2009年11月27日

追跡!藤森稲荷(最終回)

土屋喜英氏著「高崎漫歩」には、藤森稲荷の名前の由来について、次のように書かれています。
「大正の終わり頃に、近くの人達が社を新しくして、藤の木が森のように繁っていたことから藤森稲荷と名付けたそうである・・・」
しかし、大橋町の方々にお聞きした限りでは、藤の木が森のように繁っていたという事実はなさそうで、名前の由来については定かでありませんでした。

そのヒントを与えてくださったのが、烏子(すないご)稲荷神社山田道長宮司でした。

ところで話は変わりますが、皆さんは、なぜ「烏子(からすこ)」と書いて、「すないご」と読むかご存知でしたか?

烏子稲荷神社のある広い一帯を、昔、「須苗郷(すなえごう)」と呼んでいたので、その総鎮守を「すないご稲荷神社」と呼ぶんだということは、いろいろな本に書かれていますので知っていました。
でも、何故「すなえご」ではなく「すないご」なのか、何故「烏子」と書くのか・・・?
私はずーっと疑問に思っていたのですが、宮司さんのおかげで謎が解けました。

宮司さんのお話は、こうでした。
昔の須苗郷というのはとても広い地域で、榛名の麓から石原・乗附丘陵の麓までを含んでいました。
その中央を滔々と流れているのが、「烏川」です。
そして、「氏神」が守護する地に住む人々を「氏子」と言います。
そこで、「烏川」の「烏」と、「氏子」の「子」で、「烏子」としたのだそうです。

昔は、「稲荷神社(烏子)」と称していたそうですが、昭和五十年(1975)頃、「烏子稲荷神社」と言う名称に改めたのだそうです。
その時、「すないご」とふり仮名をつけて登録したのだそうですが、
「ちょっと訛りが入ったというか、『え』よりも『い』の方が、あいうえお順で前に来るからと思ったんだけど、今思えば、『すなえご』にしておけば良かったかな?」と笑っておられました。

藤森稲荷の話に戻りましょう。
そもそも、烏子稲荷神社の由緒には、「桓武天皇の御世、延暦二年(783)に藤原金善という人が、山城の国『藤の森稲荷』の御分霊を勧請せり」とあります。
そうなんです、「の」は入りますが、藤森稲荷じゃありませんか!

ただちょっと気になることもありました。
山城の国(京都)にあるのは、
「藤森(ふじのもり)神社」で、稲荷とは書いてないのです。
その由緒を見てもご祭神に稲荷神はいません。
しかも、「今日では勝運と馬の神様として、競馬関係者(馬主・騎手等)、また、競馬ファンの参拝者でにぎわっております。」とあります。
ありゃりゃ?

これも、山田宮司のお話で、合点がいきました。
お稲荷さんの総本宮と言われるのが、京都「伏見稲荷大社」ですが、実はこのお稲荷さん「藤森神社」と大いに関係があるのです。

伏見稲荷大社のある地は、もともとは藤尾(ふじのお)と呼ばれていて、藤森神社の土地だったんだそうです。
ある時、藤森神社を司る紀伊氏のところに、稲荷神を崇拝する秦氏がこう言ってきます。
「祠を建てたいので、稲ワラを数束広げる程度の場所を貸してもらえないだろうか?」
紀伊氏は、その程度ならと快く了解しました。
すると、秦氏は早速やって来て、広げた稲ワラを1本1本縦につなげて、山一つをぐるりと囲んでしまいました。
その山が、現在「伏見稲荷大社」のある稲荷山だそうです。

かつて紀伊氏蘇我氏に仕え、帰化人の秦氏を配下にして勢力を拡大していました。
しかし、大化の改新によって蘇我氏の勢力が衰えると、それに連れて紀伊氏も衰退し、代わりに栄えてきたのが秦氏だという訳です。
そんなことを知って、前述の話を聞くと、なかなか考えさせるものがありますね。

