2010年05月07日

いいねー!見せる山車蔵!

5月5日の上毛新聞「オピニオン21」に、「上州の山車と屋台」と題して、桐生市奈良彰一さんの一文が掲載されていました。
その中に、高崎市新(あら)町「山車(だし)蔵」が紹介されています。


←これが、
  新(あら)町「山車蔵」です。

素敵じゃありませんか!

この「山車蔵」は、群馬県地域コミュニティ支援事業として、平成十九年(2007)に完成したものです。

「山車蔵」の右に見える、これまた素敵な形のお社は、新(あら)町の氏神「諏訪神社」です。
武田氏が信州諏訪から48個の 宝石を勧請して、上州各地に祀った神社の一つで、今も、その宝石は御神体として安置されているそうです。

「山車蔵」の中には、大正六年(1917)に造られた山車が、格納されています。

山車には各町内毎に異なる人形が飾られていますが、新(あら)町の山車は「健御名方冨命」(たけみなかた・とみのみこと)です。

この方は、大国主命の子供で、出雲の国から信州へ行って、「諏訪神社」を開いた神様です。
「山車蔵」と、隣の「諏訪神社」は、結びつきがあった訳ですね。

山車は流石に長年の傷みが目立つようになったので、平成十八年(2006)から4年掛かりで修繕が行われました。

その姿を写真に収めようとしたのですが、ガラス面の反射でうまく撮れませんでした。

幸い、新(あら)町在住のグンブロガー・元気が一番!さんが、「あら町の山車の内覧会」という記事で、修繕後の写真を公開してらっしゃいましたので、そちらでご覧ください。

いつも嘆き節ばかりの迷道院なのですが、ここのところ、何となく町の様子が変わってきたような気がしています。
それも、いい方向に。
城下町高崎らしい店づくりや、歴史を紹介する案内板を、ちらほらと見かけるようになってきました。
市民の意識が、少しづつ、少しづつ、古き良き高崎を意識し始めたのではないでしょうか。
もしそうだとしたら、これほど嬉しいことはありません。

新(あら)町の素敵な「山車蔵」を見て、ちょっぴり嬉しくなった一日でした。

【新(あら)町の山車蔵】





同じカテゴリー(高崎町なか)の記事画像
史跡看板散歩-32 高砂町(2)
史跡看板散歩-31 高砂町(1)
史跡看板散歩-29 一里塚跡(九蔵町)
史跡看板散歩-28 九蔵稲荷
史跡看板散歩-27 御伝馬事件供養碑
史跡看板散歩-26 文学僧・良翁
同じカテゴリー(高崎町なか)の記事
 史跡看板散歩-32 高砂町(2) (2017-02-19 07:14)
 史跡看板散歩-31 高砂町(1) (2017-02-12 07:48)
 史跡看板散歩-29 一里塚跡(九蔵町) (2017-01-29 07:19)
 史跡看板散歩-28 九蔵稲荷 (2017-01-22 07:53)
 史跡看板散歩-27 御伝馬事件供養碑 (2017-01-15 07:14)
 史跡看板散歩-26 文学僧・良翁 (2017-01-08 07:27)

この記事へのコメント
迷道院高崎さん こんにちは。

あら町の山車・山車庫をご紹介いただきありがとうございます。

あら町でも中心市街地の人口減や児童数の減少などの問題はありますが、新たに住人なられた人とも一体になって、山車やお囃子・お祭りを楽しんでいます。
またあら町は高崎駅から市役所へのシンフォニーロード沿いに用地を確保できましたので
地元の方々のみならず、所用で高崎を訪れる方にも山車をご覧いただけるように、連休などは山車庫をあけています。

あら町のご先祖様・諸先輩方が大切に伝えてきた山車やお囃子を後輩たちに伝えていきたいと思います。
Posted by 元気が一番!  at 2010年05月07日 08:32
あら町の“山車蔵”石造り!で素晴らしいですね。あちこちで見かける山車蔵はほとんどプレハブか木造ですから・・・。
お隣の諏訪神社も上品でいいですねー。細かい細工も素晴らしいです。良いものが大切に保存されているのを見るのは、本当に嬉しいことです。

ところで、先ごろUPした渋川市白井宿の山車ですが、迷道院さんのご推察…「ピンポーン!」でした。やはり“堂宮入秀”さんの作です。なんとも華やかで美しい山車だと思いました^^。堂宮さんのHPに“山車製作一覧”があります。http://www.doumiyairihide.co.jp/
Posted by 風子  at 2010年05月07日 11:03
山車、神輿に興じることは人が神になる時なんですね。

僕も子どものころ中一のときです。市制60周年の時山車に乗って太鼓を叩きました。
娘たちも小学生のころは高砂町の山車に・・・・・

不思議とその時ばかりは「善人」になってしまいます(笑)。
っていうか、神にもっとも近づくわけですからそういうことなんでしょうけど。
まあ、「高崎祭り」も高崎市民、年に一度「善人」になる日、行政に下心がなければいいんですけど(笑)。
それにしても、今年の高崎祭りの「花火大会」はどこで見たらいいんでしょうか・・・・・
「もてなし広場」のまん前には38億円の巨大な建物ができてソレを遮ってますけど。
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2010年05月07日 15:53
風子さん

あら町の山車も先年修繕をしましたが、やはり堂宮入秀さんにお願いをしました。

経年劣化などにより様々な狂いがあったようですが、見事に生まれ変わりました。

堂宮入秀さんや桐生の刺繍屋さんの笠盛さんなどの伝統の技が継承されているおかげで、あら町の山車もこれからも市内を巡行できます。
Posted by 元気が一番!  at 2010年05月07日 17:41
>元気が一番!さま

高崎の街中に車で出掛けるのが怖い・・・いなか者ですが、地図を見て“あら町”の場所がやっとわかりました(^^;)。
あら町も堂宮さんとご縁があったのですね。やはり、すごい技があるのですね~。山車の巡行が楽しみです!
Posted by 風子  at 2010年05月07日 19:09
>元気が一番!さん

早速コメントを頂き、恐縮です!

元気が一番!さんが記事をUPして下さっていたので、これ幸いとリンクさせてもらっちゃいました。
助かりました。ありがとうございます!

頂いたコメントからも、新(あら)町の皆さんの町を愛する気持ちが伝わってきます。
ありがたく、嬉しい気持ちでいっぱいです。

また、風子さんへの返信もありがとうございました。
改めて、いろんな方々がつながってることを実感してます。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年05月07日 19:30
>風子さん

素敵な山車蔵とお宮でしょう?
町なかの皆さん、頑張っておられるんですよね。
私も、本当に嬉しいんです!(^^)!

堂宮入秀さんとのつながりも、すごいですよね!
へー!って思っちゃいました。
風子さんがコメントを書いてくれなかったら、新(あら)町の山車も堂宮入秀さんが修繕したとは分からなかったですよ。

ありがたいです!
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年05月07日 19:36
>昭和24歳さん

私、生まれは新(あら)町なんですが、4歳で山車のない堰代町に移っちゃったので、山車を引いた記憶がありません。

高崎の山車巡行には、ちょっと意見がありまして。
単なる夏祭りでなく、頼政神社との歴史的起源を持たせた方がいいと思ってます。
そして、巡行ルートも、狭い「屋台小路」を通るように戻すと、諏訪の御柱巡行に匹敵する奇祭として、TVでも取り上げられると思ってるんですが。

あ、つい長くなっちゃいました(^^ゞ
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年05月07日 19:45
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
いいねー!見せる山車蔵!
    コメント(8)