2021年07月04日

史跡看板散歩-232 椿名(つばきな)神社

いつも起点にする「満寿池」から権田方面へ300mほど行った所に、「椿名(つばきな)神社」の看板が建っています。
史跡看板散歩-232 椿名(つばきな)神社

その向かい側が参道です。
史跡看板散歩-232 椿名(つばきな)神社

70mほど進むと、趣きのある石橋が架かっていました。
史跡看板散歩-232 椿名(つばきな)神社
史跡看板散歩-232 椿名(つばきな)神社

橋の名前はないようですが、架橋の年月や架けた人の名前は刻まれています。
史跡看板散歩-232 椿名(つばきな)神社

また少し行くと、片側にだけ御神燈が建っています。
史跡看板散歩-232 椿名(つばきな)神社
史跡看板散歩-232 椿名(つばきな)神社
明治三十六年(1903)のものですけど、この頃は75歳で御神燈を寄進したくなるほどの長生だったんですね。

突き当りが、「椿名神社」です。
史跡看板散歩-232 椿名(つばきな)神社

入ったすぐ左の手水鉢の後ろに、高崎市指定天然記念物「椿名神社の大イチョウ・大ケヤキ」の看板があります。
史跡看板散歩-232 椿名(つばきな)神社
史跡看板散歩-232 椿名(つばきな)神社

「大イチョウ」は、社殿の左隣に聳えています。
史跡看板散歩-232 椿名(つばきな)神社

400年の間に、イチョウと杉が一体化しちゃったようです。
史跡看板散歩-232 椿名(つばきな)神社
すごいなぁ。

史跡看板は、境内へ入って右の「参道改修記念」碑の隣に建っているんですが・・・、
史跡看板散歩-232 椿名(つばきな)神社

なぜか、「大ケヤキ」だけの看板になっています。
史跡看板散歩-232 椿名(つばきな)神社
しかもこのケヤキ」って、まさかこの切株じゃないですよねぇ。
史跡看板散歩-232 椿名(つばきな)神社

「大ケヤキ」は、社殿の後ろです。
史跡看板散歩-232 椿名(つばきな)神社
史跡看板散歩-232 椿名(つばきな)神社
看板は、社殿裏のケヤキ」と書き直すか、「大ケヤキ」の根元に移すかした方がいいんじゃないでしょうか?

さて二つの看板に、「椿名神社」「行前」という所から遷したと書かれています。
「行前」の元宮が火災で焼失したからと言うんですが、その火災の原因が二つの看板で微妙に異なっていて、片や「戦火」、片や「野火」となっています。

このことは、椿名神社社掌を兼ねていた八幡八幡宮社掌・竹林豊三が、昭和六年(1931)に作成した由緒書を見たら分かりました。
当所ハ後ニ牧場トナリ権田栗毛ト称スル名馬ノ産地ナリト云フ、御社モ宏大ニシテ社家等モ数多アリシガ、元亀天正ノ間、武田上杉等戦ノ衢(ク:道)トナリ、兵火ニ罹リテ社殿及家屋等皆消失ス、
(略)
依之旧記古文書宝物類等悉皆消失シ、一時廃絶ノ形勢ナリシヲ、文禄年中天台修験正福院ノ住職ト村民相議リ、往古大国主命ノ神社在リシ勝地ニ移転ス、此ノ処ニ神体ヲ奉ジ来テ満行大権現ト崇奉、故ニ旧社地ニハ小祀ヲ建立シテ祭祀セシモ、野火ノ為ニ数度焼失、」
ということで、現在地に遷したのは「兵火で焼失」したためで、その後、旧社地が「野火で焼失」したのでした。

その旧社地「行前」とはどこなんでしょう。
倉渕村の字図を見てみましょう。
史跡看板散歩-232 椿名(つばきな)神社

「行前」という地名の由来が、「新編倉渕村誌第三巻民俗編」に書いてあります。
上ノ久保から行前川(上ノ久保沢川)に沿って入ると行前という地名がある。
そこは椿名神社がもとあった所で産土山(うぶすなやま)とよんでいる。
椿名神社の由緒によれば、元湯彦命(モトユヒコノミコト)が東国を平定したときに、この山の上に立って望見し、不令行(この先は行かず)を出したという。
これがイクマイ→イクマエとなったという伝承がある。」
「行かず」「行くまい」「行前」になったんだって言うんですがねぇ・・・。

