2010年07月11日

むかし遊女で いま稲荷

新町行在所(しんまち・あんざいしょ)の細道を入っていくと、「於菊(おきく)稲荷神社」があります。

お菊さんは新潟の貧農の娘で、宝暦年間(1751~63)に、新町宿の妓楼・大黒屋の娼妓(遊女)をしていました。

美貌で気立ての良いお菊さんは、新町随一の売れっ妓でしたが、ふとした風邪をこじらせて、足腰が立たない程の重病となってしまいます。
すると、大黒屋の待遇は一変し、行燈部屋に寝かせるという冷たい仕打ちをするようになりました。

同情した町の人は、稲荷神社の裏に小屋を建ててお菊さんを住まわせ、交替でその看病にあたったといいます。
ある夜、お菊さんの枕もとにお稲荷さんが現れると、病は奇跡的に全快します。
お菊さんは、その恩に報いるため稲荷神社の巫女となるのですが、ある時から、作物の出来具合や人の吉凶、失くし物のありかまで様々な事を言い当てるようになります。

そこから、誰言うともなく「於菊稲荷」と呼ぶようになったのだそうです。

「於菊稲荷」は、参道に並ぶ多数の鳥居が有名ですが、昭和三十六年(1961)までは、ここに随身門が建っていたのだそうです。
老朽化により倒壊しそうだったが、修繕費がないので取り壊したということです。
文政六年(1823)の建物で、県内最大のものだったそうですから、惜しいことをしました。

随身門の左手前に写っているのが、同じ文政六年に建てられた水屋です。

総欅、入母屋造りの重厚な水屋で、瓦屋根、彫り物も一見の価値ありです。



この石水盤が、また凄い!→
唐獅子牡丹が、「冰香」(ひょうこう)と刻まれた水盤を支えています。
「冰」「氷」のことだそうですから、「氷の香り」ですか?
よく分かりませんが、「無」になって祈りなさいということなのでしょうか。

狛犬ならぬ、狛狐がユニークです。

背中に子供を乗せてたり、足で押さえつけてたりしてます。(抱いてるのかな?)

狛犬が暇そうにしているのが、また笑えます。

本殿の右には、比較的新しく作られたと思われる「聖徳太子堂」があり、その左には「白狐塚」があります。

もともとこの稲荷神社は、天正十年(1582)神流川合戦の際、白い狐が現れて北条氏が勝利を収め、これに感謝して社を構えたと伝えられています。
そのため、神社には土焼の白狐が多数納められ、そのかず数千にもなったといいます。
壊れるものも多く、それをまとめて埋めたのが「白狐塚」なのだそうです。

本殿の裏に回ったら、草むらでの家族が和やかに暮らしていました。

まるで、野外ステージの人形劇のように、そこだけスポットライトが当たっていました。

不思議空間、「於菊稲荷神社」でした。

そういえば、帰りがけに「ハイツ大黒屋」というアパートがあったんですけど、これ、お菊さんとは関係ないんですよね、きっと。


(参考図書:「新町明治百年史」「群馬歴史散歩・新町」「小さな町の物語・新町」)


【於菊稲荷神社】





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この記事へのコメント
新町について
新町の町名、私も「多野新町」に
したら良いと思っていました。
迷道院さんと同じ考えでしたね。

実は、父が戦後復員して勤めたのが
従兄弟が経営していた新町のA会社でした。
現在は、その会社は岩鼻方面に移転して
昔の工場は倉庫になっていますが、
その工場の社宅で生まれ、4歳まで
暮らしていました。
ですから、新町は私にとって
「こころのふるさと」なのです。

ちょっと、大国屋さんや於菊稲荷神社と
離れてしまいましたが、
新町をしばらく取り上げていただけそうなので
嬉しくて、ついつい・・・。
Posted by いちじん  at 2010年07月11日 12:16
子どもの頃、高崎からわざわざ新町の歯医者さんまで治療に連れられて行っていました。

