5月5日の上毛新聞「オピニオン21」に、「上州の山車と屋台」と題して、桐生市、奈良彰一さんの一文が掲載されていました。
その中に、高崎市新(あら)町の「山車(だし)蔵」が紹介されています。
←これが、新(あら)町の「山車蔵」です。
素敵じゃありませんか!
この「山車蔵」は、群馬県地域コミュニティ支援事業として、平成十九年(2007)に完成したものです。
「山車蔵」の右に見える、これまた素敵な形のお社は、新(あら)町の氏神「諏訪神社」です。
武田氏が信州諏訪から48個の 宝石を勧請して、上州各地に祀った神社の一つで、今も、その宝石は御神体として安置されているそうです。
「山車蔵」の中には、大正六年(1917)に造られた山車が、格納されています。
山車には各町内毎に異なる人形が飾られていますが、新(あら)町の山車は「健御名方冨命」(たけみなかた・とみのみこと)です。
この方は、大国主命の子供で、出雲の国から信州へ行って、「諏訪神社」を開いた神様です。
「山車蔵」と、隣の「諏訪神社」は、結びつきがあった訳ですね。
山車は流石に長年の傷みが目立つようになったので、平成十八年(2006)から4年掛かりで修繕が行われました。
その姿を写真に収めようとしたのですが、ガラス面の反射でうまく撮れませんでした。
幸い、新(あら)町在住のグンブロガー・元気が一番!さんが、「あら町の山車の内覧会」という記事で、修繕後の写真を公開してらっしゃいましたので、そちらでご覧ください。
いつも嘆き節ばかりの迷道院なのですが、ここのところ、何となく町の様子が変わってきたような気がしています。
それも、いい方向に。
城下町高崎らしい店づくりや、歴史を紹介する案内板を、ちらほらと見かけるようになってきました。
市民の意識が、少しづつ、少しづつ、古き良き高崎を意識し始めたのではないでしょうか。
もしそうだとしたら、これほど嬉しいことはありません。
新(あら)町の素敵な「山車蔵」を見て、ちょっぴり嬉しくなった一日でした。
その中に、高崎市新(あら)町の「山車(だし)蔵」が紹介されています。
←これが、新(あら)町の「山車蔵」です。
素敵じゃありませんか!
この「山車蔵」は、群馬県地域コミュニティ支援事業として、平成十九年(2007)に完成したものです。
「山車蔵」の右に見える、これまた素敵な形のお社は、新(あら)町の氏神「諏訪神社」です。
武田氏が信州諏訪から48個の 宝石を勧請して、上州各地に祀った神社の一つで、今も、その宝石は御神体として安置されているそうです。
「山車蔵」の中には、大正六年(1917)に造られた山車が、格納されています。
山車には各町内毎に異なる人形が飾られていますが、新(あら)町の山車は「健御名方冨命」(たけみなかた・とみのみこと)です。
この方は、大国主命の子供で、出雲の国から信州へ行って、「諏訪神社」を開いた神様です。
「山車蔵」と、隣の「諏訪神社」は、結びつきがあった訳ですね。
山車は流石に長年の傷みが目立つようになったので、平成十八年(2006)から4年掛かりで修繕が行われました。
その姿を写真に収めようとしたのですが、ガラス面の反射でうまく撮れませんでした。
幸い、新(あら)町在住のグンブロガー・元気が一番!さんが、「あら町の山車の内覧会」という記事で、修繕後の写真を公開してらっしゃいましたので、そちらでご覧ください。
いつも嘆き節ばかりの迷道院なのですが、ここのところ、何となく町の様子が変わってきたような気がしています。
それも、いい方向に。
城下町高崎らしい店づくりや、歴史を紹介する案内板を、ちらほらと見かけるようになってきました。
市民の意識が、少しづつ、少しづつ、古き良き高崎を意識し始めたのではないでしょうか。
もしそうだとしたら、これほど嬉しいことはありません。
新(あら)町の素敵な「山車蔵」を見て、ちょっぴり嬉しくなった一日でした。
【新(あら)町の山車蔵】