
一見、お城か、はたまた武将のお館か、と見まごうばかりの壮大さですが、豪農の屋敷だそうです。
そうか、お金持ちが金に糸目を付けず・・・と思いきや、さにあらず。
言い伝えでは、千葉家四代目当主・喜右衛門が、天保年間(1830~1844)に、飢饉に苦しむ農民の救済のために、普請したものなのだそうです。
普請には村の子供も老人も、人夫として作業に携わり、そのことによって糧を得ることができたといいます。
小高い丘の中腹に石垣を積み、近くの山から木を伐り出しての普請で、完成まで約10年の歳月が掛かったそうですが、失業対策のために敢えて長期間掛けて、大きな屋敷を造ったのかもしれません。
高崎の下大類にも、同じような話が伝わっていますが、ただ単に恵んでもらうのではなく、労働の対価として糧を得ることで、人間としての誇りも保ちながら、感謝の心を持てたのではないでしょうか。


敷地は約八百坪、かつては作男15人、馬20頭を有していたといいます。
平成十九年(2007)に国の重要文化財に指定されていますが、驚くのは、現在も十代目の当主がお住まいになっていることです。
家というのは、利用することによって保たれるという証でもあります。

←坂を登り詰めて見下ろすと、こんな景色を望むことが出来ます。
毎日ここから、四季折々の景色を眺めていたら、ちっぽけなことは考えず、大きな心で物事を捉えられるかも知れません。

手前は馬屋(まや)の庇です。→
正面に見えるのが、今も千葉さんが住んでいるという母屋です。
右奥の建物は作業小屋となっていますが、現在は実際に使われた農具や、調度品を展示した資料展示小屋になっています。


土間の「三和土」(たたき)には、
200年の歳月が美しい皺を刻んでいました。

な、なんと、座敷わらし?!!!
って、嘘に決まってます。
この千葉家、映画「遠野物語」のロケ地にもなったようで、沢山のスチール写真が展示されていました。
その一枚です。


昔使われていたものが、沢山展示されていました。
お見せしたい写真が沢山あるのですが、もう大分長くなってしまいました。
あと少しだけご覧いただきましょう。
![]() | ![]() | ![]() |
遠野の町に入る前に、いいものを見させて頂きました。
これから先の旅が、楽しみです。