柴崎町の進雄(すさのお)神社近くの交差点角に、こんもりとした所があります。
ここは、昔、前方後円墳だったという「神楽塚(かぐらづか)」です。
この茂みの中に、伝説の「ねじれ杉」があります。→
幹が捻じれているのが分かるでしょうか。
「伝説 神楽塚の由来」を書いた看板も立っていますので、進雄神社にでも車を停めて、一度ゆっくりご覧になってください。
進雄神社の御由緒によると、創祀は貞観十一年(869)といいますから、今から1140年前、すごいです!
神職の高井氏は、少なくとも大永二年(1522)から代々世襲で続いているというのですから、それもまたすごいことです。
ご祭神が牛頭天王(ごずてんのう:スサノオノミコトのこと)であることから、高井氏は天王大夫(てんのうだいふ)と呼ばれ、西上州すべての神職の上に君臨していたといいます。
その権力とご威光もまた、さぞかしすごいものだったことでしょう。
もしかすると、長い間のその権力とご威光をかさにきて・・・ということもあったかも知れません。
あるいは、その地位を狙うものが出てきたのかもしれません。
永禄末年(1570)に武田信玄が、新たに伊藤大夫という人に替えたというのも、きっと何かあってのことでしょう。
ところが、一旦は権力の座に就く伊藤大夫でしたが、なぜか不可思議な出来事が次々と起こります。
堪らず、伊藤大夫は、就任後10年の天正八年(1580)、剣や面を神楽塚に埋めてから逃げ出したといいますが、それも不自然な気がします。
しかもそのあと、伊藤大夫は行方知れずになっています。
埋められたのは、剣や面だけだったのでしょうか?それとも・・・。
再び神職の座に戻った高井氏は、埋められた面を掘り起こして神宝とします。
伝説とともに、自身の職を正当とする証としたのでしょう。
そして、神楽塚には捩じれた杉の木が残りました。
埋められた剣が「ねじれ杉」になったといいますが、なぜ剣のまま掘り起こせなかったのでしょう?
そして、なぜ苦しそうに身をよじるような姿の杉になったのでしょう?
もしかして、伊藤大夫・・・。
神楽塚の茂みの中に、隠れるように石宮と鳥居が建っています。
いつの世も、権力争いには不可思議な出来事がつきもののようです。
科学万能、情報化社会の現代では、どうなのでしょう?
「ねじれ杉」は芯が空洞になりながらも、昭和四十五年(1970)頃まで生き続け、子どもの夜泣きに霊験があるとされていたそうです。
ところが、この空洞に火をつけた者がいて、三日間燃え続けたといいますが、ついに枯死してしまいました。
いずれ、その姿を留めぬほど朽ち果ててしまうでしょう。
見ておくのなら、今のうちかもしれませんよ。
ここは、昔、前方後円墳だったという「神楽塚(かぐらづか)」です。
この茂みの中に、伝説の「ねじれ杉」があります。→
幹が捻じれているのが分かるでしょうか。
「伝説 神楽塚の由来」を書いた看板も立っていますので、進雄神社にでも車を停めて、一度ゆっくりご覧になってください。
進雄神社の御由緒によると、創祀は貞観十一年(869)といいますから、今から1140年前、すごいです!
神職の高井氏は、少なくとも大永二年(1522)から代々世襲で続いているというのですから、それもまたすごいことです。
ご祭神が牛頭天王(ごずてんのう:スサノオノミコトのこと)であることから、高井氏は天王大夫(てんのうだいふ)と呼ばれ、西上州すべての神職の上に君臨していたといいます。
その権力とご威光もまた、さぞかしすごいものだったことでしょう。
もしかすると、長い間のその権力とご威光をかさにきて・・・ということもあったかも知れません。
あるいは、その地位を狙うものが出てきたのかもしれません。
永禄末年(1570)に武田信玄が、新たに伊藤大夫という人に替えたというのも、きっと何かあってのことでしょう。
ところが、一旦は権力の座に就く伊藤大夫でしたが、なぜか不可思議な出来事が次々と起こります。
堪らず、伊藤大夫は、就任後10年の天正八年(1580)、剣や面を神楽塚に埋めてから逃げ出したといいますが、それも不自然な気がします。
しかもそのあと、伊藤大夫は行方知れずになっています。
埋められたのは、剣や面だけだったのでしょうか?それとも・・・。
再び神職の座に戻った高井氏は、埋められた面を掘り起こして神宝とします。
伝説とともに、自身の職を正当とする証としたのでしょう。
そして、神楽塚には捩じれた杉の木が残りました。
埋められた剣が「ねじれ杉」になったといいますが、なぜ剣のまま掘り起こせなかったのでしょう?
そして、なぜ苦しそうに身をよじるような姿の杉になったのでしょう?
もしかして、伊藤大夫・・・。
神楽塚の茂みの中に、隠れるように石宮と鳥居が建っています。
いつの世も、権力争いには不可思議な出来事がつきもののようです。
科学万能、情報化社会の現代では、どうなのでしょう?
「ねじれ杉」は芯が空洞になりながらも、昭和四十五年(1970)頃まで生き続け、子どもの夜泣きに霊験があるとされていたそうです。
ところが、この空洞に火をつけた者がいて、三日間燃え続けたといいますが、ついに枯死してしまいました。
いずれ、その姿を留めぬほど朽ち果ててしまうでしょう。
見ておくのなら、今のうちかもしれませんよ。
【神楽塚】