
日本に初めて「キリスト教」を伝えたのは、1549年ポルトガルのフランシスコ・ザビエルだという。
ザビエルは鹿児島に滞在中の80日間、日本人を観察し、ローマ法王にこんな報告をしている。
(和辻哲郎著「鎖国」より)
「 | 日本は今まで会って来た異教徒の中で一番すぐれている。 一般に善良で名誉を重んじる。 |
生活は、一般に貧しいが、貧しさを恥としない。 貧しい武士に対して、豊かな商人達が尊敬の態度をとっている。 武士は、いくら貧しくても、決して富める商人の娘とは結婚しない。(略) |
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また日本人は一般に善良で盗みを憎む。 罪悪が少なく、道理が支配する国である。(略)」 |
今の日本人が聞くと、気恥ずかしい思いがする。
だが、ザビエル来日47年後の1596年、豊臣秀吉は「キリシタン」の迫害を始める。
その後の徳川政権でも、迫害は続いた。
驚くべきは、明治になってからもなお「キリシタン」弾圧が強化・行われていたという事実である。
明治元年12月から始められた「配流」で、「キリシタン」達は九州から中国・四国・近畿の各地へ船と徒歩で強制移動させられた。
この迫害は、諸外国から「キリスト教徒を迫害するような野蛮な国とは、条約は結べない。」と拒まれる明治6年まで続くことになる。
それでも、ザビエルが来日してからの60年で、日本人「キリシタン」は30万人を超えたという。
九州・中国地方の信者は「隠れキリシタン」となって信仰を続け、迫害を逃れて関東・東北まで流れてきた。
キリシタン研究家の神原和荘氏によれば、「隠れキリシタン」が日本で一番多いのは群馬県らしい。
脚本家の田中澄江さんが、「群馬の隠れキリシタン」という本を出している。
読んでみると、日本の「キリシタン」迫害に至る要因が、いくつか出てくる。
1.旧教(カトリック)と新教(プロテスタント)との、勢力拡大競争。
2.キリスト教の布教拡大を利用した、諸外国の貿易利権争奪競争。
3.自国の領土を奪われるのではないかという、猜疑心と恐怖。
これらの要因は、いまだに生き続け、地球上で様々な差別と紛争を生みだしている。

「宗教」とは、本来、人々を幸せにするはずのもの。
「宗教」によって人々が悲しむことのないように、地球上の一人ひとりが考えなければなるまい。
【隠れキリシタンの墓】