2010年01月08日

旧三国街道 さ迷い道中記(9)

「三ツ寺公園」は、今、拡張工事の真っ最中です。

緑化推進計画の一環で、「自然環境と調和したゆとりある空間の整備」が目的だそうですが、できれば旧三国街道を復元した、歴史ゾーンを盛り込んで欲しかったところです。
これも、縦割り行政組織で、如何ともし難いところなのでしょうか。

しかし、そうでもないのかな?と思わせるのは、工事中の歩道に「三国街道」と書かれたタイルが埋め込んであったことです。→

実は、ここのところ旧三国街道を辿りながら、残念に思っていたことがあります。
ここが旧三国街道であると分かる目印が、ほとんどないのです。

そこで目に留まったのが、マンホールの蓋です。

旧三国街道のルート上にあるマンホールの蓋だけ、三国街道をデザインしたものに替えられないものかと思うのですが、如何でしょう?

「三ツ寺公園」の拡張現場のちょっと先に、大正時代の道標が残っています。→

正面には、「右・経足門至相馬、左・経三ツ寺至高崎」
右側面には、「右・経保渡田至室田及板鼻」
左側面には、「大正十五年三月、観音寺大正青年會建立」
と刻まれています。

←こちらの写真は、拡幅前の旧三国街道だそうです。

まだ舗装もされていませんが、平成四年(1992)発行の「群馬町の文化財」に於いて、「現在の三国街道」と記述されています。

その頃でも、「桶屋・鍛冶屋・酒屋・紺屋・団子屋」などの屋号で呼ばれる家もあったといいますから、つい最近まで街道の面影が残っていたんですね。

あの広い「三ツ寺公園」の中に、旧三国街道が復元されたら、どんなに素晴らしかったでしょう。
今となっては、残念としか言いようがありません。

【三国街道の埋め込みタイル】

【旧三国街道の道標】





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Posted by 迷道院高崎 at 08:05
Comments(9)三国街道
この記事へのコメント
>できれば旧三国街道を復元した、歴史ゾーンを盛り込んで欲しかったところです。

仰るとおりです・・・・・
立派な公共事業ですね。後世に遺す。

で、「大手町の子」ですけど・・・・・
友人の高校教師が僕にくれたんです。「ナベさんの好きそうな本だから」って。裏表紙の裏を見ると3100円とありました。
古本屋で見つけたんですね・・・・・

この本、もっともっと面白い、興味深いこと満載です。挿絵もなかなかです。
明治時代の高崎の町の子どものこと・・・・・
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2010年01月08日 10:10
確かに三国街道で「埴輪」はなんとも…
何かそれらしいものに替えたいですね。

ただ埴輪のマンホール自体は面白いです。

実は仕事でいろいろなところに行きますが、最近マンホールの写真を撮っています。

場所柄、お国柄がでているものが増えてきていてたのしいです。
大阪は大阪城、上田は六文銭、先日行った松山は椿の絵柄、ちなみに隣の前橋はバラの絵柄です。
Posted by 柳家紫文  at 2010年01月08日 11:05
高崎市のマンホールのふたは小八木町にある水島鉄工所製です。
ぼくのドラム教室に通っていた生徒さんがそこでマンホールのふたを作っていました(笑)。
結構きつい仕事だそうです。鋳造物ですから夏は暑いし、冬は冷たいし・・・・・
まあ、会社としては公共事業ですから結構美味しい商売だとか申しておりました。
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2010年01月08日 14:37
>昭和24歳さん

ご友人の高校教師って、いつぞやのあの方ですか?(日本語って便利ですね。)

私の父は、明治四十一年生まれですから、ちょうどその時代を生きてた訳ですね。

それが後の世に残るって、すごいことです。
現代はブログがあるので、誰でもその時代を残せるというのが、素晴らしいと思います。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年01月08日 20:02
>紫文師匠

コメントありがとうございます!

そうですか、師匠、マンホールを撮るのがご趣味でしたか!
高崎のマンホールの図柄は、高崎まつりの山車です。
うーん(・・?という感じなんですが・・・。

ところで師匠、「マンホール」って都々逸ネタになりそうな、意味深な言葉ですね・・・(^^)
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年01月08日 20:08
>ご友人の高校教師って、いつぞやのあの方ですか?

いやいや、あのお方ではありません。
あのお方はあのお方で名物です(笑)。
大先輩です(午年)。

本をいただいた友だちは古文の教師で、これまた面白い人です。
まあ高校の教師はバラエティですね(笑)。

そうですかお父上は明治の・・・・・
いろんな話聞きたいですね。ぼくの父は大正元年。いろんなこと聞きたかったなあ。
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2010年01月09日 07:06
>昭和24歳さん

あ、そうでしたか(^^ゞ
流石、交友関係の広い昭和24歳さん!

私の父は話が上手な人で、TVもない頃でしたから、コタツにあたって父の昔話を聞くのが大好きでした。

たまたま、その話を録音しておいたので、今でも聞くことができます。
もっと沢山残しておけばよかったな、と今更ながら残念に思います。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年01月09日 09:00
>たまたま、その話を録音しておいたので、今でも聞くことができます。

そいつはスゴイ!!

実は僕の養父は静岡県沼津の出身なんですが尋常高等小学校を卒後すると浅草の酒屋に奉公に出たそうです。父は酒が三度の飯より好きでしたから(笑)。
そんな父は落語が酒の次くらいに好きで、奉公時代年長になっていた頃、21、2のころでしょうか三遊亭金馬師匠のところの通い弟子が叶ったそうです。
まあ、それで、父の兄貴に道楽が知れるところとなり縁故で、兄貴の勤めていた国鉄に入れられたとか・・・・・
まあ、32まで一人もんだったとかでしたから戦争でもなければ噺家になっていたかも知れねえがおやじの酒癖でしたね(笑)。
ぼくも小さい頃は「寿限無」を仕込まれたというか嫌というほど聴かされました。
父が38、母が28の時に分けあって「高砂町の子」になったわけですけど。話は長くなってしまいますね・・・・・
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2010年01月09日 11:09
>昭和24歳さん

昔の人は、みんな奉公だったんですよね。
私の父も14歳で奉公に出たと言ってました。
独学でくずし字やローマ字も覚え、将棋や囲碁も強かったです。
頭が下がりますね。

ご父君の落語も録音残しておけば、宝物になりましたね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年01月09日 20:02
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