2016年12月29日

隠居の三面斜め読み この一年

今年もあとわずか。
「上州どどいつ部」に投稿した都々逸から、世間を斜め読み。

◇マイナス金利
   金を出しなと 銀行おどす
     手には黒田の バズーカ砲


◇口利き疑惑
   金をもらって 業者に口利き
     すれば収賄 しなきゃ詐欺


◇野球賭博と覚醒剤
   野球選手に お灸を据えて
     打ってやりたい 更生剤


◇育休不倫
   口はやっぱり 災いのもと
     言わなきゃよかった 育休と


◇もの忘れ
   議員はもらった お金を忘れ
     委員は聖火の 台忘れ


◇落ちた
   介護保険を あれだけ納め
     特老落ちた 日本死ね


◇パナマ文書
   租税回避の 文書が漏れた
     パナマはセコム してますか


◇データ改竄
   うそがバレ
    助けておくれと  三指ついて
     異人にすがる 菱やっこ


◇舛添都知事
   湯水のように 税金使い
     知事が溺れる 湯の河原


◇格差
   ますます突かれる 現職都知事
     あまり突かれぬ 前大臣


◇睡眠障害
   起訴を逃れて 仮病も治り
     ぐっすり眠る 議員席


◇肩書
   ケチなことして 都知事が辞めた
     これから肩書 前けちじ


◇対立
   海は埋めても 互いの溝は
     埋まらぬ政府と 沖縄県


◇ポケモンGO
   スマホ持つ人 ポケモンGOで
     ガラケー持つ人 のけもんGO


◇リオ五輪
   オリンピックが ようやく終わり
     やっと見られる あのテレビ


◇さあ大変
   ドンつきごろごろ 都議会議員
     小池に決まって さあ大変
  どんぶりどろどろ 都庁の職員
     土壌が出てきて コンクリは
  しばらく一緒に 遊んでいたが
     こいつはやばいぞ 首が飛ぶ
  やっぱり以前の 都知事がいいと
     泣いては都民を 困らせる


◇盛り土
   ミスドはミスター ドーナツだけど
     豊洲のモリドは どーなった


◇ノーベル賞
   ディランがノーベル 文学賞で
     陰じゃ春樹が こんちくしょう


◇トランプ
   暴言王だと 世間の批判
     ヒラリかわして 大統領


◇想定外
   あっとびっくり まさかの結果
     百合子トランプ ピコ太郎


◇自主返納
   歳をとったら 自主的返納
     陛下はそれが 許されぬ


◇三本の矢
   矢が尽きて
     武器の商い 株にも手出し
        果てはカジノの 大博打



ま、今年もいろんなことがありましたが、
   百と八つを ご破算にして
       願いましてと 年が明け


どちらさまも、良いお年をお迎えください。
迷道院 敬白

  


Posted by 迷道院高崎at 15:08
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2016年06月21日

高階勇輔先生を悼む

今日、高階勇輔先生とお別れをして参りました。

高階先生にご懇意にして頂くようになったきっかけは、6年前に遡ります。
もちろん、先生のご講演はそれ以前に何度も聴講させて頂いていましたが、その時の演題が「連雀町今昔 ~その史的変遷~」ということで、特に興味を持って参加しました。

家に帰ってきてから、それをブログ記事にしている内に、疑問に思うことが出てきたり、先生が使った図が欲しくなってきたりして、厚かましくも先生の家に押しかけてしまいました。

そんな初対面で無礼な私を、先生はいやな顔もせずに書斎に通し、いろいろな話をしてくださいました。
先生を知っている人ならご存知だと思いますが、先生はしゃべり始めるともう止まらないのです。

こちらの用件を言う隙もないまま、あっという間に2時間ほどが経ちました。
すると先生は、「お、もうこんな時間か。そばを喰ってけ。」と言うと、私が「あ、いや、そんな・・・。」と言ってるのも聞かず、奥様に注文させてしまいました。

恐縮しながら、届いた信松庵のそばを頂き、またひとしきりお話を聞きながら、やっとの思いでこちらの用件を切り出し、目的を達して書いたのが次のブログ記事です。

挿入した講演録の動画には、お元気な先生の名調子が入っております。
どうぞ、お聞きください。

   ◇連雀町今昔 講演抄(1/3)
   ◇連雀町今昔 講演抄(2/3)
   ◇連雀町今昔 講演抄(3/3)

