前回の「諏訪神社元宮」の場所から移設されたのが、五区にある「諏訪神社」です。
「元宮」の史跡看板は、ここに建てれば説明文そのままでよかったのにと思います。
旧中山道沿いの一の鳥居から参道を50mほど進むと、境内に入ります。
二の鳥居を潜って直角に曲がると神殿があるような配置になってますが、これについては、こんな話があります。
拝殿前に、石造りの立派な由来碑が建っています。
最後の段に、明治三十九年(1906)の社殿全焼のことが刻まれていますが、日露戦争大勝祝賀会の神社の提燈が火元だったそうです。(新町の神社と寺院)
昭和十年(1935)に再建された本殿には、素晴らしい彫刻が施されています。
花咲か爺にしちゃ変だな、と思いつつ他の二面を見ると・・・、
楠木正成と新田義貞だったので、児島高徳だと分かりました。
「太平記」がモチーフだったんですね。
境内の一番奥へ行って見ると、こんなのがありました。
洪水で埋まっちゃったのかと思いましたが、そうじゃありませんでした。
後ろ側に埋まっているのが、昔の「二の鳥居」、こんな風に建っていました。
手前に埋まってるのが、昔「一の鳥居」です。
新町の「残す文化」を代表するような鳥居ですね。
すばらしい!
「元宮」の史跡看板は、ここに建てれば説明文そのままでよかったのにと思います。
旧中山道沿いの一の鳥居から参道を50mほど進むと、境内に入ります。
二の鳥居を潜って直角に曲がると神殿があるような配置になってますが、これについては、こんな話があります。
「 | 伝えによると中山道の南側に小千木良と呼ばれた旧家が北向きに参道の直前にあった。 |
笛木村からこの神社が遷座される際、神殿と向きあう形になるので、不敬に当たらぬようにと神社を東向きにしたのだという。」 |
(新町の神社と寺院)
拝殿前に、石造りの立派な由来碑が建っています。
最後の段に、明治三十九年(1906)の社殿全焼のことが刻まれていますが、日露戦争大勝祝賀会の神社の提燈が火元だったそうです。(新町の神社と寺院)
昭和十年(1935)に再建された本殿には、素晴らしい彫刻が施されています。
花咲か爺にしちゃ変だな、と思いつつ他の二面を見ると・・・、
楠木正成と新田義貞だったので、児島高徳だと分かりました。
「太平記」がモチーフだったんですね。
境内の一番奥へ行って見ると、こんなのがありました。
洪水で埋まっちゃったのかと思いましたが、そうじゃありませんでした。
後ろ側に埋まっているのが、昔の「二の鳥居」、こんな風に建っていました。
手前に埋まってるのが、昔「一の鳥居」です。
新町の「残す文化」を代表するような鳥居ですね。
すばらしい!
【五区諏訪神社】