
「君ヶ代橋の親柱」から並榎町西の信号を渡ると、右手前方に見える右カーブの上り坂が「五輪坂」である。
「五輪坂」の名前の由来は、諸説ある。
その昔この辺りに五輪の塔が並んでいたからとか、源頼朝が上州三原の巻狩りの際にこの辺りに陣を敷いたので「御陣坂」が正しいとか、「あっ」という間に下ってしまうので一銭の半分で「五厘坂」だというのまである。

だが、門構えにしても、建物にしても、どうもお寺という雰囲気ではない。
恐る恐る中に入ってみると、境内というよりも庭園に近い。



この「護念寺」、意外と新しいお寺で、昭和20年(1945)頃この地に構えたようだ。
それ以前はというと、あまりはっきりした資料が見つからない。
「高崎開化扣帖(ひかえちょう)」の金井恒好氏は、
「五輪坂の崖上に歌川町の小島家の別荘があった」と書いている。
浅間山を遠望するという意味であろうか、「望浅閣」と名付けられたこの別荘は、大正年間から戦前まで、高崎有数の高級料亭として賑わったとある。
年代から言っても、庭園の造作から言っても、この「望浅閣」の跡地に「護念寺」を構えたと思ってよいであろう。


残念なことは、折角の名庭園が、あまり手入れされていないことである。
法人の持ち物とあれば如何ともし難いが、高崎の貴重な「観光資源」となることは間違いない。
何とか整備できないものかと思いながら、庭園を後にした。
【五輪坂】