先生は、どんな人にでも気さくに、けっして偉ぶったり、見下したりしない方でしたが、たった一つきつい言葉で注意されることがあります。
その言葉は、奇しくも上の講演録の最後の方に出てきています。

「(歴史を学ぶってことは)自分だけ偉ぶって、知ったかぶって、どうだい!ってそういうことじゃないんだ!」
「歴史を知るということは、これからの町のあり方を考える手掛かりを得たい、それが骨子なんだ。」
先生のその言葉に、私は深く感銘を受けました。

今日、私はとても残念な気持ちでいっぱいです。
もっと、もっと、聞きたいことが山ほどあったのに・・・。
でも、そんなことを先生の前で言ったならば、即座に「なに言ってんだい!自分で調べるんだよ!」って、しかられそうです。

最後に、ミチ夫人の書かれた会葬状を掲載させて頂きます。


高階先生、ありがとうございました。
安らかにお眠り下さいませ。  合掌


  


Posted by 迷道院高崎at 17:46
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2014年02月15日

生まれて初めて?

70cm超だとか。

生まれて初めて・・・、かと思ったらそうでもないらしい。


けど、初めてのような気がするなぁ。
あ、グラフは年間積雪量でした、やっぱり初めてなんだ。

埋もれた愛車を救助に向かいましたが、アンテナが骨折してました。

直そうとしたらポキッって言ったので、お医者さんに連れて行かないといけないのですが、無理です。

そういえば、さっきからひっきりなしに救急車の音が聞こえます。
大変なことになってるようです。

とにかく、車が通る幅だけでも雪かきしなくちゃ。

日が暮れました。

せっかく積み上げたので、雪行燈を作ってみました。

あーぁ、明日は絶対、腰痛くなるよな。




  
タグ :高崎大雪


Posted by 迷道院高崎at 20:24
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2013年02月24日

生さだ さぶかった~!

深夜23:30のNHK前橋
さっぶい風の吹く中、まさか、こんなに沢山の人たちが集まってるとは思いませんでした。

「今夜も生でさだまさし」があるってことで。

例によってクジ運の悪い迷道院は、観覧応募にみごとに外れ、玄関前でまっさんが出てくるのを待ってるグループの一員に。

歓迎幟のつもりで持っていった「上州弁手ぬぐい暖簾」が、お待ちの方にけっこうウケて頂けました。

きっとTVにも映してもらえるだろうという淡い期待も抱きつつ。

しかし、並んだ場所が悪かったのか、はたまた商品の宣伝と思われたのか、TVカメラは背を向けたままでした。

反面、生のまっさんを正面間近で見られる幸運で、人間万事塞翁が馬。

「こんにゃ ぐんまで
         くにさだまさし!」

さび~~~っ!


  


Posted by 迷道院高崎at 08:40
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2011年12月28日

閑話休題 ナタマメ収穫

今年、「緑のカーテン」にしたナタマメの実です。

莢が茶色くなったら収穫時期だとネットに書いてあったのですが、なかなか茶色くならない内に年末が来てしまいました。
越年する訳にもいかず、意を決してカーテンを外すことにしました。

全部で10数本の莢が収穫できましたが、代表選手を並べてみました。
上から、
①種を宿したばかりの若い莢 
②ちょっとユーモラスな体型の莢 
③カラカラになって収穫時期の莢

収穫時期になった莢は、力を入れて硬い莢を押すと、パーン!とはじけるように莢が割れます。
まだ早い莢は、帝王切開のように切り込みを入れなければなりません。
莢の中の豆は、真綿のように柔らかなおくるみで、大事に大事にくるまれています。

そのおくるみを脱がしてみて、びっくりしました。
まだ弾力性のある豆から、芽のようなものが出ています。

一瞬、莢の中で萌芽が始まっていたのかと思ったのですが、それは違いました。
その芽のようなものは、まだ緑色をした若い莢とつながっていたのです。
そう、まるで赤ちゃんが臍の緒でお母さんとつながっているように。

「へーそーなんだー!」(わかってください)

