2011年07月17日

縄手へ行ってました

そろそろお腹が空いてきたので、お蕎麦でも食べようとやって来たのがここ。
松本「縄手(なわて)通り」にある、明治十年(1877)創業の老舗「弁天」本店です。

「おひさま」陽子が嫁いだ「丸庵」のモデルだと言われています。

ただちょっと不思議なことが・・・。
先日放送された「鶴瓶の家族に乾杯」で、「おひさま」春樹役をした田中圭さんと鶴瓶さんが、この「弁天」に寄り込んでましたが、「丸庵」のモデルだという話は一切出ませんでした。

「弁天」自身そのことを知らないのか、はたまた単なる噂なのか・・・。
お蕎麦を食べながら聞いてみようと思っていたのですが、入り口には、
「本日休業」の看板が!!
縄手へ行ってました
「弁天」のある「縄手通り」のシンボルは、「カエル」だそうです。

縄手へ行ってました


拠りどころとなったのは、やはり昔の町の思い出だったんですね。

縄手へ行ってました
カジカ蛙が沢山いたという「女鳥羽(めとば)川」には、名前の由来がちゃんと紹介されています。

このような由来を書いた看板は、薀蓄好きの旅人にとっては嬉しいですし、市民にとっても郷土愛を育む効果があるのではないでしょうか。

縄手へ行ってました近くには、「花いっぱい運動発祥の地」碑と、とてもお洒落な広告塔が建っています。

時計の下には松本城のシルエットが、その下にはこんな言葉が刻まれています。
「市民の英知と勇気をもって
 ここに理想の都市を建設しよう」


縄手へ行ってました女鳥羽川沿いに250mほど続く「なわて商店街」には長い歴史があり、明治九年(1876)に松本城の南惣堀(そうぼり)を埋めて露店を並べたのが始まりだそうです。

平成十三年(2001)に全面改修されていますが、昔懐かしい風情の、統一感ある、しかし個性的な、様々な分野の小さなお店が立ち並んでいます。
シャッターの下りている店は一軒も見当たりません。

お腹が空いていなければ、もっとゆっくり歩いてみたい商店街でした。
いま活性化に頭を痛めている商店街の、お手本となる街だと思いました。
ただし、お手本にするのは目に見える形に止まることなく、その心意気をも学ぶことが大切なのでしょう。





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Posted by 迷道院高崎 at 06:50
Comments(2)◆出・たかさき
この記事へのコメント
女鳥羽川の名前の由来に「妙義山」が出て来て
ビックリです。
もとは古墳だった小さな山のようですが、
松本にも「妙義山」があったなんて・・・。
松本といえばお城とありふれた観光コースしか
知りませんでしたが、よい旅をされましたね^^。
Posted by 風子風子  at 2011年07月17日 15:11
>風子さん

あるんですねー、妙義山。
姉妹都市になりたいくらいですね(^_^)

「おとはの滝」と「めとはの滝」も、面白いと思いました。
謂れを書いた看板があちこちに建っていたので、とても楽しめました。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2011年07月17日 20:20
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    コメント(2)