2021年02月28日

史跡看板散歩-番外編 下室田のおねがい地蔵尊

Googleマップで室田の地図を見るたびに、「おねがい地蔵尊」というのがあって、いつも気になっていました。


で、取材のついでに行ってみると、「沢田川」に架かる橋のたもとの小さな祠でした。



祠の外に三体のお地蔵さまがいますが、中にいらっしゃるのが本命の「おねがい地蔵尊」でしょう。

ただ、建立年月と建立者名はあるものの、謂れがどこにも書いてありません。
いったい、何をお願いしているのでしょう。
深い川のほとりに建ってるから、子どもの水難か何かあったのかなぁ。

近くの自動車修理工場の方にお聞きしましたが、分からないと言います。
榛名支所へも行ってみましたが、やはり分かりません。
これは、建立者の石井三郎さんに聞くしかなさそうですが、どこにお住まいなのか全く分かりませんし。

さてそれからというもの、取材で室田へ行く度に石井さんの家を探し続けました。
それを詳しく書こうとすると、えらく長い話になってしまうので途中は省きますが、室田通い3度目くらいでようやく石井さんの家に辿り着くことができました。

石井三郎さんはすでに亡くなっておられたのですが、ご子息の石井博仁さんにお会いすることができました。
突然の訪問にもかかわらず快く迎えて頂き、お話を伺うことができました。

お話によると、この道がバラス道だった頃、その道に沿って小川が流れていたそうです。


ある日、三郎さんが小川を掃除していると、中からお地蔵さまが出てきて、これは放っておくわけにいかんと言って、小川の畔に祠を建ててお祀りしたのだとか。

後に道路は拡幅・舗装され、その関係でお地蔵さまは現在地に移しました。

バラス道だった頃は、ここのカーブでよく事故があったそうです。
「おねがい地蔵尊」という名前について、博仁さんは、事故が起きないことや、その他諸々のお願いを叶えてくれるようにとのことだろうと仰っていました。

「あー、これですっきりしました。」とお礼を言ってお暇しようかと思った時、三郎さんの建てたものがまだあるんだと言って、案内してくださいました。
連れて行って下さったのは、近くの「新滑川橋」の下でした。
そこに建っていたのは「河童天国」という石像で、三郎さんが平成八年(1996)に建立したものです。


「新滑川橋」が架橋されたのは平成七年(1995)、翌平成八年(1996)には滑川の河川改修が行われ、親水公園と駐車場が造られました。
それらに石井さんが所有地の一部を提供したのです。
その記念として建てたのが「河童天国」像で、子どもたちが安全に水遊びできるようにとの願いが込められているのでしょう。
「滑川ほたる公園」の看板に、「カッパ」と書かれています。


さらにもうひとつ、石川三郎さんの名前が刻まれているものがあると言います。
「おねがい地蔵尊」から北へ300mほど行った、「大山祇神社」(おおやまつみ・じんじゃ)にあるそうで、早速行ってみました。


この石段を修復して、石碑も建てたんだそうです。

平成十一年(1999)ですから、「おねがい地蔵尊」を移設した翌年ですね。

まだありました。
二の鳥居は平成七年(1995)、社殿前の御神燈は平成六年(1994)の奉納です。

深い郷土愛を持つ篤志家だったんですね。

ところで、「大山祇神社」の御神木・大ケヤキですが・・・、

倒壊の恐れがあるので、近い内に伐られてしまうそうです。

いやー、こればかりは、さすがの「おねがい地蔵尊」にお願いしても何ともならないでしょうかねぇ。


【おねがい地蔵尊】

【河童天国像】

【大山祇神社】


  


Posted by 迷道院高崎at 07:54
Comments(2)高崎市名所旧跡案内板