2018年06月03日

史跡看板散歩-95 新町五区の諏訪神社

前回の「諏訪神社元宮」の場所から移設されたのが、五区にある「諏訪神社」です。
史跡看板散歩-95 新町五区の諏訪神社

「元宮」の史跡看板は、ここに建てれば説明文そのままでよかったのにと思います。
史跡看板散歩-95 新町五区の諏訪神社

旧中山道沿いの一の鳥居から参道を50mほど進むと、境内に入ります。
史跡看板散歩-95 新町五区の諏訪神社

二の鳥居を潜って直角に曲がると神殿があるような配置になってますが、これについては、こんな話があります。
伝えによると中山道の南側に小千木良と呼ばれた旧家が北向きに参道の直前にあった。
笛木村からこの神社が遷座される際、神殿と向きあう形になるので、不敬に当たらぬようにと神社を東向きにしたのだという。」
(新町の神社と寺院)

拝殿前に、石造りの立派な由来碑が建っています。
史跡看板散歩-95 新町五区の諏訪神社

最後の段に、明治三十九年(1906)の社殿全焼のことが刻まれていますが、日露戦争大勝祝賀会の神社の提燈が火元だったそうです。(新町の神社と寺院)

昭和十年(1935)に再建された本殿には、素晴らしい彫刻が施されています。
史跡看板散歩-95 新町五区の諏訪神社

史跡看板散歩-95 新町五区の諏訪神社
花咲か爺にしちゃ変だな、と思いつつ他の二面を見ると・・・、
史跡看板散歩-95 新町五区の諏訪神社
楠木正成新田義貞だったので、児島高徳だと分かりました。
「太平記」がモチーフだったんですね。

境内の一番奥へ行って見ると、こんなのがありました。
史跡看板散歩-95 新町五区の諏訪神社

洪水で埋まっちゃったのかと思いましたが、そうじゃありませんでした。
史跡看板散歩-95 新町五区の諏訪神社

後ろ側に埋まっているのが、昔の「二の鳥居」、こんな風に建っていました。
史跡看板散歩-95 新町五区の諏訪神社

手前に埋まってるのが、昔「一の鳥居」です。
史跡看板散歩-95 新町五区の諏訪神社

新町「残す文化」を代表するような鳥居ですね。
すばらしい!


【五区諏訪神社】






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この記事へのコメント
歴史ある神社ですね。
鳥居も元禄ですから、2018-1866=150年
以上前の鳥居ですから素晴しいですね。
日々丹念に神社などを
細かく調べていますね。
新町は江戸時代には、栄えていたのですね。
Posted by wasada  at 2018年06月03日 09:39
昭和の作とは言え、本殿の彫刻は
観て楽しくなるような良い彫刻ですね。
昔の鳥居を保存しているのも立派で、
何かにつけて新町を見習いたいものです。
Posted by 風子風子  at 2018年06月03日 15:23
>wasadaさん

江戸時代の新町も、明治以降の新町もけっこう栄えてたんですよ。
何と言っても日本で最初の官営屑糸紡績所ができ、後のカネボウになりましたし、自衛隊の駐屯地もできて、人口が多かったですからね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2018年06月03日 19:49
>風子さん

本文にも書きましたが、「残す文化」があるんですよね、新町は。
そういえば、今日の上毛新聞・三山春秋に碓氷関所の門の部材を隠して保存した話が載ってましたね。
高崎の町なかでは、明治創業の老舗すき焼き店の建物が今解体されています。
旧高崎には、「残す文化」も残ってないようです。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2018年06月03日 20:00
碓氷関所の門を
明治維新の際に、
部材を解体して残した事は
現代ではできないと思いますが
今になって、その価値が今直されて
報道によると発掘調査するようですので
上州人としては、素晴らしい方で、
そんな方が、現在はいないのが残念ですね。
一度失われた文化は二度と戻らないのでは?
Posted by wasada49  at 2018年06月03日 21:59
>wasada49さん

残したいと思う方は、少なくないと思います。
ただ、個人の店舗や自宅を所有者自体で残すということは、経済的にも非常に難しいことと思います。
寄附やふるさと納税を活用して残す手法を、行政として編み出してほしいと思っています。
いずれにしても、郷土の歴史を大切にする気持ちを醸成するのが先かもしれませんが。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2018年06月04日 09:27
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