ところで、烏子稲荷神社の本殿は、「稲荷山古墳」という円墳上に造られています。→

←裏に回ると、横穴式石室の入り口がありますが、これが京都伏見稲荷と通じていて、が行き来していたという言い伝えもあります。(田島桂男氏著「高崎の地名」より)

大橋町にあったという「藤森稲荷」は、おそらく「烏子稲荷神社」とも関係のある京都「藤森神社」、さらには「伏見稲荷」と関係しているのではないかと思います。

最後に、烏子稲荷神社の祖、藤原金善の哀しい物語をご紹介しておきましょう。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

桓武天皇の頃、藤原氏一門に連なる立派な家柄の藤原金善という人が、妻と一緒に京から関東へ下る道すがら、須苗子(すなえご)の森にさしかかりました。
美しいその森がたいそう気に入った金善は、ここに永住したいと考えました。
ついては、かつて自分が崇拝していた、「藤の森稲荷」の分霊をここに祀ろうと思ったのですが、再び妻を京まで歩かせる訳にもいかないと、妻を残して京へ戻っていきました。
一人知らぬ土地に残された妻は、心細く夫の帰りを待っていましたが、そんな心に付け入る輩がいつの世にもいるものです。
ある男が、言葉巧みに妻を騙し、夫の座についてしまいます。
「藤の森稲荷」の分霊を受けて戻ってきた夫の姿を見た妻は、初めて男に騙されたことを知ります。
妻はそのことを恥じ、ついに川に身を投げて死んでしまいました。
悲しみにくれた金善は、ここ須苗郷の森に藤の森稲荷の分霊を祀り、神職としてこれに仕えたということです。
(「高崎の名所と伝説」より、若干、迷道院高崎が加筆いたしました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、「追跡!藤森稲荷」、最終回までお付き合い頂き、ありがとうございました。
知らなければ、何の変哲もない床屋さんの駐車場に、こんな面白い歴史と文化があったとは、私自身おどろきました。
観光都市高崎の目指すべきところが、何となく見えてきたような気がします。
みなさんは、どのように思われたでしょうか。




同じカテゴリー(藤森稲荷)の記事画像
追跡!藤森稲荷(其の四)
追跡!藤森稲荷(其の参)
追跡!藤森稲荷(其の弐)
追跡!藤森稲荷(其の壱)
同じカテゴリー(藤森稲荷)の記事
 追跡!藤森稲荷(其の四) (2009-11-25 07:26)
 追跡!藤森稲荷(其の参) (2009-11-22 07:52)
 追跡!藤森稲荷(其の弐) (2009-11-20 07:47)
 追跡!藤森稲荷(其の壱) (2009-11-18 07:30)

Posted by 迷道院高崎 at 05:57
Comments(13)藤森稲荷
この記事へのコメント
このような昔語りを子どもたちに聞かせたいですね。
小学校高学年、中学生辺りからなら興味を示すかと。子どもたちが高崎をディスカバーするためにも・・・・・
高崎の古墳群も現代とのつながりに興味があります。

「ヒトはどこから来て、どこへ行くのか」
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2009年11月27日 07:06
すないご神社、子供の頃よく行って遊んでました(^^)

なんですないごなのか気になってたんですが
お蔭さまですっきりです。
Posted by とこぶし  at 2009年11月27日 08:36
>昭和24歳さん

そうですねー。
でも、私も自分の子どもには、あまり聞かせていなかったかなー?
今なら、いろんな所へ連れて行って話して聞かせられるんですけどね(^^)

>「ヒトはどこから来て、どこへ行くのか」
それは、難しい命題ですね。
何となく「前世から来て、来世へ行く」と思っていますが・・・。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年11月27日 20:56
>“とこぶし”さん

すっきりして頂けましたか!よかった!
実は、私も同じ気分です。
ところで、烏子稲荷神社の駐車場にあるタヌキは、何なんでしょう?
あ、また何か喉に引っかかっちゃった!
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年11月27日 21:02
「二中」という原点・・・・・
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2009年11月27日 22:29
連載、楽しませていただきました。
烏子稲荷、古そうな神社ですね。
いつも烏子稲荷という字を見ると、「えーと何と読むのだったけな~~?」と悩んでしまうのですが。

 藤森稲荷から烏子稲荷、そして山城の国『藤の森稲荷・・・遙かな因縁-物語でした。
迷道院探偵は時空を走りましたね。

当方も小林少年になった如く、旅につき合わせていただきました。

パチパチパチパチィ~!

