2017年02月12日

史跡看板散歩-31 高砂町(1)

高砂町には、二つの史跡看板が建てられました。

ひとつは、「庚申塔と道祖神」



看板にあるように、ここは高崎の城下町を囲む遠構えに設けられた七口のひとつ、「江木新田口」でした。
なので、看板は「江木新田口の道祖神」とでもしてほしかったところです。

「江木新田」は、宝永六年(1709)に江木村の新田として分村された地区だそうです。
(関戸明子・奥戸井尚氏著「高崎城下町の形成過程と地域構成」)

天明三年(1783)の浅間山大噴火で、「江木新田」も軽石や降灰に覆われました。
大雲寺持ちとなっていた土地は堆積物を土中に埋め、その上に家を建てるようにしました。
そして明治五年(1872)、その大雲寺持ちの土地と「江木新田」とを合わせてできたのが、現在の「高砂町」だということです。
(田島桂男氏著「高崎の地名」)

看板にある「高砂町五本辻」がここです。


「ワタナベ薬局」「大栄高崎卸売青果市場」の間の細い道が、「大類里道」
「青果市場」の前を斜め向こうに行く道が昔の「実政(さねまさ)街道」前橋「実政の渡し」へ至る道です。

その「実政街道」を130mほど行くと、長野堰に架かる「高砂橋」です。
長野堰改修によって、雰囲気のよい川辺の遊歩道が整備されています。

右側のビルが建っている場所には、かつて「川原友禅染工場」があり、熱海にあるブルーノタウト設計の「日向家別邸」に使われた壁布は、ここで染められました。→「長野堰とブルーノ・タウト」

そして「川原友禅染工場」が染物を洗っていた長野堰の対岸では、「岩田屋水車」と呼ばれる大きな水車が回り、米を搗いていました。

写真は大正三年(1914)の三代目の水車だそうですが、昭和十九年(1944)に金属供出で失ってしまいます。





その後しばらくは、車軸台だけが残っていましたが、今はそれもありません。

「高砂橋」から50mほど先に、二つ目の史跡看板があるのですが、それは次回ということに。





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この記事へのコメント
庚申塔と道祖神とは、関係は有りませんが、群馬県の多くは粉文化で、蕎麦、小麦粉と米も水車で引いた物は低温でゆっくり引くので本来の香りと風味及び粉の場合は均一でないので
うどん、蕎麦にした時に素材本来の味が出ると思います。
Posted by wasada49  at 2017年02月14日 20:43
先日、シネマテイクまで「湾生回家」を見に行った帰り(歩行力維持のため徒歩で)、この5本辻を通りました。一部、実政街道を通ったことを今回の記事で知りました。自家用車では通ることがない道でしたので初めて見る街並みでした。「灯台下暗し」をつくづく感じます。
Posted by いちじん  at 2017年02月15日 00:13
>wasada49さん

なるほど。
手間を賭けたものは、それだけの価値がある訳ですね。
そういう物を食べてみたいです。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2017年02月15日 10:33
>いちじんさん

私も「湾生回家」見てきました。
感動的な映画でしたね。
台湾と日本の歴史についても、知らないことが多くとても勉強になりました。

実政街道は、いま塚沢小学校の所で古い道は消えてしまっていますが、その先にはまだ痕跡が残っているらしいです。
いつか辿ってみたいと思っているのですが。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2017年02月15日 10:36
芝塚のキャトレールと申します。いつも楽しくは意見させていただいております。

自分は昭和30年代に高崎保育所に通っておりました。開かずの踏切を渡り五叉路を経て通園しておりましたのでこの界隈はまさに地元です。しかも塚沢小中学校へも通いましたので、実政街道は通学路でした。以前、あの道は御幸新道といって明治天皇(?)の行幸の際に整備されたと読んだ記憶があったのですが、実政街道の方が古いのでしょうか?

地元の歴史をたどるのは本当に楽しいですね!これからもいろいろお教え下さいませ。
Posted by キャトレール  at 2017年02月20日 01:27
>キャトレールさん

コメント、ありがとうございます!
いつも見て頂いてるとのこと、とても嬉しいです。

キャトレールさんにとって、この辺りはいろいろな思い出がある懐かしの場所なんでしょうね。
仰る通り、この道は「御幸新道」です。
「実政街道」はそれよりも古くからある道で、「前橋古道」などとも呼ばれたようです。

過去記事で、「御幸新道」のことを書いたことがありますので、よろしかったら覗いてみて下さい。
http://inkyo.gunmablog.net/e63181.html

これからも、よろしくお付き合いのほど、お願い申し上げます。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2017年02月20日 07:37
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