
柴崎町の進雄神社前の道を東に進むと、パチンコ店の駐車場の角に「庚申塔」「双体道祖神」とともに、一本の「道標(みちしるべ)」が建っています。
やや風化して読み難くなっていますが、
東 岩鼻村及玉村町通路
西 上中居ヲ経テ高崎至ル
北 下大類ヲ経テ前橋市ニ至ル
南 矢中ヲ経テ倉賀野ニ至ル
と刻まれています。
この辻から南北に通る道は、今でこそ狭い路地のような道ですが、昔は倉賀野河岸で揚げた荷を、京目を通って前橋まで運ぶ重要な道だったそうです。


昔の「七曲り」は、欅や樫の木の大木が生い茂り、竹藪にも覆われた昼なお暗い道だったといいます。
ましてや夜は、鼻を抓まれても分からない真の闇。
そんな夜にこの橋を渡ろうとすると、橋の下から、
ショキ、ショキ、ショキ、ショキ・・・という音が聞こえ、
「小豆とぎやしょか 人取って喰いやしょか」
という、しわがれ声が聞こえてくるのだそうです。
「小豆とぎ婆」の話は、他の各地にも伝わっていますが、いずれも川や橋のそばに出るようです。
水路の水音を、人間の怖いという思いがそう聞かせたものかも知れません。
あるいは、「暗い夜道に橋を渡って足でも踏み外したら大変だから、近づくんじゃないよ。」という古老の戒め話なのかも知れません。
現代では「小豆とぎ婆」は姿を消し、代わりに「ひったくり」や「チカン」が出るようです。


←蔵を通り過ぎて角を曲がり、もうひとつ角を曲がってから振り返ると、これまた素晴らしいお屋敷の建物が目に入ります。


←少し行った右側に、「御嶽山大神」と刻まれた石碑が、小高い塚の上に建っています。
なぜここに「御嶽山大神」が祀られているかは分かりませんが、高崎周辺では明治の中頃に御嶽教が大流行したようで、街なかの九蔵町には、その名も「御嶽山神社」というのが現存します。
この道を進んで大通りを右に曲がると、以前ご紹介した「ゴロゴロ山」があります。
倉賀野までは、まだまだ道のりがありますので、あとは明治十八年(1885)の地図を見て頂くことに致しましょう。
【柴崎の道しるべ】
【小豆とぎ婆の出る橋】
【御嶽山大神】
【ゴロゴロ山】