2008年12月11日

あの頃みんな(?)貧乏だった

あの頃みんな(?)貧乏だった「みんな」と言うと、そうでなかった人に怒られるかもしれないが、そう言いたくなるぐらい「ウチは貧乏だ。」と思っていた子供は多いと思う。
昭和20年~30年代のことだ。

左の写真は私が小学校へ上がる時に、記念に撮ってもらった写真だ。
「帽子」「運動靴」「学生服」「ランドセル」「上履き」「上履き袋」、どれひとつ親は買う金を持っていなかった。
入学式直前、ある人が私の母親に「おばさん、○○坊のランドセルはあるんかい。」と訊ねた。
その人は、床屋をしていた我が家のお客さんで、職業は「寅さん」と同じだった。
我が家の状況をよく知っていての質問だった。
寅さんは「わかった、俺に任しときない!」と言って、私の上から下まですべて買い揃えてくれたのだ。
母親からその話を聞いた時は、もう寅さんの消息は分からず、いまだにお礼を言うこともできていない。

そんな貧乏な我が家に、隣の家の子が「おばさん、電気がつかなーい。」と言って来たことがある。
その家も、我が家に劣らぬ貧乏暮らしだった。
母が行ってみて、どうも電球が切れているらしいとわかると、父には内緒で、そっと電球を買ってきてつけてやった。
父が「あれ?隣は電気がついたらしいな。」と言うと、しらばっくれて「あれ、そうげだね。」と言っていた。
そんな母親だった。
隣の家の子がご飯を食べてないと聞けば、自分の家が食うに困っているにもかかわらず、冷や飯を持って行って食べさせたりもしていた。
今風に言えば、「貧貧介護」だが、みんなが貧乏だったけど、みんなが助け合っていた時代だったように思う。

今、不況の嵐に巻き込まれ、職を失う人達が大勢出ている。
我が家は貧乏だったが、それでも僅かな日銭と、人と人との助け合いで何とかしのぐことができた。
今、職を失った人は日銭すら入らないのかと思うと、その不安、辛さは痛いほどよく分かる。
本当は、ワークシェアリングをしてでも雇用を守るべきだったと思うが、事ここに至っては仕方がない。
今こそ、富める者も貧しき者も、持てるものを持ち寄って、あの頃のように助け合うことができないものだろうか。


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