続・鎌倉街道探訪記は、豊岡の浦野邸まで進んだところで小休止をしておりましたが・・・。
4月の末に「上州弁手ぬぐい」が出来上がり、そのことで手いっぱいになってしまいまして。
事が重なる時は重なるもので、2つ3つ副業のお座敷もかかったりして、お散歩からすっかり遠のいております。
そんなことで、暫くの間、「上州弁手ぬぐい」のお話が続きますが、ご容赦ください。
「上州弁手ぬぐい」を作る元となったのが、4年ほど前に作ったこの「上州弁番付表」です。
こんなものを作ることになったきっかけは、5年前に行った富山旅行です。
宿泊した宇奈月温泉のホテルでエレベーターに乗った時、その中に貼ってあったのが、これです。↓
「おおーっ!おもしれぇ!」と思いました。
感心したのは「勧進元」つまり制作元が富山県観光連盟であり、編集が「越中方言奉行」こと富山弁研究の第一人者・簑島良二氏、監修を富山大学人文学部准教授の中井精一氏が行っていることです。
これだけで、「あぁ、官・学・民で観光に力を入れてるんだな。」と感じたのです。
帰ってきてから、わが「群馬弁」の番付表というのはないんだろうかと、ネットで探してみましたが、どうやらなさそうでした。
「んじゃ、作っちゃえ。」ということで、ぽっつらぽっつら作リ始めたような訳です。
富山のはA2サイズで、384の言葉を載せた立派なものですが、悲しいかな家庭用プリンターで印刷する「上州弁番付表」は、A4サイズで80語のこじんまりしたものになりました。
採用した上州弁は、先人の著した本やネット情報も参考にしましたが、結局、自分が聞いて育った耳慣れた言葉に落ち着きました。
位付けはどうやって決めたのかとよく聞かれますが、これも全くの独断と偏見です。
ところで、こんなぐれたもん、何のために作ったのかって気になるでしょう。
え?気にならない。
そうだんべなぁ・・・。
いいです、次回、勝手にお話ししちゃいますから。
4月の末に「上州弁手ぬぐい」が出来上がり、そのことで手いっぱいになってしまいまして。
事が重なる時は重なるもので、2つ3つ副業のお座敷もかかったりして、お散歩からすっかり遠のいております。
そんなことで、暫くの間、「上州弁手ぬぐい」のお話が続きますが、ご容赦ください。
「上州弁手ぬぐい」を作る元となったのが、4年ほど前に作ったこの「上州弁番付表」です。
こんなものを作ることになったきっかけは、5年前に行った富山旅行です。
宿泊した宇奈月温泉のホテルでエレベーターに乗った時、その中に貼ってあったのが、これです。↓
「おおーっ!おもしれぇ!」と思いました。
感心したのは「勧進元」つまり制作元が富山県観光連盟であり、編集が「越中方言奉行」こと富山弁研究の第一人者・簑島良二氏、監修を富山大学人文学部准教授の中井精一氏が行っていることです。
これだけで、「あぁ、官・学・民で観光に力を入れてるんだな。」と感じたのです。
帰ってきてから、わが「群馬弁」の番付表というのはないんだろうかと、ネットで探してみましたが、どうやらなさそうでした。
「んじゃ、作っちゃえ。」ということで、ぽっつらぽっつら作リ始めたような訳です。
富山のはA2サイズで、384の言葉を載せた立派なものですが、悲しいかな家庭用プリンターで印刷する「上州弁番付表」は、A4サイズで80語のこじんまりしたものになりました。
採用した上州弁は、先人の著した本やネット情報も参考にしましたが、結局、自分が聞いて育った耳慣れた言葉に落ち着きました。
位付けはどうやって決めたのかとよく聞かれますが、これも全くの独断と偏見です。
ところで、こんなぐれたもん、何のために作ったのかって気になるでしょう。
え?気にならない。
そうだんべなぁ・・・。
いいです、次回、勝手にお話ししちゃいますから。