タヌキの通り道を上がっていくと、そこが岩鼻代官所跡地です。
現在は、日本化薬の社員寮になっているので、「外来者の通行および駐車は一切禁止します。」となっていますが、タヌキならいいようです。
ということで、タヌキに化けて入り込んでみました。(不法侵入になるのでしょうか?)
石垣の道が、雰囲気あります。
今にも、坂の上から「これ、そこな町人!いずこへ参る!」と、六尺棒を持った門番が現れそうな感じです。
左側に現れる石段は、代官所時代から残る唯一の史跡、天神山に上る石段です。
天神山山上には、天満宮の社と、陸軍造兵廠岩鼻火薬製造所殉職者之碑があります。
タヌキの通り道の坂を登りきると、右側に大正ロマンを感じさせる瀟洒な建物があります。
これが、「たかさき都市景観賞」も受けている、旧陸軍造兵廠岩鼻火薬製造所の将校倶楽部です。
現在は、日本化薬の福利厚生施設・高崎クラブとして使用されています。
天神山とともに、歴史遺産として、いつまでも残しておいてほしいものです。
岩鼻代官所→岩鼻県庁跡の広大な敷地が陸軍用地として接収されたのは、明治十二年(1879)のことです。
現在の日本原子力研究所、群馬の森、日本化薬高崎工場を合わせた広大な土地に、陸軍火薬製造所が開設されたためです。
しかしその後、この火薬製造所は、頻繁に爆発事故を起こします。
そのお話は、またの機会に。
現在は、日本化薬の社員寮になっているので、「外来者の通行および駐車は一切禁止します。」となっていますが、タヌキならいいようです。
ということで、タヌキに化けて入り込んでみました。(不法侵入になるのでしょうか?)
石垣の道が、雰囲気あります。
今にも、坂の上から「これ、そこな町人!いずこへ参る!」と、六尺棒を持った門番が現れそうな感じです。
左側に現れる石段は、代官所時代から残る唯一の史跡、天神山に上る石段です。
天神山山上には、天満宮の社と、陸軍造兵廠岩鼻火薬製造所殉職者之碑があります。
タヌキの通り道の坂を登りきると、右側に大正ロマンを感じさせる瀟洒な建物があります。
これが、「たかさき都市景観賞」も受けている、旧陸軍造兵廠岩鼻火薬製造所の将校倶楽部です。
現在は、日本化薬の福利厚生施設・高崎クラブとして使用されています。
天神山とともに、歴史遺産として、いつまでも残しておいてほしいものです。
岩鼻代官所→岩鼻県庁跡の広大な敷地が陸軍用地として接収されたのは、明治十二年(1879)のことです。
現在の日本原子力研究所、群馬の森、日本化薬高崎工場を合わせた広大な土地に、陸軍火薬製造所が開設されたためです。
しかしその後、この火薬製造所は、頻繁に爆発事故を起こします。
そのお話は、またの機会に。
【タヌキの通り道】