先代(先先代?)の髭のある怖い先生で(こどもにとって怖く見えただけで、本当は優しい先生だったのですが)、行くのが本当に嫌だったなァ。

当時は歯科医院が少なかった時代で、いつも混んでたので、順番が来るまで近くの神社で遊んだ記憶がありました。

通っていた歯医者さんは谷越先生という方で、地図を確かめてみたら、於菊神社の直ぐ近くでした。 ということは、私はそこで遊んでいたわけです。

まあ、世の中には色々な偶然があるものですね。
Posted by キレイズキ  at 2010年07月11日 13:10
高崎市外に住んでいますと、「新町」と「あら町」の違いがわからなくて???と思っておりましたが、ニブい私めも、ようやく名前の経緯を理解できました。
お菊さんのお話も興味深いものです。困っている人を見捨てないで、ちゃんと面倒をみて、最後はお稲荷さんになってしまう・・・ここでも、昔の市井の人々のやさしさを感じます。
狛狐さんの耳がやけに大きい感じがするのは、気のせいでしょうか、狛犬も忘れていないところが微笑ましいです^^。
Posted by 風子風子  at 2010年07月11日 16:48
>いちじんさん

えっ!本当ですか!
同じ「多野新町」を考えていたとは、嬉しいです!
市民に募集して欲しかったですよね。

新町は「こころのふるさと」ですか。
それも、私と同じですね(^^)

新町探検も面白そうなのですが、実は今、密かに探索しているところがあるんです。
先日、一度行って辿りつけなかったんです。

難航しそうで、ブログが途切れちゃうかも(T_T)
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年07月11日 18:37
>キレイズキさん

その歯医者さん、もしかして行在所の角の大きな蔵のあるお家ですか?
古くてよく読み取れない表札に、確かそのように書いてあったような気がするんですが。

それにしても、不思議な偶然ですね。
最近私も、人とのつながりの不思議に驚いています。
もしかすると、偶然ではなく必然なのではないかと思うくらいです。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年07月11日 18:47
>風子さん

お菊さんにお世話になった男性が沢山いたのかもしれませんが、それだけじゃ周囲の目があるから、そんなに親身になって面倒見られませんよね。

お菊さんの気立ての良さが、そうさせたんだと思います。
どんな女性なのか、会ってみたい気もします(^^)

狛狐の耳、言われてみれば確かに大きいでですね。
それだけ、願いごとをよく聞いてくれるのかな?
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年07月11日 18:53
迷道院様、昔の人の稲荷信仰は素朴かつ身近にあったんですね。かくいう私の家の裏の屋敷神さまの祠の中にも陶製のお狐さまが2匹ほど
鎮座されてます。
さてお菊さんの「超能力」、人々の将来から農作物の出来具合、果ては無くした物の行方まで。私はがちがちの唯物論者ではありませんので世の中には科学では説明がつかない不思議な事がきっとあると信じてます。
そうじゃなきゃ夢がありませんものね。
迷道院様はどうですか?
Posted by 柏木沢の農家おじさん  at 2010年07月11日 19:49
>柏木沢の農家おじさん様

私も、不思議を信じる派です。
人間そのものが、既に不思議な存在だと思ってます。
これだけ科学が進んでも、人間の考えや行動は分からないことばかりです。

そもそも、分かったことを扱う学問が科学ですから、分からないことは非科学的って言われちゃう(^^)

屋敷稲荷様、お大切に!
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年07月11日 22:00
>参道に並ぶ多数の鳥居が有名ですが

これが昔のままならば紫文の名前(本名ですが)の鳥居があります。
中学の時から難病(今でも治ってないですが)で親が寄進しました。
Posted by 紫文  at 2010年07月13日 11:26
>紫文師匠

えー?ほんとに!
あとで、こそっと本名教えてください。
探してみます!
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年07月13日 20:03
迷道院高崎さま

>あとで、こそっと本名教えてください。

田島悟です。
別に隠すものでもないので…
もしかした「田島幹裕」(だったかな)かもしれません。
名前が悪いから病気になったんだ、とかいわれて高い金だして、病気が治る名前をつけてもらったので、その頃だったらそんな名前です。
すっかり忘れていたことですが、迷道院さんのおかげでいろいろ想い出しました。
親は一所懸命だったんですね、ありがたいです。涙が出ます…
Posted by 紫文  at 2010年07月14日 00:37
>紫文師匠

ありがとうございます!
探してみますね。

親御さんの深い愛情が偲ばれる、いいお話です。
子どもの具合が悪いと本当に心配で、何としてでも治してやりたいと思うのが親ですね。
私は、幸い大病をしたことはありませんが、風邪をひいて熱を出しただけでも、親はすごく心配してました。

あー、紫文さんのおかげで私も思い出して、ウルッときちゃいました。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年07月14日 07:31
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