2012年10月06日

脇本陣 壁の下張り

脇本陣 壁の下張り「上州中山道全七宿めぐり」倉賀野宿を通る時、脇本陣の建物を覆う養生シートにびっくりしたことをブログに書いたところ、日頃お世話になっているN先生からメールを頂戴しました。

「(脇本陣の)漆喰壁に和紙と新聞紙の下張りがしてあるので、明日剥ぎ取りを行う予定。時間がありましたら覗いてみてください。手伝い可。すごい埃覚悟で。」

こりゃ滅多にできない貴重な経験です。

ということで、ヘルメット、防塵マスク、防塵メガネ持参でお邪魔することに致しました。

脇本陣 壁の下張り初めて入った脇本陣の内側。

相当解体が進んでいて、一階部分は骨組みだけになっていました。

脇本陣 壁の下張り

作業は二階部分で進行中でした。
塵埃濛々たる作業場を想像してましたが、その日が雨だったせいか、埃はほとんど舞ってませんでした。

脇本陣 壁の下張り壁には、大正元年発行の「萬朝報」と、その下に、筆文字の書かれた和紙が見られます。

「脇本陣」ということで、江戸時代の建築のように思われていますが、実はこの建物、明治時代に建て直されています。

ただ、その時期は明治二十年(1887)代とも、明治三十六年(1903)とも言われ、定かではありません。
今回、大正元年の新聞紙が壁の下張りに使われていたということで、もしかすると、新しい説が生まれるかもしれません。

脇本陣 壁の下張り
作業は、霧吹きで水を含ませながら、丁寧に、丁寧に、剥いでいきます。

水気が足らなければ剥がれないし、多すぎれば破けてしまうしということで、なかなか大変な作業です。

脇本陣 壁の下張り



剥ぎ取った一枚には、通い帳の表紙でしょうか「明治廿三年(1890) 油之通」と書かれています。

大正元年の新聞紙の下に、明治二十三年の通い帳が貼られていたことになります。
まだこの後、日付の書かれた紙が出てくるでしょうから、いずれ建物の再建時期もはっきりしてくるでしょう。

せっかくの機会なので、私も剥ぎ取り作業を少しだけやらせて頂いたのですが、なかなか根気のいる作業でした。
短気な私がやると、まるでジグソーパズルのようにコマ切れになってしまいます。
貴重な資料を台無しにしてもいけないので(ほんとは、根気が切れたのですが)、お昼になったのを口実に引き上げさせて頂きました。

ともあれ、この貴重な経験をさせて下さったN先生、邪魔者扱いせずに受け入れて頂いた関係者の皆さま、大変ありがとうございました。
学術的な研究というのが、如何に地道で大変なものかということが、よく分かりました。
これからは今まで以上に、感謝して、諸先生方の研究結果を使わせて頂きます。


【倉賀野宿脇本陣跡(須賀喜太郎家)】
脇本陣 壁の下張り





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Posted by 迷道院高崎 at 19:16
Comments(10)倉賀野
この記事へのコメント
えー、面白いですね!
脇本陣の壁の紙をはがす作業ですか。
 
襖ですと大体、下張りは古文書が使われて
いるそうなので、関所手形など貴重なもの
が発見されるそうですよ^^。
Posted by 風子風子  at 2012年10月07日 19:35
>風子さん

永井荷風の襖の下張りみたいなのが出てくると、面白かったのですが(^_^)

今、やれリサイクルだリユースだと言いますが、昔の人は普通にそれをやっていたんですね。
そしてそれが、歴史を知る貴重な資料になってるんですから。

現代人が残す様々な廃棄物を、未来の人々はどう評価するんでしょうか。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2012年10月07日 20:55
日光例幣使街道、4.柴宿の脇本陣に母の姉が
嫁ぎましたが、現在宿は有りませんが
伝聞では、瓦の下や縁の下に小銭が
たくさんあったそうですが、
5.境宿は休憩所で、6.木崎宿はあかがね街道と交差してずいぶん繁栄していたようですが
例幣使が遊ぶお金がほしくて輿を揺らして
担ぐ人に嫌がらせをして、小銭をせびったことから、当地では、金をゆするの語源と言われて
いますが、はて真実はいかに!
Posted by wasada49  at 2012年10月08日 06:40
>wasada49さん

例幣使の悪名は轟いていたようですね。

私の聞いた話では、当時のお公家様はみな貧乏で、
例幣使になるということは、お金を手に入れる年一回
の機会だったのだそうです。

それなので、毎年違うお公家さんが例幣使になるの
だとか。
しかも、行きに中山道を通ったら、帰りは東海道を
通って、ユスる相手を変えていたようです。

ユスられる方は、たまったもんじゃありませんが。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2012年10月08日 19:28
昔の人のリサイクル(使い回し)は徹底されていましたね。手紙に使った文反古を習字の練習に使ったり、袋綴じにして帳面にしたり。最後は下張りなんですね。


そう言えば子供の頃、折り込みチラシの裏に絵や地図を書いて遊んでいたのを思い出します。
Posted by ふれあい街歩き  at 2012年10月09日 11:28
>ふれあい街歩きさん

本当に、昔の人のリサイクル精神は徹底していたと思います。
もっとも、使用済み割りばしをアイスキャンデーの棒に再利用したりする、困ったものもありましたけど・・・。

私は今もメモ用紙はチラシの裏を使うんですが、最近は両面印刷のチラシばかりで。
パチンコ屋さんの裏白チラシは、助かってます(^^)
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2012年10月09日 18:36
はじめましてブログ楽しく読ませて頂きました。
私はミニベロ乗りのたけとと申します。

すごいですね。漆喰壁の和紙と新聞紙剥ぎ取りなんて貴重な体験ですね。
根気が要りそう。
障子破くのは得意なんですけどね(笑)
Posted by たけと  at 2012年10月09日 20:40
>たけとさん

はじめまして。
コメント、ありがとうございました!
「ミニベロ」という自転車の名前、初めて知りました。
楽しそうですね。
私も折り畳み自転車を愛車にしてますが、大分違うようですね(^_^)

下張りの剥ぎ取り、根気要ります。
丁寧に剥がしている方を、尊敬しちゃいました。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2012年10月09日 22:54
前にコメントさせて頂いたとおり、子供のころ中に入れなかったので、この時に私もお声掛け頂き、お手伝いをさせて頂きたかったですね。残念。

例幣使の話ですが、日光東照宮に金箔を押した新しい御幣を奉納すると、古い御幣を引き取り、それを細かく切ったものを一つづつありがたそうに包み、それを東海道の各大名に下げ渡し金品をもらいながら帰ったと聞いたことがあります。
Posted by 鷲郎  at 2020年10月05日 04:08
>鷲郎さん

当時のお公家さんは、経済的にはけっこう大変だったようですね。
例幣使になると、一年間は暮らせると聞いたことがあります。
出稼ぎだったんですね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2020年10月05日 09:11
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