
「高崎五万石騒動」を伝える原典とも言える書籍が、細野格城氏の著書「五萬石騒動」です。
格城氏は十四歳の時に、実際に騒動に加わっており、後に人の勧めもあって明治四十四年(1911)にこの本を発行しています。
(写真は諏訪神社保管のもの)
ということで、原典たる格城氏の本に「丸茂元じ郎」がどのように表記されているのか、気になってきたという訳です。

端末で検索すると、著者で細野格城というのは出てきません。
ただ、著者・細野平格というのがありました。
(郷土史家で五万石騒動研究家の萩原慧先生にお尋ねしたところ、細野格城と細野平格は同一人物だそうです。2009.06.26)
「貴重本 禁帯」となっている本を、書庫から出してきて頂くと、まさに原本っぽい装丁でした。
巻末に記載されている発行年を見ても、間違いなさそうです。
わくわくしながら、頁をめくっていくと、ありました!
おー!丸茂元次郎だ!
と、一瞬、嬉しくなったのですが・・・。
まてよ?細野格城が字を間違えていたら・・・?
と、またまた、疑問が湧いてきてしまいました。
そこで思い付いたのが、高崎歴史民俗資料館で今展示されている、五万石騒動参加者の連判状です。
連判状ならば、本人が書いているはずだから間違いありません。
我ながらいい所に気がついた!と、喜び勇んで早速資料館まで足をのばしました。
しかし、残念!
連判状は、小塙村大総代・小嶋文次郎のご子孫が保存していた17枚のみで、中居地区のものは残っていないのだそうです。
がっかりして帰りかけた時、ふと展示されている古文書に目が留まりました。
それは、丸茂元次郎と山田勝弥に対する減刑の嘆願書でしたが、そこには「元次郎」と記されていました。
ということで、どうやら「元次郎」が優勢のようです。
さらに白黒はっきりさせるには、戸籍を調べる手が残っていますが、果たして残っているんでしょうか?
ま、そこまでしなくても・・・、素人追跡はここまでにいたしましょう。
でも、面白かったです。