実は、「椿名神社」の由緒というのがもうひとつありまして、明治十二年(1879)に権田村戸長が県に提出したものです。
サキニ別当正福院七世了瑱法印ヨリ聞伝フルニ、椿名神社元湯彦尊ハ大古権田村字広町、今ノ御社ノ裏ニテ当時烏川敷ノ向岸辺ニ、大ナル塚アリ。
頂上ノ丸キ野石ニ、車ノ郡権田村近田庄川並ノ里、椿名神社元湯彦尊ト幽(かすか)ニ切附アリ。(略)
享保ノ頃、烏川ニ(に)三回ノ満水ニテ、最初二回メノ頃、御塚七分通リモ崩破川欠トナリ、其際ヨリ丸キ石出タルコト大ナルハ五〆目位ヨリ百匁位マテ凡五十斗ナリ、追々空シク皆無地トナル。
流失ヨリ直ニ字行前丸小山ノ頂上ニ石ノ宮ヲ建立シ、是ヲ鎮守ト崇メ祭ルコト四十年間ナリ。」
現在の「椿名神社」の向こう岸にあった塚上の石に、「椿名神社元湯彦尊」と刻まれていたのが元の元だというのです。
それが大水で流失しちゃったので、石宮を建立した場所が「行前」なんだという訳です。

因みに、「元湯彦命」(モトユヒコノミコト)というのは、椿名神社由緒によれば、綏靖(すいぜい)天皇の御宇、宇摩志麻遅命(ウマシマジノミコト)の御子だそうです。

ところが、ややこしいことに、「榛名(はるな)神社」の由緒に「彦湯支尊」(ヒコユキノミコト)という人物が出てきて、これが「元湯彦命」と同一人物だということで、話しもよく似てるんです。
室田町大字榛名山巖山にあり、
創立は社傳に據(よ)れば神武・綏靖兩朝の御宇、饒速日命(ニギハヤヒノミコト)の御子・可美眞手命(ウマシマデノミコト)及び孫・彦湯支命父子、東國戡定(かんてい:平定)の任果てゝ榛名山中に薨(こう:死)ぜりと言ひ傳へ、山上に神籬(ひもろぎ:依り代)を立てゝ天神地祇(てんじんちぎ:全ての神々)を祭り、皇孫を壽き奉り、永く東國五穀の豊穣を祈り國家鎮護の靈場なりしといふ。」
(群馬縣群馬郡誌)
どうも、いろいろがこんがらがってるようですね。

「倉渕村誌」は、こう結論付けています。
塚から出た丸石は氏族の長の墓が神社の起源ともみられる。
祭神を元湯彦命としたのは、神社を皇室中心の祭祀とした時代につくり出されたものであろう。
つまり、はじめは氏の長をまつったものであったが、後に国の権力者の統制にしたがって祭神を皇室ゆかりのものに変えた。
さらに下って江戸時代になり榛名神社の名声を慕って、従来の氏神の中に榛名神社の祭神をも分霊合祀したものと考えられる。」

拝殿に、みごとな天井絵がありました。
史跡看板散歩-232 椿名(つばきな)神社

田植えが済んだばかりの田んぼの中に、ポツンと「椿名神社」の森があります。
史跡看板散歩-232 椿名(つばきな)神社

慶応四年(1868)三月四日、小栗上野介の軍用金目当てに暴徒たちが大挙集合したのが、ここ「椿名神社」だったことも記憶に留めておきましょう。


【椿名神社】






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この記事へのコメント
椿名神社の扁額には延喜式内とありますね。
おいおい、それは榛名神社だろ、とツッコミたくなりますが・・・。
こちらが式内社である可能性もないわけではないのです。
延喜式には様々な写本が存在しますが「榛名」とするものと「椿名」とがあります。
国宝となっている九条家本においては「榛名」、
国立国会図書館に所蔵されている写本においては「椿名」となっています。
また、上野国神名帳においては、
総社本で「榛名」、一宮本で「椿名」、群書類従本で「榛名」としています。
どちらが本当なのでしょう。
しかし、これらとは異なる名称が記されている文献があります。
上野国交替実録帳です。
これは九条家本の紙背に記されたもので、国司交替の際の公文の草案だそうです。
つまりは下書きであり、どうやら複写ではないようです。
国司又はそれに近い高官により記された1030年の文献ですので、
今日に伝わる延喜式神名帳や上野国神名帳の写本より古いものとなります。
そこにはこう書かれています。
「正○位 椿榛明神社」と。 ※○は解読不明
椿榛。
「つばきはしばみ」と読むのでしょうか。
それとも「ちんはん」と読むのでしょうか。
椿と榛は茶道においてペアで使われることが多い花材ですが、
そこに何らかのヒントがあるのでしょうか・・・?
Posted by 通りすがり  at 2021年09月20日 18:27
>通りすがりさん

いろいろな文献に基づくご教示、ありがとうございました。
「椿榛明神社」という記述があるんですね?
どんなことからの命名なんでしょうか?
知りたいですね。

ありがとうございました。
勉強になりました。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2021年09月23日 11:31
式内・榛名神社には謎が多く、1925年刊行の特選神名帳においては室田の榛名神社を比定しています。
神戸町の戸榛名神社も論社のひとつで、また、榛名神社の元宮との説もありますね。
そして現在の榛名神社こそが伊香保神社という説もあります。
いろいろ楽しいですw
Posted by 通りすがり  at 2021年10月02日 18:47
>通りすがりさん

なるほどですねぇ。
知るということは楽しいことですね。
ありがとうございました。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2021年10月02日 20:43
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