国道17号線の「城南」交差点。
正面の建物は「城南小学校」です。
交差点を烏川沿いに下流へ70mほど行くと、左側の石垣下に石碑が建っています。
「遭難之地」と刻まれた碑の上部には、「松島輝男君、木村茂樹君、新後閑崇君、黒沢伸夫君」と四人の氏名が列記してあり、左下には「厄除地蔵尊保存会建之」とあります。
左側面を見ると、「贈建碑記念」として二人の高崎市議会議員「関口市吉、馬場清三郎」の名が刻まれています。
この碑は、昭和三十四年(1959)に起きた悲惨な事故の跡地に建てられたものです。
どんな事故だったのかは十三年前の記事に書いてありますので、こちらからご覧ください。
現在お地蔵様は、荘厳寺境内の改修により、平成二十五年(2013)に新築された「真如堂」内に移されています。
「地蔵菩薩建立縁起」の碑も新しくなりましたが、碑文は前と同じです。
お地蔵様は、真如堂に入った左隅に安置されています。
捜索時の写真と、葬儀の写真も掲示されていました。
「一切衆生の厄難を消除し
就中 児童生徒を育成守護せられんことを」
正面の建物は「城南小学校」です。
交差点を烏川沿いに下流へ70mほど行くと、左側の石垣下に石碑が建っています。
「遭難之地」と刻まれた碑の上部には、「松島輝男君、木村茂樹君、新後閑崇君、黒沢伸夫君」と四人の氏名が列記してあり、左下には「厄除地蔵尊保存会建之」とあります。
左側面を見ると、「贈建碑記念」として二人の高崎市議会議員「関口市吉、馬場清三郎」の名が刻まれています。
この碑は、昭和三十四年(1959)に起きた悲惨な事故の跡地に建てられたものです。
どんな事故だったのかは十三年前の記事に書いてありますので、こちらからご覧ください。
現在お地蔵様は、荘厳寺境内の改修により、平成二十五年(2013)に新築された「真如堂」内に移されています。
「地蔵菩薩建立縁起」の碑も新しくなりましたが、碑文は前と同じです。
お地蔵様は、真如堂に入った左隅に安置されています。
捜索時の写真と、葬儀の写真も掲示されていました。
「一切衆生の厄難を消除し
就中 児童生徒を育成守護せられんことを」
【遭難之地碑と真如堂】