2010年04月07日

三国街道 帰り道(18)

大八木町公民館の「大日堰頌徳碑」と並ぶようにして、「金壱千圓也」という、領収書のような石碑が建っています。

「救濟資金」「寄附者 佐復(さまた)文子」とも刻まれているので一目瞭然ですが、裏面にはこのように刻まれています。

「昭和九年(1934)八月五日故佐復政吉殿長女文子嬢ハ(略)
濟世ノ資ヲ大八木區ニ贈ラル(略)
區民感激永久ク其恵澤ヲ傳ヘント欲シ茲ニ貞石ニ勒ス」


昭和九年の千円は、平成二十年の七十六万円位に相当するようです。
(日本銀行調査統計局「企業物価戦前基準指数」で比較・計算)
今、百万円の寄付をしたとしても、ここまでしてもらえるでしょうか。
昔の人の義理堅さ、感謝の心の強さというものを感じる石碑です。

公民館の左奥が、「妙音寺」です。

元和九年(1623)の開山で、当初は「八木山融通寺」と称していましたが、正徳三年(1713)に「慈眼山福聚院妙音寺」と改称したのだそうです。

山門の左下に「群馬聖地霊園」と書かれた石看板がありますが、平成九年(1997)に境内西側に出来た新しい霊園です。
お寺さんの経営も、なかなか大変なんでしょうね。

山門を潜った右手には、観音堂があります。

享保年間(1716~1735)に建立された堂で、中には十一面観世音菩薩が安置されているそうです。

妙音寺で興味深いのは、観音堂の並び、左手の一角です。↓

石宮、勝軍地蔵などが並んでいますが、その中で、ひときわ目を引くのが、お釈迦様の金銅仏です。↓

高崎では、金銅仏というのは珍しいそうですが、寛保二年(1742)の銘があるとかで、270年前の代物です。

前回の記事に出てくる、「大日如来像」は、この金銅仏の左隣に建っています。

しかし、それらを上回るくらい興味深いのが、「先玉尊霊」と刻まれた、この石塔です。→

何の変哲もない、自然石の石塔です。

裏面には、「明治三庚午八月二十八日 當邑若者中」と刻まれています。

実はこれ、「熊の墓」と言われているそうなんです。

そのお話は、また次回のお楽しみということに。

(参考図書:「ぐんまのお寺」)


【「金壱千圓也」の碑】

【妙音寺】





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Posted by 迷道院高崎 at 07:34
Comments(8)三国街道
この記事へのコメント
領収証みたいな石碑…おもしろいですね。
犬(おばん)も歩けば…で、ちょっと出掛けてみると、到る所で石碑を見ます。
○○頌徳碑、○○記念碑などを見ると、本当に昔の人は律儀に感謝の気持ちを末代まで残そうとされたのだなぁと強く感じます。

今回ご紹介の場所も、地図を見ると、以前にクルマで通ったことのある場所なのです。もっと自分の足で歩かないといけないんですね。「熊の墓」ですか?次号が楽しみです^^。
Posted by 風子  at 2010年04月07日 10:35
こうやって画像多いと、
説明もわかりやすくて良いですね♪

ないより、行った気になれるので最高です(笑)(・∀・)
Posted by 相互リンクハッシュ  at 2010年04月07日 13:39
「壱千円也」の石碑珍しいですね。観音寺の「お豆腐」の石碑といい私が気づかないだけで結構あるんですね。次回からはお寺さんを散策する時は注意を払います。
それにしても迷道院様の観察眼にはおよばないでしょう。
こちら柏木沢方面では今日、桜、二部咲き程度です。
Posted by 柏木沢の農家おじさん  at 2010年04月07日 18:38
>風子さん

通ったことがありましたか。
車だとそうですよね。
私も最近ですよ、こんなのがあったなんて知ったの。

「熊の墓」、興味あるでしょ?
ムフフ(^^)
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年04月07日 20:00
>相互リンクハッシュさん

コメントありがとうございます。
これからも、行った気になれる記事を心がけたいと思います。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年04月07日 20:04
>柏木沢の農家おじさん様

いやいや、本当に面白い石碑があるもんです。
最近は、何でも覗き込む癖が付いてしまって、ちょっと危険かもしれません。

やはり柏木沢の桜は、もうちょい先ですか。
まだまだ楽しめますね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年04月07日 20:32
隠士、またまた新たな展開、楽しみに読んでいます。次々に興味津々のお話で、ご隠居マジカルミステリーツァーから目が離せません。

 ちょっと気になることが一つあるのですが、金壱千円也の石碑の「1000円」ですが、昭和9年の1000円=現在の七十六万円というのは、う~ん、あまりにも実感として低すぎるのではないかと思います。
 ご存知だとは思うのですが、「月給百円サラリーマン」-岩瀬彰 講談社現代新書-の換算ベースでいくと物価ベースで2000倍、収入ベースで5000倍、概算200万から500万というところではないでしょうか。
農村部では現金の支出が少なかったと思うので、より実感としては、それ以上だったと思います。わざわざ石碑で「金壱千円也」を後世に残すのですから、76万ということはなかったのではないでしょうか。wikiによれば前年1932年には蚕糸恐慌、1933年には東北の冷害飢饉で農村は疲弊の極で、昭和維新が叫ばれていたころですね。ここで書かれている「救済基金」とはなにか、ローカルな基金なのかそれとも全国的なものか気になるところです。

このあたりご教示いただければ幸いです。

それから無論「熊の墓」、興味大です。次回が楽しみです。

     夢寅 拝 



 
Posted by 夢寅  at 2010年04月07日 22:53
>夢寅さん

いつもありがとうございます!

1000円→76万円、確かに私も直感的に「こんなもんかな?」という感じは抱きました。
「企業物価指数」だからなんでしょうね。

東京区の「消費者物価指数」というのがあるんですが、統計値が昭和45年からしかありません。
無理やり「企業物価指数」と組み合わせて計算すると、129万円となります。

不勉強で、「月給百円サラリーマン」知りませんでした(^^ゞ
ご教授いただき、助かりました。
ありがとうございます!

で、「救濟資金」ですが、佐復文子さんが亡父の遺志を継ぎ、祖父と母の同意を得た上で「大八木區」に贈ったものだそうです。
ご高察のように、飢饉か何かで窮乏する村を見かねて、遺産の一部を贈ったものと思われます。
なかなか、できないことですよね。
頭が下がります。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年04月08日 08:42
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