
坂下に立って見上げると、今でもあの頃の雰囲気が残っている。
大きく違うのは、坂の途中右手が有料駐車場に変わってしまったことだ。
ここには昔、鬱蒼とした日本庭園があった。
学校の行き帰りに、囲いからはみ出しているクローバーの葉を採って、軸を絡ませて引っ張りっこをしたものだ。

「蟹下苑」は、貴族院議員だった桜井伊兵衛氏の別荘の庭だったという。(「高崎の散歩道」吉永哲郎氏より)
「高崎三名園」のあと2つは、椿町に今もある「暢神荘(ちょうじんそう)」と、現高崎郵便局の斜め角にあった、銀行家・小沢宗平氏「別宅」の庭園を指すらしいが、残っているのは、「暢神荘」のみということになる。

今は、病院は閉鎖されているが、子どもの頃この病院で扁桃腺を手術で取ってもらったことがある。
その時見た庭園の素晴らしさに、子ども心にも感動した記憶がある。
不思議なことに、大人になってからも夢の中に度々ここの庭園が出てくるのである。
中へ入って、お庭を見せてもらいたい衝動に駆られたが、シャイな性格が邪魔をして訪ねる勇気が出てこない。
塀の外をぐるりと回ってみると、お隣に素晴らしい洋風の庭園を発見した。


ちょうど、ご婦人が脚立に登って薔薇のお手入れをしていたので、勇気を奮って声を掛けさせて頂いた。
聞けば、「松山病院」さんのご親族の方で、ご自分のHP「私の庭へようこそ」も作っておられるという。
春には、しだれ桜も咲いて、緑の芝生とのコントラストが素晴らしいそうだ。
その頃、またお邪魔する約束をして、失礼した。

中から出てきたのは、美人の奥様であった。
多少どぎまぎしながら、手術をしてもらった時のこと、この近くに住んでいたことなどを話すと、なんと!この方は昔の我が家のことや父のことをよくご存知であった。

池の水は長野堰からの引水なので、この季節は水が来ないのだそうだ。残念であった。
家に帰って写真を見ると、庭園の素晴らしさが、うまく撮影されていなかったのも残念であった。
写真の腕が悪いせいか、それとも、ドキドキしながら撮ったせいだろうか・・・。
涸れ池に 幾歳月の 思ひ湧き
迷道院
【蟹下苑跡・松山耳鼻咽喉科跡】