2024年07月13日

初めの中山道(2)

「初めの中山道」は、砂賀町で左折(東進)して中居方面へ向かっていたようですが、明治十七年(1884)に開設した「高崎停車場」により分断されました。
初めの中山道(2)
分断後は「大信寺」の北側を迂回して、もとの道へ接続していることが分かります。

その接続地点が東三条通りのここで、渡った先の道が「初めの中山道」ということになります。
初めの中山道(2)

さて、この先のルートなのですが、「観光たかさき」には「中居から下之城を経て、倉賀野へ出た」と書かれているだけで、甚だぼんやりとしています。
手掛かりは、昭和二年(1927)発行の「高崎市史 下巻」の記述です。
是ヨリ佐野村、大字中居、小字砂子、鍛治屋敷ヲ經テ下ノ城、東方倉賀野永泉寺前ニ出ヅ」
ポイントが少し増えました。

「砂子」は分かりませんが、「鍛治屋敷」は明治四十年(1907)の地図にありました。
初めの中山道(2)

これらを参考に、明治十八年(1885)の地図でルートを推定してみましょう。
初めの中山道(2)

では、歩いてみますか。
東三条通りから、とにかく真っ直ぐ東へ進みます。
300mほど進むと、岩押三角公園の所で二又に分かれますが、左の道が昔の道です。
初めの中山道(2)

「岩押」(いわおし)という町名も面白いですね。
田島桂男氏著「高崎の地名」に、その謂れが書いてあります。
『岩押』の名は、諏訪信仰にかかわる人たちによってつけられたとみられる。
長野県の諏訪大社は上・下両社があり、御神体は宮山といわれる岩山である。
町内にあった『ガラン塚』と呼ばれていた古墳を宮山に見たてて、墳丘上に諏訪神社を祀ったという。
古墳には巨石を使った石室があり、この巨石を押し築いたという意味で、『岩押』となったということである。」
でも、その「諏訪神社」があるのは岩押町ではなく、高関町なんですよね。
初めの中山道(2)

同書にはもう一つの説も載っています。
あるいはまた、地内を長野堰が流れていて、堰の掘削、農業用水を通すための石押しが『岩押』になったともいわれている。」
なんか、こちらの説の方がすんなり腑に落ちるような気がします。

土屋喜英氏著「高崎漫歩」も、「石押→岩押」説です。
岩押町の地名については判然としないが、古い記録の中に押塚、押塚平など記されており、『押塚中無水小堀有』とある。(略)
『近傍村誌』によると、『・・・本村ハ高堰村ニ隣リシ村ニテ、此処モ堰ニ拠ル名義ナルベシ、サレバ岩押ハ石(いわ)押ノ義ニテ堤防ノ意ヨリ然カ云シナルベキ』とある。
その昔押塚平と称していたが、長野堰の開さく以来各所に堰を設けるため堤が築かれ、石押が転じて岩押になったのではなかろうか。」

先へ進みましょう、公園の角を右折します。
初めの中山道(2)

すぐの信号を左折。
初めの中山道(2)

100mほど行くと橋があって、その手前を右折します。
初めの中山道(2)

その先は水路に沿って二本の道が平行していますが、左の道を行きます。
初めの中山道(2)
この水路は、「円筒分水」で分かれた「長野堰」の分流「倉賀野堰」「矢中堰」です。
水路の中に、三基の石碑が建っています。

ひとつは「倉賀野・矢中堰改修記念碑」
初めの中山道(2)
昭和十五年(1940)の建立で、書の「君山」とは根岸峮太郎だそうです。

もうひとつは、ここに架けられた橋について刻まれている碑です。
初めの中山道(2)
すべて漢文で、文字を追えば書かれていることは何となく分かるんですが、忍耐を要します。
そしたら、「高崎漫歩」に要約が載っていました。
ありがたく転用させて頂きます。
岩押と上中居の境は八堰といい、木橋を架け、高崎・伊勢崎間の補助道である。
この木橋が腐ったので、御影石で永久橋を架ける計画を立て、この橋を利用する高崎をはじめ倉賀野、矢中などの人たちの喜捨と県の補助金をもって竣工した。
明治三十三年(1900)四月二十八日に開橋の式を行った。」
橋の名前は「祝橋」と付けられたそうです。

残る一つには「法華経一千部」と刻まれています。
初めの中山道(2)
この辺に「経塚」でもあったんでしょうか。

80mほど行くと、道はまた二又に分かれますが、左へ行きます。
初めの中山道(2)

さらに260mほど行くと、高崎駅東口から来る大きな道に遮られますが、昔はまっすぐ道が続いていたのです。
初めの中山道(2)

今日はここまでにしときましょうか。


【今日の散歩道】
初めの中山道(2)





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Posted by 迷道院高崎 at 06:00
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