滝の慈眼寺のしだれ桜が、そろそろ盛りを過ぎる頃、すぐ近くの「将軍塚」の桜が満開になる。
「将軍塚」は、古墳である。
古墳上には「島名神社」があり、祭神は「上毛野君(かみつけぬのきみ)」の祖と言われる「豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)」の孫、「彦狭島王(ひこさしまおう)」である。(あぁ、ややこし)
「彦狭島王」は、上毛野国造(かみつけぬのくにのみやつこ)に任じられ、東国に赴任する旅の途中で病死してしまったという不幸な方だ。
その死を悼んだ東国の人々が屍を担いで上毛国へ運び、葬ったのが「将軍塚古墳」だと伝えられている。
もっとも、高崎市石原町の三島塚古墳がそうだという説もある。
そういえば、この付近にはやたらと「島」のつく地名が多い。
「島名神社」のある元島名町、もうひとつの「島名神社」がある島野町、そして京ヶ島町・・・、何かつながりがあるのだろうか。
墳丘上には、万朶(ばんだ)の桜に抱かれるように、「殉国の碑」が建っている。
碑の裏面には、西南戦争、日清・日露・日中戦争、そして太平洋戦争において京ヶ島地区から召集され、戦死した143人の名前が刻まれている。
そのほとんどは、20代、30代の若者である。
最年少は16歳、最年長でさえ46歳だ。
そういう時代だったのである。
碑文の最後にはこう記されている。
「平和で豊かな現代の日本をふりかえりみるとき、
英霊をはじめ遺族、地域の人々の物心両面にわたる
多大な犠牲を思わないわけにはいきません。
ここに改めて、平和であることの大切さをかみしめ、
世界の恒久平和に向けて、協力努力していきたいと誓うものです。」
さて、ここのところ、テポドンにかこつけた軍事演習、海賊退治にかこつけた海外派兵、果ては、撃たれる前に撃ってしまおうという物騒なことを言い出す国会議員まで出ている。
裏では、こそこそと、しかし着々と平和憲法改変に向けて動き出している。
【高崎市文化会館裏庭にて】【慈眼寺の参道にて】
「将軍塚」は、古墳である。
古墳上には「島名神社」があり、祭神は「上毛野君(かみつけぬのきみ)」の祖と言われる「豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)」の孫、「彦狭島王(ひこさしまおう)」である。(あぁ、ややこし)
「彦狭島王」は、上毛野国造(かみつけぬのくにのみやつこ)に任じられ、東国に赴任する旅の途中で病死してしまったという不幸な方だ。
その死を悼んだ東国の人々が屍を担いで上毛国へ運び、葬ったのが「将軍塚古墳」だと伝えられている。
もっとも、高崎市石原町の三島塚古墳がそうだという説もある。
そういえば、この付近にはやたらと「島」のつく地名が多い。
「島名神社」のある元島名町、もうひとつの「島名神社」がある島野町、そして京ヶ島町・・・、何かつながりがあるのだろうか。
墳丘上には、万朶(ばんだ)の桜に抱かれるように、「殉国の碑」が建っている。
碑の裏面には、西南戦争、日清・日露・日中戦争、そして太平洋戦争において京ヶ島地区から召集され、戦死した143人の名前が刻まれている。
そのほとんどは、20代、30代の若者である。
最年少は16歳、最年長でさえ46歳だ。
そういう時代だったのである。
碑文の最後にはこう記されている。
「平和で豊かな現代の日本をふりかえりみるとき、
英霊をはじめ遺族、地域の人々の物心両面にわたる
多大な犠牲を思わないわけにはいきません。
ここに改めて、平和であることの大切さをかみしめ、
世界の恒久平和に向けて、協力努力していきたいと誓うものです。」
さて、ここのところ、テポドンにかこつけた軍事演習、海賊退治にかこつけた海外派兵、果ては、撃たれる前に撃ってしまおうという物騒なことを言い出す国会議員まで出ている。
裏では、こそこそと、しかし着々と平和憲法改変に向けて動き出している。
いったい、人間は、いつになったら賢くなれるのだろう。
【高崎市文化会館裏庭にて】【慈眼寺の参道にて】
【将軍塚古墳】