熟すにつれ、臍の緒はとれて茶色いスジになります。
スジは、お豆さんのお臍だったんですね。

まだ、カラカラになりきってない莢からとれた豆は、臍の緒こそ付いてませんが、指で押すとまだ柔らかくて弾力があります。

豆は、莢がカラカラになっているほど小さく硬くなっています。
何だか、丸々と太っていた赤ちゃんが、歩き始めると体つきが締まってくるのに似ているな、と思いました。

ひと夏の暑い日差しを遮ってくれた上に、これだけ感慨に耽らせてくれたお豆さんを、さらに「なた豆コーヒー」にして味わおうと考えています。

◇nata_mameさんのブログ「手作り・なた豆コーヒー、なた豆茶」


  


Posted by 迷道院高崎at 09:11
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2011年10月14日

閑話休題 ナタマメカーテン

夏の間、日差しを柔らかく遮ってくれた「緑のカーテン」が、何となく秋色に染まってきました。
カーテンとしてはそろそろ御役御免にしてもいいのですが、今年はまだちょっと取り外せません。



5年前から始めた「緑のカーテン」、これまでに朝顔、風船鬘、苦瓜、胡瓜、糸瓜などに挑戦してきましたが、ウリ科の植物は連作障害が出ると聞いて、今年はマメ科の「ナタマメ」にしてみました。

そしたらこれが、笑っちゃうくらい大きな莢(さや)になるんです。

←大きさが分かるように、隣にスリッパをぶら下げてみました。

「ナタマメ」って、「鉈豆」だそうで、「刀豆(とうず)」とも言うらしいです。

たしかに、にもにも見えるほど大きくなります。

莢は結構硬いので、これで殴られたら、気絶くらいはしそうです。

なんでも、「ジャックと豆の木」の豆の木ってのはこれだそうで、なるほど成長は早かったです。

鹿児島では、「ナタマメ」のことを「帯刀(たてわき)」とも言うそうで、こんな面白い話があります。
薀蓄好きの迷道院には、もってこいの植物だったようです。

「ナタマメ」は、「福神漬け」とか「ナタマメ茶」として利用するほか、民間薬として 蓄膿症、歯周病や歯槽膿漏の改善、痔ろうなどにも効果があるそうです。
反面、種子には毒性があるとか、過食しない方がいいとか、赤い花が咲く種類は食べない方がいいとか、物騒なことも書いてあります。

でも、サヤエンドウのあんちゃん位になったのは、ツヤツヤしてていかにも美味しそうなんです。

ウチのは白い花が咲くやつで、若い莢は食べられると書いてあるので、茹でたり、天ぷらにして(してもらって)、恐る恐る食べてみました。
今のところ、命に別状はありません。

で、いろんな大きさのものを食べてみましたが、この位のものがちょうど食べ頃のように思います。 →

味という味はなく、食感は芋か百合根のようなホクホクした感じです。

スリッパより大きくなったのは、これから「ナタマメ茶」にしようと、莢が茶色くなるのを楽しみにしてます。

という訳で、今年の「緑のカーテン」は、もうしばらく仕舞えません。


  


Posted by 迷道院高崎at 19:41
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2011年03月13日

大地震!我が家の出来事

大変な地震が起きてしまいました。
被災されている方々、そのご関係者の方々のお気持ちを想像すると、つい、涙が浮かんできてしまいます。
救援活動をされている方々、本当にご苦労様です。
相馬ヶ原から救援に向かう自衛隊の車両とすれ違い、思わず手を振って応援してしまいました。
月並みな言葉ですが、頑張ってください!

我が家では、飾り棚の額と洗面所の陶器のタンブラーが転げ落ちた以外は、被害はありませんでした。
都市ガスと、水道も止まることはありませんでしたが、電気は地震直後の午後3時から翌日の午前2時半まで止まりました。
携帯の電池残量が少なくなり、急いで電池式充電器を購入しました。

14日から東京電力の計画停電が始まるようですが、趣味のキャンプ用具と、妻の食料備蓄(安い時の買い溜め?)が役に立ちそうです。
新築時にオール電化を避けて、都市ガスに灯油と、異なる燃料を使っていたのも、こうなってみると良かったのかも知れません。

今回の地震で、良い方にびっくりした出来事がありました。
20年ほど前に、交換留学生としてニュージーランドから我が家にホームステイしていた女の子がいました。
帰国後もしばらくはメールのやり取りをしていたのですが、ある頃から連絡がつかなくなっていました。
2月に起きたニュージーランド地震で、とても気がかりだったのですが安否の確認もできませんでした。

