紙の下張りがしてあるので、明日剥ぎ取りを行う予定。時間がありましたら覗いてみてください。手伝い可。すごい埃覚悟で。」
こりゃ滅多にできない貴重な経験です。
ということで、ヘルメット、防塵マスク、防塵メガネ持参でお邪魔することに致しました。

相当解体が進んでいて、一階部分は骨組みだけになっていました。

作業は二階部分で進行中でした。
塵埃濛々たる作業場を想像してましたが、その日が雨だったせいか、埃はほとんど舞ってませんでした。

「脇本陣」ということで、江戸時代の建築のように思われていますが、実はこの建物、明治時代に建て直されています。
ただ、その時期は明治二十年(1887)代とも、明治三十六年(1903)とも言われ、定かではありません。
今回、大正元年の新聞紙が壁の下張りに使われていたということで、もしかすると、新しい説が生まれるかもしれません。
作業は、霧吹きで水を含ませながら、丁寧に、丁寧に、剥いでいきます。
水気が足らなければ剥がれないし、多すぎれば破けてしまうしということで、なかなか大変な作業です。

剥ぎ取った一枚には、通い帳の表紙でしょうか「明治廿三年(1890) 油之通」と書かれています。
大正元年の新聞紙の下に、明治二十三年の通い帳が貼られていたことになります。
まだこの後、日付の書かれた紙が出てくるでしょうから、いずれ建物の再建時期もはっきりしてくるでしょう。
せっかくの機会なので、私も剥ぎ取り作業を少しだけやらせて頂いたのですが、なかなか根気のいる作業でした。
短気な私がやると、まるでジグソーパズルのようにコマ切れになってしまいます。
貴重な資料を台無しにしてもいけないので(ほんとは、根気が切れたのですが)、お昼になったのを口実に引き上げさせて頂きました。
ともあれ、この貴重な経験をさせて下さったN先生、邪魔者扱いせずに受け入れて頂いた関係者の皆さま、大変ありがとうございました。
学術的な研究というのが、如何に地道で大変なものかということが、よく分かりました。
これからは今まで以上に、感謝して、諸先生方の研究結果を使わせて頂きます。
【倉賀野宿脇本陣跡(須賀喜太郎家)】