
そこに、背の高い屋敷林と板塀に囲まれた大きな家があります。
大きな土蔵の姿も見えます。


入り口の方へ回ってみると、酒造に使ったものでしょうか、大きな釜が置いてあります。
ただ、営業している風には見えません。

でも、板塀には「お気軽にお立寄り下さい ギャラリー蔵人(くらんど)」という看板が掛かっています。
恐る恐る玄関の中を覗くと、沢山の骨董品らしきものが、所狭しと並べられています。
開くのかな?と思いながら引き戸を引いたら、開きました。
「すみませーん、ごめんくださーい。」と声を掛けると、居間の方から素敵な奥様が現れました。
「中を見させて頂いていいですか?」とお聞きすると、
笑顔で、「ええ、どうぞ、どうぞ。」と、入れて下さいました。
入場料を取る訳でもなく、展示物に値札も貼られていません。

ちょうど五月で、端午の節句に因んだ展示がされていました。
年の節目節目で展示物を入れ替え、場所を貸して催しごとにも使っているそうですが、営業を目的にしてる訳ではないといいます。
後でお顔を見せたご主人に、
「入場料くらい取ってもいいんじゃないですか?」と言ったら、
「そんなことするくれえなら、初めっからやらねぇよ。」と仰っていました。

「箕輪町 宮川酒造店 電話八番」とも書いてあります。

奥様の話では、箕輪に電話が引かれた時、縁起の良い八番を選んだのだそうです。
因みに、四番はどうしても選ぶ人が無く、しかたなく役場で使ったといいます。

「宮川」と書かれた角樽(つのだる)の手前にあるものを指して、「何だか分かりますか?」と聞かれました。
お酒を作る時に、かんまーす(かき回す)ものかなと思ったら、酒樽に押す焼き印でした。
ここぞというタイミングで、
「岩戸川というのは、下田家で作っていたお酒だと聞きましたが。」と言ったことから、面白い話を沢山お聞きすることができました。
下田家では、元禄時代の三代目・重兵衛が、屋敷の東北隅から湧出する清水を利用して酒造りを始めたようですが、明治四年(1871)に蔵の酒を全て腐らせてしまったのだそうです。
これは、「火落ち菌」とも呼ばれる腐敗菌が酒に入り込み、一年分の酒を駄目にするだけでなく、蔵そのものに「火落ち菌」が住みついて、酒が造れなくなるというほど恐いことなのだそうです。
以来、下田家では酒造りを休んでいましたが、明治六年(1873)に高崎で酒造業をしていた宮川家が、蔵を借りて酒造りをしたいと申し入れます。

その時下田家から、受け継いで欲しいと言われたのが、「岩戸川」という銘柄名だったのです。
両家のつながりはこうやって始まったのですが、その付き合いは親戚以上だったようで、こんな逸話を教えて下さいました。
現在の宮川家の当主・雅次氏の名付け親は、下田家の十二代目・恭介氏だそうです。
その恭介氏は、生まれてすぐに母上を亡くされたため、貰い乳で育つ訳ですが、その乳を与えたのが宮川雅次氏のご祖母だったというのです。
そのような歴史を持つ宮川酒造ですが、30数年前、火災により二棟の蔵を消失し、酒造りができなくなってしまいます。

ここに、銘酒「岩戸川」は、幻の酒となってしまうのです。

宮川家で代々実際に使われてきたもの、今でも使っているものが展示されています。
ご主人も、奥様も、歴史的なものが次々に失われていく昨今の風潮を、心から嘆いておられました。
お二人は、それらを残すための行動も積極的に行っています。
そのご尽力により、失われずに済んだ歴史的遺産が、箕輪の町には数多く残っています。
「蔵人」は、まさに「小さな博物館」です。
展示されているものも逸品なら、使用している部屋も見事な芸術品です。
その道の人が見たら、きっと垂涎ものばかりでしょう。
とても、私如き無粋の輩が紹介できる代物ではありません。
是非「蔵人」へ行って、直にご覧になることをお勧めします。
【小さな博物館「蔵人」】