ところが、昨日突然その女の子から電話がかかってきたのです。
TVで日本の地震を知り、心配して掛けて来てくれたのです。
「オトーサン?テス(女の子の名前)デス。ワカリマスカ?」
今、彼女はドイツにいるそうですが、とても上手な日本語です。
日本語も、私たちのことも、忘れてなかったんですね。
話ながら、泣きそうになっちゃいました。

とても悲惨な今回の地震ですが、普段忘れているとても大事なことを、考えさせてくれているような気がします。
争いや、奪い合いや、憎しみや、妬みや・・・、世の中全体が小さなことにこだわっていたような気がします。
そんな気持ちになっていたら、こんなブログを見つけました。
  ◇【311東北関東大地震】 支援情報

ぜひ、コメントも含め全部読んで頂きたいと思います。

この悲惨な災害を、日本をはじめ世界の国々の在り方を考える機会にすることが、不幸にして犠牲となった方々への慰霊となるのではないでしょうか。

今日は、文字ばかりですみません。
最後まで読んでくださった方に、感謝申し上げます。


  


Posted by 迷道院高崎at 23:52
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2010年07月21日

夏カゼは・・・

「何とか」が引くという夏風邪
その「何とか」だったようで、1週間ほど前から、喉というか、口の中全体の痛みに、いや~往生しました。
唾を飲み込むって、こんなにも口中の筋肉を使っていたのかと、改めて認識させられる程の痛さでした。

きっと世の中もそうなんでしょうね。
普段は分からないけど、ほんとはみんな、結構一生懸命頑張ってるのかも知れません。
傲慢な気持ちになりつつある時、時々、こうやって何かが教えてくれます。

売薬を3日ほど服用しても、ますます重くなる症状に尋常でないものを感じて、かかり付けの町医者に。
大病院と違いほとんど待つこともなく、馴染みの大(おお)先生に診てもらえます。

懐中電灯を点けて喉を覗き、聴診器と打診で診察は終わり。
「大丈夫!風邪です。」と、妙な安心のさせ方が大先生らしい。

薬は必要最小限、3日分しか出ません。
「3日飲んで治らなけりゃ、その薬は効かないんだから。」というのが、持論らしい。
不思議に、3日分の薬を飲み終わる頃、ちゃんと治るんです。
今回も、ぴったんこでした。

そんなS医院が気に入って、もう35年くらいのお付き合いになります。
行き始めた頃は、まさしく「村の小さな診療所」という佇まいで、小柄な奥様が受付嬢・看護婦さん・薬剤師さん・医療事務員を兼務して、こまごまと気配りをされていました。

一人で何でも診る先生は、その頃から大らかでした。
「頭が痛くて仕方がないんですけど、くも膜下の前兆じゃないかと・・・。」と言えば、
「くも膜下なら、ここまで歩いて来られないよ。」
「血圧が高くなっちゃって。」と言えば、
「歳なんだから、しょうがないよ。」

最近、若先生が医療に加わることになって、建物も立派になり、看護婦さんも2人増えました。
何かと大変な個人病院ですが、あの頃の素朴な診療が、これからも続いてくれるといいなと願っています。

  


Posted by 迷道院高崎at 19:03
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2010年06月20日

号外!Piece of Cloud情報

祐子&大悟のボーカル&ギターデュオPiece of Cloudが、吉岡町の人形展「岳童」で開催された、「豊田屋音楽祭」に参加しました。

豊田屋って、あの高崎駅前の老舗旅館?

はい、この音楽祭は、平成十五年(2003)に豊田屋旅館で行われたのが始まりです。

ここ吉岡町「人形の岳童」を会場とする「豊田屋音楽祭 in GAKUDOU 」は、昨年からのようです。

Piece of Cloudの出演は昨日だけですが、音楽祭は本日(6月20日)も開催されますので、ぜひ皆さんお出かけ下さい!
詳しくは、「人形の岳童」さんHPをどうぞ。

また、Piece of Cloudは、「さくらアロマテラピースクール」さんのご厚意で、7月17日(土)伊勢崎校でのエコ・キャンドルナイトに初出演させて頂きます。
詳しくは、Piece of CloudのHPをどうぞ。

今後とも、迷道院高崎ともども、Piece of Cloudをお引き立て頂きますよう、よろしくお願い申し上げまする。

  


