2009年07月31日

女へんに男と書いて・・・

  ←こんな字があるんですね。
さて、何と読むでしょう? (*^_^*)

女へんに男と書いて・・・五万石騒動の影の指導者といわれる小園江丹宮の墓が、宿大類町慈願寺(じがんじ)にあるというので行ってみました。

慈願寺は、永禄元年(1558)に、高崎城の前身である和田城の城主・和田信業の開基といいますから、随分と由緒あるお寺です。
もっと前の戦国時代には、大類城の一部になっていたそうです。

女へんに男と書いて・・・普通のお寺は、山門を入った正面に本堂があるものですが、ここはまっすぐ進むと本堂の脇を抜けて、二本の松の木の下に出ます。

この二本の松の木が、
名木「夫婦(めおと)松」です。
実は、これを言いたいがために「娚」の字を出した訳でして、じつはこの字も「めおと」と読むんだそうです。
(・・・まさか、「おか※」なんて思った人はいないでしょうね。)

この「夫婦松」「娚松」と書く方がふさわしい位に寄り添って、仲睦まじく手を取り合っているように見えます。
慈願寺開基と同じ永禄元年の植樹といわれていますから、樹齢450年ということになります。
どちらの松も、幹に大きな洞(うろ)が空いていますが、それでも立派な枝葉を茂らせていて、その生命力にあやかりたい程です。
「夫婦松」を潜った先には、「当寺開山和田兵部少輔」という額の掛った建物があります。

と、その横で草むしりをしているご婦人がいるのに気がつきました。
奥様でしょうか、目元のとても美しい素敵なご婦人でした。
ちょっとどぎまぎしながら、取り敢えず怪しい者でないことを伝えようと、
「夫婦松というのはこれですか?」などと、知っているくせに聞いてしまいました。

そんな私を訝(いぶか)ることもなく、こんな話をしてくださいました。

この建物は、今は観音堂になっているが、昔はここに本堂があったのだそうです。
しかし、明治の初めに火災で焼失してしまい、本堂は山門の右手に建て替えたということです。
「夫婦松」の幹が空洞になってしまったのは、この時の火災の熱で、片側が焼け焦げてしまったためだそうです。
今は樹齢が古いこともあり、定期的に樹木医さんが来て、手当てをしているのだと仰っていました。

女へんに男と書いて・・・奥様に、小園江丹宮の墓の場所を聞くと、ご親切に案内して頂きました。

大きな板碑の墓ですが、本当はもっと大きかったのだそうです。
段々、手前に傾いてきたので、少し短くしたのだとか。
「流石、偉大な教育者のお墓ですね。
実るほど頭(こうべ)を垂れるんですね。」
と軽口を言いかけて、ぐっと飲み込みました・・・。

丹宮の長男、小園江章もまた教育の道を歩み、初代佐野小学校長、中央小学校長などを務めたそうです。
ただ、不思議なことにそのお墓は、慈願寺でなく龍廣寺にあるのだといいます。
ここ慈願寺も、代々寺子屋を開いて村人たちの教育にあたっていて、山門を入ったところに、子弟が建てた「筆子塚(ふでこづか)」というのがあると、奥様にお聞きしました。

昔は、が教育にあたったことで、単なる「読み書きそろばん」の習得だけでなく、人間としての「徳」の心も、自然に醸成されたことでしょう。
案外、現代における教育のヒントも、そんな、かつての寺子屋にあるのではないでしょうか。

【慈願寺】


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Posted by 迷道院高崎 at 07:57
Comments(6)◆高崎探訪
この記事へのコメント
娚の字を漫画では(おとこ)と読ませたりもしているみたいですね。
でも主人公は女性のようですよ。

嬲、嫐って漢字もありますね。
和製漢字なのでしょうか。

・・・ってスミマセン。
関係ない事を検索してしまいました(汗)
Posted by AO  at 2009年07月31日 11:10
お!
慈願寺ですね!!
こちらの奥様も美人でいい方で・・・。
いつも掃除をされていて、頭が下がります。
だから、小園江丹宮のお墓も・・・。
Posted by 弥乃助  at 2009年07月31日 18:10
>AOさん

えー!「おとこ」って読ませてるんですかー?
知りませんでしたー!
麻生さんなら知ってたんでしょうが・・・。

古今東西、男女の関係はいろいろな文化を生むんですね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年07月31日 19:17
>弥乃助さん

最近、冴えてますね~。
石灯籠に頭ぶつけたせい?

慈願寺の奥さんに会うことがあったら、よろしく言っておいて下さい。
一応、名刺は渡しておいたんですが・・・。
いや、別に他意はないんですよ、他意は・・・。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年07月31日 19:26
2つの点で驚きました。
1つ目
アップした日付が
7月31日。
小園江丹宮と元治郎の命日。

二つ目
慈願寺は母の姉の
嫁ぎ先の菩提寺。
伯父・伯母の
葬儀や法要で
お世話になっているお寺さんでした。

小園江丹宮の
墓があることを
今まで
知りませんでした。

近いうちに
墓参したいと思います。
Posted by いちじん  at 2011年09月06日 14:39
>いちじんさん

すごい偶然ですね!
あ、必然だったのかな。

いちじんさんの誕生日も、小園江丹宮と元治郎の命日と1日違いだそうですね。
何か使命を帯びて生まれてるんでしょうね。
バイタリティ溢れるいちじんさんを見てると、そう思います。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2011年09月06日 19:31
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