   夢寅 拝
Posted by 夢寅  at 2009年11月27日 23:14
柳家紫文さんから下記のようなご案内が・・・・

「よろしかったら18,19,20日のどこかで伺えますが如何でしょうか?みなさんが集まっていただければライブくらいはやりますよ~。」
<柳家紫文で東京見物!!>

で、「高崎観光振興計画の観光大使」になんて、これも又ありがたいですm(_ _)m

と・・・・
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2009年11月28日 07:26
>昭和24歳さん

「二中」が原点ですか・・・。

紫文さんといいコネクションができましたね。
ね、観光大使にふさわしいでしょ?
早いとこ、パブリックコメント提出しなくちゃ!
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年11月28日 08:14
>夢寅さん

はい、ちょっとした時空旅行でしたね。
少年探偵団の小林少年、今どうしてるんでしょうね。
老年探偵団でも作って、活躍してるんでしょうか。
江戸川乱歩、子どもの頃はドキドキしながら読んでました。
少年雑誌の付録に付いてきた「探偵手帳」、喜んで携帯してましたね。
懐かしいです。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年11月28日 08:19
たいへん興味深く拝見しました。
私も藤森稲荷を追いかけています。
検索にはなかなか引っかかりませんが、よろしかったら覗いてみてください。
全国の藤森稲荷
伏見稲荷の異称を名のる地方の稲荷と社名由来伝承
Posted by 榎本  at 2009年12月03日 18:20
>榎本様

これは、大変な方の目にとまってしまったものです。
稲荷研究の第一人者である榎本先生からコメントを頂き、光栄至極ながらもまた恥ずかしい思いで一杯です。

素人ながら一生懸命取材はしてみたのですが、もしも誤りなどありましたら、ご容赦ください。

ご紹介頂いたHP、拝見いたしました。
全国に、随分沢山の「藤森稲荷」があるんですね。
烏子稲荷神社も取り上げられていて、嬉しかったです。
大変勉強になりました。
ありがとうございました!
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年12月03日 20:15
さっそくありがとうございます。
烏子稲荷神社は、10年以上前に、
この地の民俗調査をされた中島恵子さんから
教えていただき、京都の藤森神社の分社であることや、夫婦の悲話、おモロの伝承を聞いて
興味深く思っていました。
全国の藤森稲荷を探しはじめたのも、
烏子稲荷神社がきっかけでした。
まさかその烏子稲荷神社に、
地元の藤森稲荷が合祀されていたなんて!
驚きました。
近々、ここの情報の概要を、西郊民俗談話会掲載の「全国の藤森稲荷」の表(検索エンジンにかからないのですが)に引用させていただきたく存じます。

稲荷のことは分かりませんが、
正一位の神位と藤森稲荷だけは、調べております。今日は会社のパソコンから失礼しました。
Posted by 榎本  at 2009年12月03日 20:41
>榎本様

歴史ある「西郊民俗談話会」様の記事に、私如き者のブログを引用して頂けるなんて、名誉極まるお話です。
ありがとうございます!

散歩がてら身近な史跡を訪ねては、その歴史の面白さにただ惹かれ、ひとりよがりの記事を書いています。
今回、榎本先生のおかげで、張り合いが増したように思います。
これからもよろしくご指導ください。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年12月03日 21:31
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
追跡!藤森稲荷(最終回)
    コメント(13)