Posted by 迷道院高崎at 07:51
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2010年06月04日

お袋が旅立った日

22年前の今日、お袋は80歳で旅立ちました。
私は会社の宿泊研修で榛名湖畔にいたため、見送りには間に合いませんでした。

苦労して育ったお袋は、子どもの頃の写真がありません。

この写真は一番どん底だった頃、5歳の私と一緒に、高崎公園で撮ったものです。

保証人になったがために、高崎駅前に開いていた店を失い、公園近くの知合いの家に、一家四人で間借りしていました。

記憶力の乏しい私が鮮明に覚えている、この頃の記憶があります。

お袋と公園の近くを歩いていた時、八百屋のガラス容器の中にある「貝のヘリ」を、なぜか無性に食べてみたくなったのです。
「母ちゃん、あれ買ってー。」とねだります。
お袋は財布から2円を取り出して、「買ってきな。」と私一人に買いに行かせました。

後日聞くと、そのとき財布の中には、その2円しか入ってなかったそうです。
大人が買いに行ける金額ではないけれど、子どもになら売ってくれるだろうと思ったようです。
しかし、八百屋のおじさんは売ってくれませんでした。
「ほらみー(ほらみてごらん)、売ってくれないじゃないかー!」と、泣いてお袋の所に駆け戻ります。
そのあとのことは記憶にないのですが、「少しでいいから売ってやってくれ。」と頼んだけど、「2円じゃ、売りようがねえ。」と言われたそうです。

お袋は、「あの時ほど、みじめだと思ったことはなかった。」と、この話をするたびに言っていました。
私も、いまだに「貝のヘリ」を見ると、その時のお袋の気持ちを思って、鼻の奥がツーンとなります。

お袋は、7人兄弟姉妹の次女として生まれました。
貧しかったので、小学4年生で子守奉公に出されます。
「ろくすっぽ学校に行かなかったけど、小学校の免状だけはお情けで貰った。」と言ってました。

嫁いでからは、姑で苦労し、昔気質の夫にも苦労して、おまけに人の良さが災いして、他人の借金で長いどん底生活を味わうという、苦労続きの人生でした。
それでも、生涯、人の良さを失うことのなかったお袋でした。
「あの頃みんな(?)貧乏だった」にも、ちょこっとエピソードを載せてます。

どんな時でもへこたれず、「思うは叶う」が口癖でした。
そんなお袋に、この歌を贈りたいと思います。

「僕が生まれた時のこと」 作詞・作曲・唄:安達充



  


Posted by 迷道院高崎at 07:03
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2010年05月04日

ご縁は続くよどこまでも

ここんところ、すっかり音楽ライブづいてまして。

ここは、中居町にあるFood & Bar 「Sangam」(サンガム)。

5月3日(水)、"Piece of Cloud" のライブがありました。


ヴォーカルの引田祐子さんとSangam店長さんとのご縁で、この日のライブとなった訳ですが、ご縁はさらにつながります。

ギターの大悟さんが、Sangamに行ってびっくり。

店長さんは小学校の同級生で、我が家に来てミニ四駆で遊んでいたとか。
しかも、店員さんの一人も同級生で、大悟さんと一緒にイタリアンレストランでバイトした仲だそうで。

その店長さんは、パーカッション奏者。

ライブの最後は、三人のセッションで締めくくりました。

ここんところの不思議なご縁つながりは、いったいどうしたことでしょう?


人付き合いの苦手な迷道院にとっては、ここ何日間で、十年分相当の人に出逢ったような心持でありますよ。

【Food & Bar 「Sangam」】


  


Posted by 迷道院高崎at 07:09
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2010年03月09日

親父が旅立った日

5年前の今日、親父は旅立ちました。
もっとずーっと昔のことのように思えるのですが・・・。

明治四十一年(1908)生まれ。
←13歳で浅草の両替商へ奉公に出された時の写真だと聞いています。

浅草で大震災に遭ってから、本庄に移って床屋の修行に入ります。
以来、腕一本で妻と二人の子を養い、70歳まで仕事を続けました。

明治生まれの職人ですから、とにかく短気だったようで、母と姉は大変な思いをしたようです。
私は、親父が歳いってから出来たので、あまり短気を起こしている姿を見たことはないのですが、その性格だけはしっかり受け継いでいるようです。

