
「円石」は、成田町の成田山光徳寺の境内にある。
それがなぜ「上和田の・・・」となっているかという訳は、他の2つの石と同じく、名石ゆえの流転人生があったようだ。
いつもお世話になっている田島武夫氏著「高崎の名所と伝説」から、教えて頂くこととする。
「円石」はもともと上和田の畑の中にあった。
享保年間(1730年代)、善念寺(元紺屋町)の住職が地主に請い、その石を切らせて門前の石橋として利用した。
ところが、石橋にして人に踏ませたせいか、異変が起こるようになった。
天明9年(1789年)、善念寺の旦那で新町(あらまち)の矢島八郎左衛門という人が、この石橋を砂賀町の用水堀に掛けたが、明治11年(1878年)橋の架け替えで売り物となった。
これを買い取った土屋老平という人が、父武居世平の歌碑として成田山光徳寺の境内に建立し、現在に至っている。
ということだ。
実は、この「円石」は一つの石を二つに切ったもので、もう一つの石は善念寺庫裡の池のほとりにある、とも書かれている。
それじゃ、そちらも見てこなくては片手落ち。
バチでも当たっては敵(かな)わないと思い、善念寺へ行ってみた。

ただ、本堂右手の築山風のところに、どうもそれらしい石がある。
勝手にそれだと決めつけて、写真を撮ってきた。
それにしても、「和田の三石」を訪ねる小さな旅、なっから楽しませてもらった。
↓ 「円石」・・・成田山光徳寺
↓ 「円石」の片割れ・・・善念寺