2009年01月10日

電気館通り

電気館通り「電気館通り」という看板を付けた街灯が、まだ残っていることに驚いた。

「電気館」という名前を覚えている方は、もうそこそこのご年輩になっていることと思う。
かつて高崎に沢山あった、映画館の一つが「電気館」だ。

電気館通り

この映画館は、大映株式会社の映画を主に上映していた。
大映の当時のスターは、長谷川一夫、山本富士子、市川雷蔵、勝新太郎といった面々だ。
若い方にもご記憶があるかも知れないのは、「大怪獣ガメラ」とか「大魔神」か。
大映の映画が斜陽になってから、「日活ロマンポルノ」を上映する、ちょっと怪しい映画館になってしまった。
映画館を閉鎖してから一時期、「コンパ」という若者向けのスタンドバーがあったように記憶している。

その頃(昭和30年代)の映画は、映画と映画の間に「ニュース映画」というのが入った。
まだ、TVが普及していない頃、動くニュース映像は「へー!」というものがあった。
それまで白黒だった映像に、色がつき始めたのもこの頃だ。
カラーフィルムはまだ貴重な時代だったから、大事な場面だけカラーだった。
そもそも、「カラー」という言葉もなく、「天然色」と言っていた。だから「部分天然色映画」だったのだ。
全編通してカラーの「総天然色映画」になるのには、しばらく年月がかかった。
さらに時を経て、ワイド画面の「シネマスコープ」になり、音声もステレオの「立体音声」になっていく。
そしてやがて、TVやビデオに押されて、次々と映画館は閉鎖されていった。

電気館通り「電気館通り」「烟草横町(たばこよこちょう)」を西に直進して、中央銀座通りを横切った先である。
「烟草横町」の写真を撮りに行って、久しぶりにこの通りに入ったが、「電気館」の建物も、看板も、街灯も残っているのを見て、一瞬にして40年前にタイムスリップしたような気分になった。

電気館通り建物の脇を覗き込むと、その先には当時とあまり変わらぬ、雑然とした色街の風情も残っている。
電気館の北側には、高崎一の歓楽街「柳川町」の飲食店街がある。
細い路地が迷路のように入り組み、酔ったらなかなか出てこられないかも知れない。
この地域が、これからどのように変わっていくのか分からないが、古さと新しさを上手く調和させた街として残ってほしいと願う。


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Posted by 迷道院高崎 at 13:11
Comments(8)◆高崎探訪
この記事へのコメント
電気館と言えば昔大工だったうちの親父が「電気館はうちでやったんだ」とよく申しております。
その親父曰く、子供の頃お爺さん(おいらから見れば曾お爺さん)と一緒に柳川町で電気館に行ったり寿司を食べに行ったりしていたそうです。
そのお爺さんの服装はハッピに雪駄、歯には金歯を入れて「金歯のよっちゃん」と呼ばれてたそうな。
今の時代から考えればそんな人見たこと無いですよね。
そんな時代においらも生きてみたかった。
それにしても街中に映画館が無いのも寂しいものですね。
Posted by 弥乃助弥乃助  at 2009年01月10日 18:08
>弥乃助さん

ひぇー!「金歯のよっちゃん」ですかー。
そうそう、いましたよ、そういう方。
いつも元気で、べらんめぇで、大体頭は剃ってて、鉢巻してたような・・・。
喧嘩っ早いけど、気前が良くて、子どもには優しかったなぁ。

それにしても、お父上が「電気館」を作ったなんて、これも何かのご縁ですね。
これからも、よろしくお願いします!
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年01月10日 19:07
「金歯のよっちゃん」を知ってるなんて・・・。
うちの親父が言ってた事は嘘じゃなかったんだ。
ちなみに体には般若?の刺青があって歳をとるのといっしょにその般若も歳をとったそうな。
おいらが幼稚園のときに亡くなったけどおいらにとっては怖いお爺さんだったなぁ~。
家の中で遊びまわっていると「うるせー!」ってよく怒鳴られたもんだ。
Posted by 弥乃助弥乃助  at 2009年01月10日 19:42
昔の町並みは、子供の目線だから、思い返すとすべてが大きく、そしてすごかったように思えます。
いま行くと、だいぶ変わってはいますが、なによりも変わったのは「自分」だということに、ちょっとショックを受ける今日この頃。
Posted by くみちょう  at 2009年01月10日 23:21
>弥乃助さん

そうですね。昔の職人さんは、みんな刺青してましたね。
銭湯で恐々見たりしてました。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年01月11日 09:57
>くみちょうさん

そうかー、「自分」も変わってたんですね。
うっかりしてましたー。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年01月11日 10:03
はじめまして
電気館の記事懐かしく拝見しました。
子供のころ親によく連れて行かれました。
子供の私は、ディズニーの短編だけが楽しみでした。
ニュースや予告編と一緒にディズニーが観られました。

ピカデリーは、電気館より後から出来た映画館です。
名前からして新しそうでしょう。
映画館が出来たとき、兄は、株券を買い、
支給されるタダ券で映画を見に行きました。

駅の近くの、通町にありました。

銀座通りにある映画館(松竹)も、
立て替えられたときは、
二階建てで冷房もあるというので、
話題になりました。

そのとき、「喜びも悲しみも幾歳月」が上映されたので、
55年くらい前の話です。
Posted by nitona  at 2012年06月18日 08:03
>nitona さん

コメント、ありがとうございました。
ピカデリーは通町でしたか。
記憶力が弱くて(^^ゞ

nitona さんのサイト「郷愁倶楽部」拝見しました。
素晴らしいサイトですね―!
感服いたしました。

これから時々お邪魔したいと思います。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2012年06月18日 23:04
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    コメント(8)