負けず嫌いで、スポーツ好きで、花札、麻雀、将棋、囲碁といった勝負ごともめっぽう強かった親父でした。
隠居してからもゲートボールに熱中し、部屋の畳は練習のスティックで擦り切れてしまう始末。
短気な性格も健在で、公園での練習中に仲間とケンカして帰って来てしまい、しばらくは部屋で寂しそうにしていますが、何日かするとまた出かけていくという毎日でした。

そんな親父も、80歳の時、ケンカ相手だったを亡くしてからは、部屋でテレビを見る毎日で、週に一回行くデイサービスだけを楽しみにするようになりました。
ひたすら、「若いもんに迷惑を掛けない」ということだけを考えているように見えました。

旅立った年、偲ぶ会を前に、親父の97年間を年表にしてみました。→

あらためて、時代というものの変化、人間の一生、老いるということの難しさ、などなど、考えさせられることが沢山ありました。

最近、自分の年に、親父はどんなことを考えていたのかな、と思うことが多くなりました。

雨からみぞれ、そして雪になった今年の命日。
明治・大正・昭和・平成という時代を生き抜いた親父に、こんな曲を贈りたくなりました。



  


Posted by 迷道院高崎at 15:20
Comments(18)◆私事雑感

2010年02月15日

号外!「降りてゆく生き方」

映画「降りてゆく生き方」を見てきました。

DVD販売もせず、TV放映もせず、口コミだけで上映しているという映画だそうです。

今日も、いわゆる映画館ではなく、群馬県社会福祉総合センターのホールでの上映でした。

筋書きはあまりここで紹介しない方がよいらしいので、公式サイトをご覧ください。

映画そのものは、もう少し力を抜いてくれた方が、私好みだったかなぁと思いますが、なかなか考えさせられる内容ではありました。

映画で提案する「降りてゆく生き方」は、私と同年代の人には共感する方が多いかも知れません。
でも、坂には下り坂と同じ数だけ、上り坂も存在します。
「登ってゆく生き方」をしている人がいるおかげで、「降りてゆく生き方」ができるのかも知れませんし、その逆もあるのかも知れませんね。

そういう意味では、上映後の寺田啓佐(けいすけ)さんのお話が、面白く感じました。

寺田さんは、千葉の造り酒屋「寺田本家」のご主人です。
映画の中に出てくる、造り酒屋さんのモデルになった人です。

寺田さんの言うには、本来の酒造りには、雑菌を含めて多種多様な微生物が存在する必要があるのだそうです。

そしてそれらの微生物は、酒蔵の中のそれぞれが心地よいと思われる場所に住んでいて、自分の出番が来るのを待っている。
そして、自分の出番が来た微生物だけが酒樽の中で働き、役目が終えたらスーッと消えていく。
するとまた、次の微生物が働き出す、というバトンタッチが次々に行われて発酵が進んでいくのだそうです。

寺田さんは、微生物たちの世界は、自分と異なるものや嫌いなものを排除したりしないで、支え合いながら仲良く生きているように見える。」と言います。
また、微生物たちがお互いに支え合わなくなって、バランスが崩れた時、腐敗が始まる。」とも言います。

微生物人間に置き換えてみると、なかなか示唆に富むお話です。

私がつべこべ言うより、寺田さんの著書を読まれた方がよいかも知れませんが、本の中からひとつだけご紹介しましょうか。

「その昔日本にあった『噛み酒』とか『口噛みの酒』と言われるものは、人がご飯を噛んで吐き出したものに水を加えて作った酒だ。
(略)
実験では、男性10人のグループが噛んで造った酒と、女性10人のグループが噛んで造った酒を比べてみた。
すると、女性グループが噛んだ酒はとてもおいしく醸し出された。しかし、男性グループが噛んだ酒は、何と腐ってしまったのだ。
(略)
世の中に男と女が存在する意味を深く考えさせられる出来事であった。」


トークショーの後、寺田さんにサインをお願いしたら、気軽に応じてくださいました。

そこには「何があっても 笑っちゃう」と書かれていました。
著書を読むと、この後に「どんなときでも ありがとう」という言葉が続きます。
微生物から教わった、人間が腐敗しないで発酵する(幸せになる)ための究極の言葉だそうです。

優しい笑顔と話し方の、とても素敵な方でした。
「ありがとうございました。」

  


Posted by 迷道院高崎at 23:17
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