2010年06月14日

三国街道史跡めぐり(小鳥・大八木)

三国街道史跡めぐり(小鳥・大八木)高崎市歴史民俗資料館主催の、三国街道史跡めぐりに参加してきました。

ピーカンの、なから暑い日でしたが、集合場所の六郷長寿センター駐車場には、沢山の参加者が集まりました。

三国街道史跡めぐり(小鳥・大八木)最初の史跡は、下小鳥町「蓮花院」(れんげいん)です。

近くにある六郷小学校は、明治七年(1874)から明治三十一年(1898)まで、この蓮花院を校舎として使っていました。

因みに「六郷」とは、上小鳥村、下小鳥村、上小塙村、下小塙村、筑縄村、上並榎村の六村のことで、明治二十二年(1889)に高崎が町制施行で高崎町となった時に、合併して「六郷村」となった訳です。

三国街道史跡めぐり(小鳥・大八木)その六郷村の初代村長が梅山太喜哉(たきや)で、16歳にして寺子屋で教えていたという秀才だそうです。
そして、その父親は、高崎城の乾櫓(いぬいやぐら)の払下げを受けたという梅山太平(たへい)です。

その墓の前で、資料館の職員の方が話されたことが印象に残りました。
「梅山太平は下小鳥村の肝煎り名主で、高崎五万石騒動では、藩と農民の間に入って調停に奔走しました。
とかく処刑された総代のことばかり取り上げられますが、その陰で懸命に事態を収拾しようとした人がいたことも、忘れてはいけないと思います。」


次に行ったのは、下小鳥町「幸宮(さちのみや)神社」です。
ここは、以前、記事で取り上げたことがあるのでご参照ください。
   ◆「続橋」から「幸宮神社」へ
幸宮神社では、史跡めぐりに参加しなかったら見ることのできない、貴重なものを見させて頂きました。
三国街道史跡めぐり(小鳥・大八木)
それが、この算額です。→

劣化を防ぐために、軒から取り外して社殿の中に保管しているので、図や文字も読み取ることが出来ます。
出来ますが、私にとってはチンプンカンプンで、ただ眺めるだけでした。
頂いた資料には、「3問の内2問は、中学校で学ぶ数学を用いて解ける」と書かれているのですが・・・。

気を取り直して向った先は、「三国街道みちしるべ」「馬頭観音群」、そして「大八木の常夜灯」です。
これも、過去記事をご参照ください。
   ◆三国街道みちしるべ
   ◆馬頭観音群
   ◆大八木の常夜灯

常夜灯から諏訪神社への参道を、犬に吠えられながら進みます。

三国街道史跡めぐり(小鳥・大八木)井野川に架かる諏訪橋まで来ると、対岸のこんもりした森の中に諏訪神社の赤い鳥居が見えます。

三国街道史跡めぐり(小鳥・大八木)新・旧二つの鳥居がある、面白い神社です。
今日気が付いたのは、「諏訪大明神」と書かれた書体の面白さでした。

諏訪神社で小休止した後、また下小鳥町へ戻って「首塚」へ。
首塚については、6回に亘って記事を書いていました。
   ◆切干塚(首塚)

三国街道史跡めぐり(小鳥・大八木)次に行った所は、筑縄町「大師堂」です。

今回初めて、その存在を知ったのですが、地域の人にもほとんど知られていないそうです。

堂内にある、弘法大師の一代記を表しているという21体の木造も、滅多に見られないそうですが、今回、特別に見ることができました。
三国街道史跡めぐり(小鳥・大八木)

三国街道史跡めぐり(小鳥・大八木)史跡めぐり最後の訪問先が、筑縄町
「地(ち)神社」です。
三国街道史跡めぐり(小鳥・大八木)境内の一角に、「荻原友太郎翁頌徳碑」という大きな石碑が建っています。

友太郎翁は、筑縄町の農家出身で、高崎に出て金融業を営み大成した人物です。
「資性温厚、敬神崇祖の念特に厚く、当地神社の境内を整備し、周囲の石垣及玉垣を奉献し・・・、社務所兼公民館を新築寄贈する・・・」と碑文に刻まれています。
三国街道史跡めぐり(小鳥・大八木)
友太郎翁は、この近くに、私財を投じて防火用の池も造っています。
地域では、その徳を讃えて「友太郎池」と呼んだようです。

現在は、区画整理によって池は埋め立てられ、「陣場公園」となっていますが、その地下には今も防火用の貯水タンクが埋められています。

いろいろと、収穫の多い史跡めぐりでした。
ご案内頂いた皆さん、ありがとうございました。
次回、6月19日の金古編史跡めぐりが楽しみです。

【蓮花院】

【大八木の諏訪神社】

【筑縄町 大師堂】

【筑縄町 地神社】





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Posted by 迷道院高崎 at 10:47
Comments(4)三国街道
この記事へのコメント
三国街道史跡めぐりの
詳しい報告をありがとうございます。

40年以上前、六郷小で
教育実習をしたことを思い出しました。
6つの村が集まって
六郷でしたか。

肝煎り名主の梅山太平さんのこと
当研究会に報告します。

算額と言えば神社に
よく奉納されていますが、
母の実家を壊した際、
算学の名著「塵劫記」が
出てきたのには驚きました。
江戸時代、農民も勉強していたんですね。

太子堂由来記を読みましたが
いつごろ、誰が作ったかは
分からないのですね。
弘法大師を敬う彫師が
近在にいたのでしょうか。
それとも、どこかに依頼して
揃えたのでしょうか?
お寺との関係も薄いようで
不思議な仏像たちです。

荻原友太郎翁は凄い、
「高崎人」の一人ですね。
Posted by いちじん  at 2010年06月15日 15:38
>いちじんさん

「塵劫記」の古文書ですか!
さすが歴史のあるいちじん家、鬼丸源作の狂歌といい、貴重なものが残ってますね。

大師堂の像は作者不明だそうです。
おそらく近くに住んでいた人の作だろうとは言っていましたが。

筑縄町の歴史に関する文献というのが、ほとんど残っていないんだそうです。
今回の案内をして下さったIさんという方が、地域に残る石碑の碑文解読や、古老の話の聞き取り調査をして、今、筑縄町の町史を編纂しようと努力されてる最中だそうです。

荻原友太郎という人物のことも、今回の史跡巡りで初めて知りました。
伝えて行かないと消えちゃいますよね。
小学校での郷土史学習というのが、大切なんじゃないかと思いました。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年06月15日 19:01
過去のブログをあちこち見させて頂きましたが、高崎城の櫓を払い下げたとか、しゃちほこを探したとか・・・おもしろくて、興味が尽きません。
また、幸宮神社の算額!も嬉しく拝見いたしました。
地道に調べて積み上げられたものが、どんどん繋がっていくのですね。
実際に参加することができなくても、とても楽しませて頂きました^^。
残念ながら、都合により藍染め展には行かれませんでしたが、またの機会がありましたらご紹介いただけると有難いです。
Posted by 風子  at 2010年06月15日 19:25
>風子さん

リンク記事が多過ぎて、見るのが大変だったでしょ?
すみません、ついつい自己顕示欲が頭をもたげてしまって。

算額大好きの風子さんが参加されてたら、歓声を上げたと思うくらい状態のいいものでしたよ。
時々、見られる機会があるらしいです。

藍染め展も定期的にやってるようですから、情報が入ったらまたご連絡しますね(^^)
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年06月15日 20:08
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