
高崎駒形線の昭和大橋を渡って、漬物の「たむらや」の角を左に曲がると、「魚遊寺」という面白い名前のお寺を見つけた。
立派な山門があり、仁王様が阿吽(あうん)の形相で門番をしている。
その山門に、「魚遊寺」の由来が板書されていた。
面白かったので、ご紹介しよう。
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乗明院は正しくは、公田山乗明院魚遊寺といいます。
魚遊寺という寺号の由来は、次のような伝説があります。
承和年間(834~847)つまり平安初期に、この地に仏教を広めに来られた慈覚大師が、自ら彫刻した釈迦如来を安置するためにお堂を建てたのが、この寺のはじまりと伝えられています。

驚いた郡司は、了賀阿闍梨(この寺の初代住職)を招き、自分が魚を釣ろうとした殺生の罪を詫びて、お経をあげてもらい、一心に祈りました。
すると、煮えたぎっていた池のお湯は、不思議にも静まり、もとの水となり、しかも水の中には、何事もなかったかのように魚たちが群れをなして泳いでいるのでした。
郡司は、この姿をみて大変喜び、この寺を再建して寺の名を公田山乗明院魚遊寺と称したといいます。
現在では、魚遊寺の名は薄れ、乗明院の名が広く知られています。
魚遊寺のいわれには、魚と池が関係していたようです。
現在でも寺の周囲には、幅3m程の堀がめぐらされ、その昔をしのばせています。
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今の世の中も、池と同じに煮えたぎっている。
きっと、為政者が自分の楽しみだけで魚を釣っているからだろう。
殺生の罪を詫び、
民のためを思って一心に祈らねば、
池はいつまでも煮えたぎる。
【公田山乗明院 魚遊寺】