2010年03月09日

親父が旅立った日

5年前の今日、親父は旅立ちました。
もっとずーっと昔のことのように思えるのですが・・・。

明治四十一年(1908)生まれ。
←13歳で浅草の両替商へ奉公に出された時の写真だと聞いています。

浅草で大震災に遭ってから、本庄に移って床屋の修行に入ります。
以来、腕一本で妻と二人の子を養い、70歳まで仕事を続けました。

明治生まれの職人ですから、とにかく短気だったようで、母と姉は大変な思いをしたようです。
私は、親父が歳いってから出来たので、あまり短気を起こしている姿を見たことはないのですが、その性格だけはしっかり受け継いでいるようです。

負けず嫌いで、スポーツ好きで、花札、麻雀、将棋、囲碁といった勝負ごともめっぽう強かった親父でした。
隠居してからもゲートボールに熱中し、部屋の畳は練習のスティックで擦り切れてしまう始末。
短気な性格も健在で、公園での練習中に仲間とケンカして帰って来てしまい、しばらくは部屋で寂しそうにしていますが、何日かするとまた出かけていくという毎日でした。

そんな親父も、80歳の時、ケンカ相手だったを亡くしてからは、部屋でテレビを見る毎日で、週に一回行くデイサービスだけを楽しみにするようになりました。
ひたすら、「若いもんに迷惑を掛けない」ということだけを考えているように見えました。

旅立った年、偲ぶ会を前に、親父の97年間を年表にしてみました。→

あらためて、時代というものの変化、人間の一生、老いるということの難しさ、などなど、考えさせられることが沢山ありました。

最近、自分の年に、親父はどんなことを考えていたのかな、と思うことが多くなりました。

雨からみぞれ、そして雪になった今年の命日。
明治・大正・昭和・平成という時代を生き抜いた親父に、こんな曲を贈りたくなりました。



  


Posted by 迷道院高崎at 15:20
Comments(18)◆私事雑感