2010年12月10日

殿様に縁のある日(その弐)

12月4日、午前中の「ふるさと再発見講座」で、元高崎藩主・安藤家の当主・安藤綾信氏の講演を聞き、その足で高崎シティギャラリーで開催される「小栗上野介展」オープニング行事へ馳せ参じました。

目当ては、德川宗家第十八代当主・德川恒孝(つねなり)氏の講演です。

德川恒孝氏は会津松平家のご出身だそうです。
小栗上野介に危険が迫る時、身重の道子夫人は権田村を脱出しますが、その落延びた先が会津藩だったことを考えると、深き因縁を感じます。

講演に先立つ、小栗上野介展実行委員長の市川平治氏の挨拶には、考えさせられるところがありました。
「小栗上野介公と、ここ高崎市とは誠に興味深い因果関係があります。
つまり、德川幕府の命運に殉じて幕閣の要職を退き、知行地の一つである上州権田村に隠棲した小栗公を、西軍の命により追補し罪なくして処刑したのは、時の高崎藩、吉井藩、安中藩等でありました。
小栗公にとっては正に敵方であります。(略)
いまや、小栗公を巡るかつての敵味方の地は一つの自治体となり、共に新しい歴史の歩みを踏み出した訳であります。
まさに、歴史の流れを感ぜずにはいられません。」


德川恒孝氏の講演にも、考えさせられることが沢山ありました。

そのひとつは、徳川時代になって日本中から戦が無くなったことによって、領地を超えたインフラ(水利、街道、通貨、度量衡など)が整備され、それによって急速に豊かな日本になったのだということです。

それまで領主が個々に蓄えていた軍資金(軍事費)を、戦が無くなったことによってインフラ整備に回す(回させる)ことができ、農地が増え、流通が増え、人口が増え、庶民の収入が増えて、物質的に豊かになった、その頂点が元禄時代であったということです。

しかし、やがて資源の開発は頭打ちになり、人口だけは増えてくるというアンバランスが起きて、経済は停滞します。
そこへ、天候不順による大飢饉が追い打ちをかけます。
各藩や幕府の財政も苦しくなった時に登場したのが、紀州藩の財政立て直しの実績を持つ徳川吉宗です。

吉宗は、幕府自ら手本を示して、各藩や庶民に倹約を奨励します。
いわゆる、「享保の改革」です。
しかし、倹約ばかりでは世の中が暗くなるので、併せて、金を掛けなくてもできる楽しみも奨めたそうです。
そのひとつが花見で、江戸城内の桜の木1200本を掘り起こして、飛鳥山に植え、隅田川沿いにも沢山の桜を植えて、庶民が楽しめる場を用意したといいます。

これによって、元禄時代の物質的な娯楽から、文化・文政時代の知的・質的な娯楽へと変わっていって花開いたのが、いわゆる「化政文化」だそうです。

吉宗のブレーンであった儒学者・室鳩巣(むろ・きゅうそう)の書いた、「名君家訓」というのも紹介されました。

「心に偽りを言わず、身を私に構えず、心素直にして外に飾りなく、作法乱さず、礼儀正しく、上に諂(へつら)わず、下に驕らず、己が約束を違えず、人の艱難を見捨てず、(略)
さて、恥を知りて首を刎ねられるとも、己がすまじきことはせず、死すべき場をば一足も引かず、常に義理を重んじてその心鉄石のごとく、また温和慈愛にして物のあはれを知り、人に情けあるを節義の士と申し候」


小栗上野介忠順という人は、正にそのような人柄であったのではないかと思います。
この日、小栗上野介を讃えた「小栗讃歌」が演奏されました。
作詞は、小栗上野介菩提寺の、旧倉渕村・東善寺のご住職・村上泰賢師です。

では、お聞きください。


德川恒孝氏は、次のような言葉で話を締めくくっておられました。

「永遠の右肩上がり経済はあり得ない。
日本に蓄積されてきた、優れた文化の再発見が必要ではないか。
それは、簡素な生活と学問、文化の豊かさ、優れた道徳観念、知足文明への道である。」


長い記事になってしまいましたが、最後までお読み頂きありがとうございました。

【高崎シティギャラリー】
「小栗上野介展」は、12月12日(日)まで開催しています。(入場無料)
午前11時と、午後2時にはギャラリートーク(展示物説明)があります。








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この記事へのコメント
小栗上野介で思い出されるのは、横須賀の造船所にあるスチームハンマーです。小栗上野介が幕末に買い付けたこの工具が平成の世まで現役で使われたことは、小栗上野介の先進性を証明していると思います。
Posted by ふれあい街歩き  at 2010年12月11日 17:43
>ふれあい街歩きさん

いやー、本当にそう思います。
たしか、小栗が造った横須賀のドッグは、今も使われてるんですよね。

明治政府(薩長)が日本の近代化をしたと言われているのも、実は、小栗の敷いたレールの上を走っただけ、というのが事実のようです。

倉渕村を併合した高崎市としては、これをもっと広く伝える責務を負ったと思わなければいけないのではないでしょうか。
もはや、歴史に冷淡な高崎のままという訳にはいかないでしょう。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年12月11日 20:08
本当にお殿さまにご縁があった日でしたね。

倉渕村にでかけることが多く、日頃から小栗公についてもっと知りたいと思っていましたので、市川平治氏のお話の中の「小栗公を処刑したのは・・・安中藩」とあるのを見てエ~~ッ!と思いました。残念至極です。

ところで、先日終了した龍馬伝にチラリと斉藤洋介さんが小栗公役で出ていましたが「違うでしょ!」と、ツッコミを入れたくなりました。小栗公はあんなモアイ風^^な人じゃないと思います。
バラバラの感想でごめんなさい。
Posted by 風子  at 2010年12月12日 03:15
>風子さん

そうそう!
龍馬伝の小栗公は、違いすぎましたね。
どちらかといえば、堺雅人さんの雰囲気のような気がします。

高崎藩も安中藩も、本当に苦渋の選択だったんだと思います。
文字通り、命を懸けた政治だったんですね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年12月12日 07:48
今年の1月19日、
わたしの友人が渋谷で
徳川恒孝氏の講演会を企画したので
行ってきました。
そこで、報告にあるような内容の話を聴きました。
村上住職も参加されていて
今回の講演の依頼の確認をされて
いたようでした。

友人は今回、他の行事と重なり
来られなかったので
本ブログの内容を伝えました。

今日が最終日、
行かなくちゃ。
Posted by いちじん  at 2010年12月12日 10:04
>いちじんさん

さすが!
もうお聞きになってましたか。

2008年には、東京で德川恒孝氏と小栗又一郎氏が参加して、御成行列というのが盛大に催されたようですね。
http://www.nishihei.com/05-54tokugawa-onari.html

駿河台の小栗忠順生誕地にはプレートも設置されて、業績が再評価されているようです。

高崎では、倉渕の方々にお任せっ放しという感じですが・・・。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年12月12日 19:49
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