2023年11月25日

真珠塚

高崎駅東口から真っ直ぐ東へ行って、スパゲティ屋「はらっぱ」のちょっと先に、植え込みがあります。


そこに小さな碑があって、「真珠塚 普門山正観寺」と刻まれています。

それ以外、謂れも何も書いてありません。
国道354号線バイパスの上中居地区の開通が平成十八年(2006)頃なので、現在の「真珠塚」碑はその頃新しく建てられたのだろうと思います。
それ以前、ここに塚があったのか、碑が建っていたのか、それが分かりません。

気になるので、350mほど東南にある「正観寺」へ行ってみました。


境内に、「古墳供養塔」というのが建っていたので、あ、「真珠塚」も古墳だったのかな、と思ったのですが・・・、

「真珠塚」という名前はありません。

「上毛古墳綜覽」にも載っていませんでした。


ご住職にもお尋ねしたのですが、「分かりません。寺が火災に遭ってすべて焼けてしまいましたので。」
ということです。
火災のことは「新編高崎市史 資料編14」に書いてありました。
昭和十八年四月十一日、防空演習の消火訓練のため境内で火を燃やしていた時、その火が本堂に燃え移り、大勢の見ている前で全焼。
その後高野山より聖観世音像を授与され本尊とした。」
ありゃりゃ、消火訓練中の火災だったんですね。

という訳で、「真珠塚」の謂れは分からずじまいだったんですが、「上野国西群馬郡寺院明細帳」「正観寺」由緒に、気になることが書いてありました。
「大永五(1525)乙酉年十月廿四日建立、開山大阿闍梨法印賢祐修験真壽院正門」
文字は「真珠」「真壽」で違うのですが、「しんじゅ」という点では共通しています。

また、「正観寺」のある所は前屋敷という字(あざ)なんですが、境外所有地として八つの字に寺領があって、その中のひとつ辻薬師という字に「真珠塚」があるのです。


もしかして、ここは「正観寺」の寺領だよ、と示す標識が「真珠塚」だったのでしょうか。
分かりません。

どなたかご存知の方、ご教示ください。


【真珠塚と正観寺】



  


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2023年11月18日

隠居の控帳 覚悟?錯誤?妄語

戦うのは下々の皆さんで、俺(麻生)じゃねぇよ・・・ってか?

そう言えば、8年前にこんな記事を書いていた。
  ◇隠居の控帳 戦争絶滅法案

戦争を始める指導者の特質は、主観的願望を客観的事実にすり替える。(保坂正康)



  


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2023年11月11日

城南の「遭難之地」碑

国道17号線の「城南」交差点。

正面の建物は「城南小学校」です。

交差点を烏川沿いに下流へ70mほど行くと、左側の石垣下に石碑が建っています。



「遭難之地」と刻まれた碑の上部には、「松島輝男君、木村茂樹君、新後閑崇君、黒沢伸夫君」と四人の氏名が列記してあり、左下には「厄除地蔵尊保存会建之」とあります。
左側面を見ると、「贈建碑記念」として二人の高崎市議会議員「関口市吉、馬場清三郎」の名が刻まれています。

この碑は、昭和三十四年(1959)に起きた悲惨な事故の跡地に建てられたものです。
どんな事故だったのかは十三年前の記事に書いてありますので、こちらからご覧ください。

現在お地蔵様は、荘厳寺境内の改修により、平成二十五年(2013)に新築された「真如堂」内に移されています。



「地蔵菩薩建立縁起」の碑も新しくなりましたが、碑文は前と同じです。


お地蔵様は、真如堂に入った左隅に安置されています。


捜索時の写真と、葬儀の写真も掲示されていました。




「一切衆生の厄難を消除し
      就中 児童生徒を育成守護せられんことを」



【遭難之地碑と真如堂】



  


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2023年11月04日

おい!おい!おい!


本当に必要なのは、国民への愛!愛!愛


  


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