2009年01月22日

蟹下苑

蟹下苑中央小学校から堰代町へ抜ける、細い坂道がある。

坂下に立って見上げると、今でもあの頃の雰囲気が残っている。

大きく違うのは、坂の途中右手が有料駐車場に変わってしまったことだ。
ここには昔、鬱蒼とした日本庭園があった。
学校の行き帰りに、囲いからはみ出しているクローバーの葉を採って、軸を絡ませて引っ張りっこをしたものだ。

蟹下苑その庭園が、「高崎三名園」のひとつ、「蟹下苑(かにしたえん?)」だと知ったのは、このブログを書き始めてからのことだ。

「蟹下苑」は、貴族院議員だった桜井伊兵衛氏の別荘の庭だったという。(「高崎の散歩道」吉永哲郎氏より)

「高崎三名園」のあと2つは、椿町に今もある「暢神荘(ちょうじんそう)」と、現高崎郵便局の斜め角にあった、銀行家・小沢宗平氏「別宅」の庭園を指すらしいが、残っているのは、「暢神荘」のみということになる。

蟹下苑ちょっぴり寂しい気分になり、ふと思い出したのは、柳川町にあった「松山耳鼻咽喉科」の庭園である。

今は、病院は閉鎖されているが、子どもの頃この病院で扁桃腺を手術で取ってもらったことがある。
その時見た庭園の素晴らしさに、子ども心にも感動した記憶がある。
不思議なことに、大人になってからも夢の中に度々ここの庭園が出てくるのである。
中へ入って、お庭を見せてもらいたい衝動に駆られたが、シャイな性格が邪魔をして訪ねる勇気が出てこない。

塀の外をぐるりと回ってみると、お隣に素晴らしい洋風の庭園を発見した。
蟹下苑蟹下苑
ちょうど、ご婦人が脚立に登って薔薇のお手入れをしていたので、勇気を奮って声を掛けさせて頂いた。
聞けば、「松山病院」さんのご親族の方で、ご自分のHP「私の庭へようこそ」も作っておられるという。
春には、しだれ桜も咲いて、緑の芝生とのコントラストが素晴らしいそうだ。
その頃、またお邪魔する約束をして、失礼した。

蟹下苑良い方との出会いにより少し勇気が湧いたので、もう一度「松山病院」に戻り、インターフォンを押してみることにした。

中から出てきたのは、美人の奥様であった。
多少どぎまぎしながら、手術をしてもらった時のこと、この近くに住んでいたことなどを話すと、なんと!この方は昔の我が家のことや父のことをよくご存知であった。

蟹下苑ひとしきり昔話に花が咲き、何となくそわそわしながらお庭の写真を撮らせて頂いた。

池の水は長野堰からの引水なので、この季節は水が来ないのだそうだ。残念であった。

家に帰って写真を見ると、庭園の素晴らしさが、うまく撮影されていなかったのも残念であった。

写真の腕が悪いせいか、それとも、ドキドキしながら撮ったせいだろうか・・・。

   涸れ池に 幾歳月の 思ひ湧き
迷道院


【蟹下苑跡】

【松山耳鼻咽喉科跡】


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Posted by 迷道院高崎 at 07:42
Comments(3)◆高崎探訪
この記事へのコメント
中央小正門、そうですねその坂の入り口近くにあった、中央小小学生御用達の“駄菓子屋”。
まだ20代のころある駄菓子を求めて通いました。そうです、その駄菓子とは“ボタンキョウ”です。その昔はほとんどの駄菓子屋さんで、ガラス瓶の中でプカプカ浮いて売られていました。夏場は中央プールでも、昭和、城南プールでもなぜか必ず売られていました。もうどこにも売ってませんね(笑)。ところで、“松山耳鼻科病院”ですけど、どうしちゃったんでしょうね「カラオケ屋」さんになっちゃってます。娘が小さい頃何度か通いましたけど、無愛想でぶっきら棒で温厚な僕でも(?)キレそうになったことがあります(笑)。
結構高崎の町には歴史の中に閉ざされている「お宝」なものや場所がありますね。次はどんな所をご案内していただけるか楽しみにしています。
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2009年01月22日 18:25
そうそう、中央小と言えば 昭和24歳さんのおっしゃる様に駄菓子屋さんですよね。
確か焼きそばもやっていたような・・・。
中学校の時行ったことがあります。
今もあるのかなぁ。
おいらは北小だったので栃木屋ですよ。
おでんがおいしかったなぁ。
こちらも今もあるのかなぁ・・・。
あ、花より団子になっちゃいました。
Posted by 弥乃助弥乃助  at 2009年01月22日 20:54
>昭和24歳さん、弥乃助さん

駄菓子屋さん、私もよく行きました。
坂の角と、もう一軒正門に近い所にもあったんですよね。

あと、私の馴染みの貸本屋さんもありました。
おしっこを我慢しながら、長時間立ち読みしたもんです。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年01月22日 22:46
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