「紅の蔵」内の「街なか情報館」に、名物「もってのほか」が飾ってありました。
昨年の秋に作った都々逸。
〽きれいな菊を
「もってのほか」と
言いつつ食べる
出羽の人
山形市の街歩きを楽しくさせてくれる、「やまがた時代絵巻」というスタンプラリーマップ。
他に、「開運 城下町山形七福神」なんてのもあります。
発行は山形市観光協会ですが、山形商工会議所や、城下町やまがた探検隊、やまがた舞子もてなし委員会というのが協力者になっています。
観光ボランティアガイド協会発行の街あるきマップもあったりして、町ぐるみで観光に力を入れているのがよく分かります。
街あるきのための交通も実に便がいいです。
バスは10分間隔で循環しているし、1日乗り降り自由で300円です。
観光用のレンタサイクルも無料で借りられて、システムも至極簡便です。
さて、左の建物は何に使われていた建物でしょう。
大正元年(1912)建築の建物だそうです。
なんと、驚くなかれ・・・、
当時から今も続いている、現役の病院でした!
山形の市街地には、そんな建物がたくさんあります。
昭和二年(1927)建設の山形市立第一小学校の校舎は、山形県初の鉄筋コンクリート校舎だそうですが、平成十六年(2004)に新校舎に移転したため、その後復元修理をして平成二十二年(2010)から、「山形まなび館」として活用されています。
圧倒されるのは、大正五年(1916)に建設された旧山形県庁舎です。
平成七年(1995)に修復され、現在は「山形県郷土館 文翔館」として、歴史を伝えています。
街なかに、こんな素敵な流れがあります。
江戸時代の城下を流れる水路を、みごとに復元しています。
わが高崎にも、かつては「新井堰」からの水が、城下を網の目のように流れていましたが、今はほとんどが暗渠になっています。
こんな風に復元したら、どんなにいいことでしょう。
干し柿の暖簾が下がる黒板壁に、「ど根性ヤゴ」と書かれた矢印がありました。
その先っちょを見ると、確かに「ヤゴ」の抜け殻がくっついています。
水路があることで、こんな風情が出現し、それが人の心にゆとりを持たせるものなんだなぁ、と思いました。
水路の先にも、こんなお洒落なカフェ・レストランがあります。
古き物を宝物として見ることができる山形市民のみなさん、学ばせて頂きました。
さて、この後は鶴岡へと向かいます。
途中、夕映えの山景色がきれいでした。
昨年の秋に作った都々逸。
〽きれいな菊を
「もってのほか」と
言いつつ食べる
出羽の人
(迷道院)
なーんてね。山形市の街歩きを楽しくさせてくれる、「やまがた時代絵巻」というスタンプラリーマップ。
他に、「開運 城下町山形七福神」なんてのもあります。
発行は山形市観光協会ですが、山形商工会議所や、城下町やまがた探検隊、やまがた舞子もてなし委員会というのが協力者になっています。
観光ボランティアガイド協会発行の街あるきマップもあったりして、町ぐるみで観光に力を入れているのがよく分かります。
街あるきのための交通も実に便がいいです。
バスは10分間隔で循環しているし、1日乗り降り自由で300円です。
観光用のレンタサイクルも無料で借りられて、システムも至極簡便です。
さて、左の建物は何に使われていた建物でしょう。
大正元年(1912)建築の建物だそうです。
なんと、驚くなかれ・・・、
当時から今も続いている、現役の病院でした!
山形の市街地には、そんな建物がたくさんあります。
昭和二年(1927)建設の山形市立第一小学校の校舎は、山形県初の鉄筋コンクリート校舎だそうですが、平成十六年(2004)に新校舎に移転したため、その後復元修理をして平成二十二年(2010)から、「山形まなび館」として活用されています。
圧倒されるのは、大正五年(1916)に建設された旧山形県庁舎です。
平成七年(1995)に修復され、現在は「山形県郷土館 文翔館」として、歴史を伝えています。
街なかに、こんな素敵な流れがあります。
江戸時代の城下を流れる水路を、みごとに復元しています。
わが高崎にも、かつては「新井堰」からの水が、城下を網の目のように流れていましたが、今はほとんどが暗渠になっています。
こんな風に復元したら、どんなにいいことでしょう。
干し柿の暖簾が下がる黒板壁に、「ど根性ヤゴ」と書かれた矢印がありました。
その先っちょを見ると、確かに「ヤゴ」の抜け殻がくっついています。
水路があることで、こんな風情が出現し、それが人の心にゆとりを持たせるものなんだなぁ、と思いました。
水路の先にも、こんなお洒落なカフェ・レストランがあります。
古き物を宝物として見ることができる山形市民のみなさん、学ばせて頂きました。
さて、この後は鶴岡へと向かいます。
途中、夕映えの山景色がきれいでした。