2009年11月25日

追跡!藤森稲荷(其の四)

大橋町藤森稲荷を移したという、上小塙(かみこばな)町烏子(すないご)稲荷神社へ行ってみました。

稲荷神社なのに、なぜか駐車場には「たぬき」が置いてあります。 →

こちらの宮司さん、なかなかお忙しい方でいつもお留守でしたが、やっとお会いすることができました。
宮司の山田道長さんはとても気さくな方で、いろいろと興味深いお話をして頂いた後、藤森稲荷が納められている場所まで案内して下さいました。

石段を上った本殿の右側に、いくつもの祠が置かれている場所があります。
その最前列の中央にあるのが、大橋町から移した藤森稲荷だそうです。

石祠は、大橋町大野区長が用意した新しいものですが、その前に置かれている一対の狐の石像、その両脇の石灯籠大橋町にあったものと思われます。
この場所に置かれている祠のほとんどは御魂抜きされていますが、藤森稲荷は御魂が入ったままだそうです。
ここまで追跡してきた甲斐があったというものですが、ただ、宮司さんのこんな話が少し気になりました。

大橋町から移したのは、藤森稲荷とは聞いてないですねぇ。
 『大橋町の稲荷』というだけで・・・。
 明治の終わりに高崎の各町内にあった神社は、全て高崎神社に合祀されたんです。
 大橋町藤森稲荷もその時に合祀されてるはずですからね。」


確かに、「追跡!藤森稲荷(其の壱)」に書いたように、「高崎の散歩道 第六集」にもそのように書かれてはいました。
ということは、お社を再建した時に、地域の人が昔親しんでいた「藤森稲荷」という名前で呼んでいただけなのでしょうか。

宮司さんにお礼を言って、烏子稲荷神社を後にしたその足で、高崎神社へ行ってみました。
ちょうど神殿に向かうところのご神官に、藤森稲荷のことをお聞きすると、しばらく首を傾げた後、「裏の方にいくつも石碑が建っているので、その中にあるかもしれない。」ということでした。

ありました、ありました!

西南の隅、恵徳寺との塀際に「正一位藤森稲荷大明神」と刻まれた石碑が建っていました。
たまたまなのか、意識してなのか、大きな欅の下に建てられています。
刻まれている碑文によると、これは明治四十年(1907)に高崎神社に合祀されたことを記念する碑だということです。
裏には、「大橋町」と刻まれています。
藤森稲荷の御魂は、やはり高崎神社にいらっしゃるのでしょうか。

ただ、とかくお稲荷さんは元の住まいへ帰りたがるものです。
「稲荷横丁」のお稲荷さんも、倉賀野の「冠稲荷」もそうでした。
もしかしたら藤森稲荷も、そーっと大橋町に戻っていたのではないでしょうか。
そう考えた方が、面白いとは思いませんか?

さてさて、追跡の旅はこれで終わるのですが、まだ気になることが一つ残っています。
それは、「藤森稲荷」という名前です。
「藤森」とはいったい何でしょう?
烏子稲荷神社の宮司さんとお話をしていて、そのヒントが掴めました。

そのお話は、「追跡!藤森稲荷(最終回)」で!

【烏子稲荷神社の藤森稲荷】

【高崎神社の藤森稲荷石碑】





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Posted by 迷道院高崎 at 07:26
Comments(4)藤森稲荷
この記事へのコメント
ふむふむ・・・

ストーリー性ある展開に、ついつい引き込まれます。

消えた稲荷の謎に挑み、高崎の町を走る迷道院探偵の活躍!

次回完結編を期待して待つ!

      夢寅 拝
Posted by 夢寅  at 2009年11月26日 08:13
>夢寅さん

私自身は面白がって聞き込みしてるんですが、される方々にはエライご迷惑なことでしょう。
それでも、嫌がることなくいろんなお話をしてくださるので、ありがたいことです。
感謝の気持ちで、書かせて頂いてます。
読んで頂いている方々にも、感謝です。
ありがとうございます!
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年11月26日 09:07
高崎神社といえば・・・・・
アレはえびす講のお祭りだったんでしょうか。
九蔵町から嘉多町、堰代町にかけての参道には出店がびっしり。
神社の門前には白装束の傷痍軍人、腕のない人、足のない人がアコーディオンで軍歌を。
神社の境内では「のど自慢」、刃物研ぎの「とらさん」ビシッとオールバックに決めて片腕の近藤さんとチャンピオンを争っていました。
とらさんはその趣も「春日八郎」で、もちろん♪お富さん♪、で、近藤さんは伊藤久男の♪イヨマンテの夜♪・・・・・
しばらく前にはときどき自転車に乗った「とらさん」、お見かけしましたがお元気なんでしょうか、まあ、お元気なら御年90歳には(笑)。近藤さんもです。たしか歌謡教室をやっておられたと仄聞。
小学校4年の時、高崎神社の福引きで「座布団5枚」あてました・・・・・
その頃から両親には「オマエには運がある」とか言われつづけてきましたけど、さっぱりです(笑)。
思いで多き「高崎神社」でした・・・・・
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2009年11月26日 21:05
>昭和24歳さん

そうです、えびす講ですね。
今年もそうでしたが、高崎のえびす講はいつも寒さが厳しいって、露店のおじさんが言ってました。

高崎神社の境内は、縁日の他にも随分いろんな催し物をやってました。
相撲巡業、見世物小屋、お化け屋敷・・・。

縁日の舞台では仰る通り、のど自慢大会。その他にもドサ回りの芝居一座、手品師、ジャグラー、漫談、漫才、浪花節にアクロバットまで、いろんな芸人が来てました。

福投げってのもやってましたね。
意外と小さな子どもの方が、地面に落ちたのを拾うには具合が良かったようで、いろんなものを拾いました。
くじ運は、その頃から弱かったですけどね。

懐かしいなー。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年11月26日 21:29
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