イオンモール高崎から北へ1kmほど行った所に、「冷水」(ひやみず)という信号があります。
その信号を西に入って240m、冷水のバス停を過ぎたすぐ先を南に曲がって100mほど行くと、「おぼりの森公園」があります。
その向かい側に道路下へ降りる所があって、遠くに史跡看板が建っているのが見えます。
きれいに刈られている下草を踏んで近くに寄ると、小さな石祠がポツンと置いてあります。
風化していてちょっと読みにくいのですが、石祠の左正面に「小祝神」、右前面に「妙見宮乳母神」と刻まれているようです。
史跡看板には、こう書かれています。
「金色の光を放つ亀」がいたという「小祝池」は、石祠前のこの池?
「花園星神記」によると、帝に献上した亀はその後「小祝池」に戻されたようです。
天平元年(729)、「小祝池」に異変が起こります。
そこから、「冷水の小祝様」は「妙見様の乳母」だということで、石祠に「妙見宮乳母神」と刻まれているらしいです。
話に出てくる、「妙見」「花園」「冷水」という小字はこんな位置関係になります。
ところで、「小祝」をなぜ「おぼり」と読むのかは、こちらをご参照ください。 → ◇史跡看板散歩-80 小祝神社
「おぼりの森公園」隣に祀られている「大日堂」。
鰐口は、紐に括り付けた石で叩くようです。
叩き過ぎたのか、落っことしたのか、鰐口の裏側は半分欠けちゃってます。
堂内の「大日如来」と「お地蔵様」は、まだ新しいもののように見えます。
堂の外に建っているのが、元々の「大日如来」なんでしょうか。
「おぼりの森公園」も、なかなか素敵です。
公園の脇を流れる「染谷川」は、折からの台風の後で、激しく流れ下っていました。
平将門が来て戦になった時、死んだ人の血で真っ赤に染まったので、「染谷川」という名が付いたとか。(群馬町誌資料編4)
こわっ・・・。
その信号を西に入って240m、冷水のバス停を過ぎたすぐ先を南に曲がって100mほど行くと、「おぼりの森公園」があります。
その向かい側に道路下へ降りる所があって、遠くに史跡看板が建っているのが見えます。
きれいに刈られている下草を踏んで近くに寄ると、小さな石祠がポツンと置いてあります。
風化していてちょっと読みにくいのですが、石祠の左正面に「小祝神」、右前面に「妙見宮乳母神」と刻まれているようです。
史跡看板には、こう書かれています。
「金色の光を放つ亀」がいたという「小祝池」は、石祠前のこの池?
「花園星神記」によると、帝に献上した亀はその後「小祝池」に戻されたようです。
「 | 亀は忠明卿に帰し給ふ、忠明上刕(しゅう:州)へ下向して、元の小祝池へ帰し納めける。 |
是より此所を霊水(冷水)村と云ふ。」 |
天平元年(729)、「小祝池」に異変が起こります。
「 | 三月廿二日の夜、小祝の池鳴動いて光明を輝し、上天して北斗七星に入。忠明卿怪しみて其事を帝へ奏しけれバ、帝殿下を召して宣下ありけれバ、此儀を宣して斗うべしと。 |
依て殿下卜部司官家宜に命じて是を占せけれバ、家宜答えて云ふ様ハ、天津星の化して亀と成、又天上して本の七星に帰る所也。 | |
是妙見尊像ハ亀ノ背ニ立せ給ふ、即妙見社堂ヲ建立すべき裏兆なりと。 依て殿下忠明卿の使者に其旨を命じければ、使者上毛に帰着し、忠明卿に其旨を報言す。 |
|
忠明卿聞し召、即妙見堂并(ならび)に七星山息災寺を建立有。」 |
話に出てくる、「妙見」「花園」「冷水」という小字はこんな位置関係になります。
ところで、「小祝」をなぜ「おぼり」と読むのかは、こちらをご参照ください。 → ◇史跡看板散歩-80 小祝神社
「おぼりの森公園」隣に祀られている「大日堂」。
鰐口は、紐に括り付けた石で叩くようです。
叩き過ぎたのか、落っことしたのか、鰐口の裏側は半分欠けちゃってます。
堂内の「大日如来」と「お地蔵様」は、まだ新しいもののように見えます。
堂の外に建っているのが、元々の「大日如来」なんでしょうか。
「おぼりの森公園」も、なかなか素敵です。
公園の脇を流れる「染谷川」は、折からの台風の後で、激しく流れ下っていました。
平将門が来て戦になった時、死んだ人の血で真っ赤に染まったので、「染谷川」という名が付いたとか。(群馬町誌資料編4)
こわっ・・・。
【冷水の小祝様】