高崎駅東口から真っ直ぐ東へ行って、スパゲティ屋「はらっぱ」のちょっと先に、植え込みがあります。
そこに小さな碑があって、「真珠塚 普門山正観寺」と刻まれています。
それ以外、謂れも何も書いてありません。
国道354号線バイパスの上中居地区の開通が平成十八年(2006)頃なので、現在の「真珠塚」碑はその頃新しく建てられたのだろうと思います。
それ以前、ここに塚があったのか、碑が建っていたのか、それが分かりません。
気になるので、350mほど東南にある「正観寺」へ行ってみました。
境内に、「古墳供養塔」というのが建っていたので、あ、「真珠塚」も古墳だったのかな、と思ったのですが・・・、
「真珠塚」という名前はありません。
「上毛古墳綜覽」にも載っていませんでした。
ご住職にもお尋ねしたのですが、「分かりません。寺が火災に遭ってすべて焼けてしまいましたので。」
ということです。
火災のことは「新編高崎市史 資料編14」に書いてありました。
ありゃりゃ、消火訓練中の火災だったんですね。
という訳で、「真珠塚」の謂れは分からずじまいだったんですが、「上野国西群馬郡寺院明細帳」の「正観寺」由緒に、気になることが書いてありました。
「大永五(1525)乙酉年十月廿四日建立、開山大阿闍梨法印賢祐修験真壽院正門」
文字は「真珠」と「真壽」で違うのですが、「しんじゅ」という点では共通しています。
また、「正観寺」のある所は前屋敷という字(あざ)なんですが、境外所有地として八つの字に寺領があって、その中のひとつ辻薬師という字に「真珠塚」があるのです。
もしかして、ここは「正観寺」の寺領だよ、と示す標識が「真珠塚」だったのでしょうか。
分かりません。
どなたかご存知の方、ご教示ください。
そこに小さな碑があって、「真珠塚 普門山正観寺」と刻まれています。
それ以外、謂れも何も書いてありません。
国道354号線バイパスの上中居地区の開通が平成十八年(2006)頃なので、現在の「真珠塚」碑はその頃新しく建てられたのだろうと思います。
それ以前、ここに塚があったのか、碑が建っていたのか、それが分かりません。
気になるので、350mほど東南にある「正観寺」へ行ってみました。
境内に、「古墳供養塔」というのが建っていたので、あ、「真珠塚」も古墳だったのかな、と思ったのですが・・・、
「真珠塚」という名前はありません。
「上毛古墳綜覽」にも載っていませんでした。
ご住職にもお尋ねしたのですが、「分かりません。寺が火災に遭ってすべて焼けてしまいましたので。」
ということです。
火災のことは「新編高崎市史 資料編14」に書いてありました。
「 | 昭和十八年四月十一日、防空演習の消火訓練のため境内で火を燃やしていた時、その火が本堂に燃え移り、大勢の見ている前で全焼。 その後高野山より聖観世音像を授与され本尊とした。」 |
という訳で、「真珠塚」の謂れは分からずじまいだったんですが、「上野国西群馬郡寺院明細帳」の「正観寺」由緒に、気になることが書いてありました。
「大永五(1525)乙酉年十月廿四日建立、開山大阿闍梨法印賢祐修験真壽院正門」
文字は「真珠」と「真壽」で違うのですが、「しんじゅ」という点では共通しています。
また、「正観寺」のある所は前屋敷という字(あざ)なんですが、境外所有地として八つの字に寺領があって、その中のひとつ辻薬師という字に「真珠塚」があるのです。
もしかして、ここは「正観寺」の寺領だよ、と示す標識が「真珠塚」だったのでしょうか。
分かりません。
どなたかご存知の方、ご教示ください。
【真珠塚と正観寺】