山梨県立博物館へ行く前に、河口湖へ寄ってみました。
河口湖のほとりに、「富士博物館」というとても素朴な博物館があります。
山梨県で最初の博物館で、約300年前の豪農の家屋を復元したものだそうです。
その敷地の中に、寛文年間(1661~62)に建てられた「郷倉」が復元されています。
説明板によると、
「この郷倉は江戸幕府が、豊年の年に穀類を貯蔵して凶年に備えるため、この地の郷主秋元但馬守(武田信玄家臣)に道志渓谷源流地へ建てさせたものである。」
とあります。
ここで、秋元但馬守という名前に、心当たりがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
前橋の「天狗岩用水」を開いた初代・総社城主・秋元長朝(あきもと・ながとも)が但馬守でした。
その子・泰朝(やすとも)も但馬守で、寛永十年(1633)谷村藩の城代として甲斐に来ますが、寛永十九年(1642)には没しています。
後を継いだ富朝(とみとも)も早死にしたので、この「郷倉」を建てたのは養子の喬知(たかとも)でしょう。
秋元喬知は、河口湖の水を富士吉田まで抜く「新倉掘抜(あらくらほりぬき)」を開鑿しています。
時間が早かったために、「堀抜史跡館」を見ることはできませんでしたので、次のサイトでご覧ください。
◇Fujigoko.TV 「河口湖新倉堀抜史跡館」
◇はじめさんのお部屋 「新倉堀抜(あらくら・ほりぬき)」
そして、そして、秋元但馬守は高崎とも深い関係があります。
それは、過去記事「新井堰の人脈と水脈」をご覧ください。
高崎に帰って来てから観音山を散策していたら、奇遇にもそこに山梨を発見しました。
観音山頂上駐車場脇の、上信バス待合所です。
そこに、いつ頃のものでしょうか、山梨の観光地を紹介する看板が掲げられています。
山梨と、前橋と、そして高崎と、歴史はつながっておりました。
この貴重なつながりを、先人に感謝しながら活かしていこうではありませんか。
河口湖のほとりに、「富士博物館」というとても素朴な博物館があります。
山梨県で最初の博物館で、約300年前の豪農の家屋を復元したものだそうです。
その敷地の中に、寛文年間(1661~62)に建てられた「郷倉」が復元されています。
説明板によると、
「この郷倉は江戸幕府が、豊年の年に穀類を貯蔵して凶年に備えるため、この地の郷主秋元但馬守(武田信玄家臣)に道志渓谷源流地へ建てさせたものである。」
とあります。
ここで、秋元但馬守という名前に、心当たりがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
前橋の「天狗岩用水」を開いた初代・総社城主・秋元長朝(あきもと・ながとも)が但馬守でした。
その子・泰朝(やすとも)も但馬守で、寛永十年(1633)谷村藩の城代として甲斐に来ますが、寛永十九年(1642)には没しています。
後を継いだ富朝(とみとも)も早死にしたので、この「郷倉」を建てたのは養子の喬知(たかとも)でしょう。
秋元喬知は、河口湖の水を富士吉田まで抜く「新倉掘抜(あらくらほりぬき)」を開鑿しています。
時間が早かったために、「堀抜史跡館」を見ることはできませんでしたので、次のサイトでご覧ください。
◇Fujigoko.TV 「河口湖新倉堀抜史跡館」
◇はじめさんのお部屋 「新倉堀抜(あらくら・ほりぬき)」
そして、そして、秋元但馬守は高崎とも深い関係があります。
それは、過去記事「新井堰の人脈と水脈」をご覧ください。
高崎に帰って来てから観音山を散策していたら、奇遇にもそこに山梨を発見しました。
観音山頂上駐車場脇の、上信バス待合所です。
そこに、いつ頃のものでしょうか、山梨の観光地を紹介する看板が掲げられています。
山梨と、前橋と、そして高崎と、歴史はつながっておりました。
この貴重なつながりを、先人に感謝しながら活かしていこうではありませんか。