道の駅「くらぶち小栗の里」のすこし高崎寄りに、面白い看板が建ってます。
おだてられたんでしょうか、チェーンソーを持った豚が木に登ってるみたいです。
裏側にもいました。
あれ?「小栗上野介忠順公関係古書取り扱い」って書いてありますねぇ。
あ、今日の目的地は「戸春名(とはるな)神社」でした。
豚の看板から山の方へ100mほど行くと、右前方に鳥居らしいものが見えます。
さらに進むと、大きな庚申塔やら念仏供養塔やらが建ってる三辻に出ます。
ただ、その脇に建ってる案内板の矢印の向きが・・・、これ、違ってますよね。
無視して三辻を右へ進むと、さっき見えた鳥居が、畑地の中にポツンと建っています。
あれ?「戸春名神社」の鳥居じゃなかったのか?
不審に思いながら右に行ってみると、あー、やっぱり「戸春名神社」の鳥居でした。
きっとここからが昔の参道で、新しい道が参道を分断しちゃったんでしょう。
史跡看板は、大杉の根元に建っていました。
ここへ来た人の100人中100人が、このアングルで撮るでしょう。
でも、逆アングルもまた素敵です。
大杉に隠れるように、神社の由来看板がありました。
あっさりしたもんですね。
「倉渕村誌」には、由緒のことがこう書かれています。
その調査書を拾い読みしてみましょう。
創建は景行天皇の御代(西暦71~130)、開祖は日本武尊で、初めは「椿名の神社」と称していたということです。
その「椿名の神社」が「戸春名神社」と呼ばれるようになったことについては、
言い伝えているうちに誤ってしまったんだというんですが、さてどうなんでしょう。
「倉渕村誌」本文には、こう記述されています。
史跡看板は、この説をとっているようです。
さて、「戸春名神社」社殿へ行ってみましょう。
なかなか立派な造作です。
社殿は、背後の岩に食い込むように建っています。
これには、面白い話が伝わっています。(戸春名神社由緒)
そうか、わかった。
榛名神社へ通じる「神穴」の入口に戸を建てているのが、「戸春名神社」なんだ。
ということで、分かったような気になってしまいましたが、実は高崎市神戸(ごうど)町にも「戸榛名神社」というのがあるんですよね。
これは行ってみるしかないでしょう。
では、次回。
おだてられたんでしょうか、チェーンソーを持った豚が木に登ってるみたいです。
裏側にもいました。
あれ?「小栗上野介忠順公関係古書取り扱い」って書いてありますねぇ。
あ、今日の目的地は「戸春名(とはるな)神社」でした。
豚の看板から山の方へ100mほど行くと、右前方に鳥居らしいものが見えます。
さらに進むと、大きな庚申塔やら念仏供養塔やらが建ってる三辻に出ます。
ただ、その脇に建ってる案内板の矢印の向きが・・・、これ、違ってますよね。
無視して三辻を右へ進むと、さっき見えた鳥居が、畑地の中にポツンと建っています。
あれ?「戸春名神社」の鳥居じゃなかったのか?
不審に思いながら右に行ってみると、あー、やっぱり「戸春名神社」の鳥居でした。
きっとここからが昔の参道で、新しい道が参道を分断しちゃったんでしょう。
史跡看板は、大杉の根元に建っていました。
ここへ来た人の100人中100人が、このアングルで撮るでしょう。
でも、逆アングルもまた素敵です。
大杉に隠れるように、神社の由来看板がありました。
あっさりしたもんですね。
「倉渕村誌」には、由緒のことがこう書かれています。
「 | 戸春名神社の由緒を知る資料に明治三十五年の調査書がある。 |
これは県が村社を指定するに当り、事前にその神社の由緒を調べたもので、その報告書の写しが明治三十五年の倉田村役場の書類綴の中にあった。 しかしこれは保管がよくなかったため大部分がボロボロで辛うじて判読できる。 |
|
この調査書は、字麹屋の戸塚長吉という人が父祖から伝え聞き暗記していたことを別の人が文章になおしたもの・・・」 |
その調査書を拾い読みしてみましょう。
「 | 当社ノ創立ハ景行天皇ノ御宇 東国ノ凶族鎮定ノ為メ日本武尊吾妻ヘ御出征ノ際 国宝☐☐☐神明ヲ祭ラントテ其地況視察ナシテ 此地☐☐覧アリテ是崛強ノ地ナリト 此ニ天祖ノ三神ヲ奉斎シテ 椿名ノ神社ト称シ玉ヒ 此地ヲ椿名ノ荘菫レノ里宮輪ト為シ・・・」 |
その「椿名の神社」が「戸春名神社」と呼ばれるようになったことについては、
「 | 中古戸春名神社トセシハ(外ノ誤リ 外ハ戸ニ通ズルヲ以テカ 戸ハソトハルナノ意カ)星月ヲ逐フテ言伝相誤リシシナランカ」 |
「倉渕村誌」本文には、こう記述されています。
「 | この神社は江戸時代のはじめにはもう確乎たる地位を築いていたものと見え、寛永八年(1631)の水帳に「外榛名前」の田、「宮わき」の畑というように地名がわりに使われている。 |
戸春名というその名前からも、また明治二年戸長が差し出した「社寺堂廟書上帳」に満行大神社と記されていることからしても榛名神社と深い関係があることは明らかである。 | |
この神社も、はじめは三ノ倉地方住民の氏神としてまつられていたが、中世(室町時代ころか?)になって榛名神社の神徳にあやかろうと、氏神に合せて榛名神社の祭神を分霊勧請したものであろう。 | |
このときこれまで無名の氏神は外榛名(戸春名)神社となったと考えられる。」 |
さて、「戸春名神社」社殿へ行ってみましょう。
なかなか立派な造作です。
社殿は、背後の岩に食い込むように建っています。
これには、面白い話が伝わっています。(戸春名神社由緒)
「 | 本社ノ裏ヲ子丑ノ方ニ神穴ト称スルモノアリ 其奥行ノ深キコト幾何ナルヲ知ル能ハズ |
古来ヨリ口碑ニ此神穴ハ遠ク榛名神社本殿ノ裏ニ通ズト」 |
そうか、わかった。
榛名神社へ通じる「神穴」の入口に戸を建てているのが、「戸春名神社」なんだ。
ということで、分かったような気になってしまいましたが、実は高崎市神戸(ごうど)町にも「戸榛名神社」というのがあるんですよね。
これは行ってみるしかないでしょう。
では、次回。
【戸春名神社】