2017年03月19日

史跡看板散歩-36 さんや様

三つ辻の分去れに建つ、中尾町「さんや様」です。




もともとは「観音堂」であったが、いつの頃か「二十三夜堂」になったということですね。

「二十三夜」とは、「新月」から数えて23日目の夜ということです。


昔の人は、月の満ち欠けに何か神秘的なものを感じていたのかも知れません。
明治五年(1872)まで用いられていた「旧暦」「太陰太陽暦」で、その「太陰」はお月様、「太陽」はもちろんお日様のことです。
お日様の出入りによって「日数」を数え、お月様の満ち欠けによって「月数」を数えました。
昔の人々は、農作業の適期や、事を行う日の吉凶を「暦」によって読み取っていたようで、「暦」という言葉は「日読み(かよみ)」からきているという説もあるくらいです。

月の満ち欠けが一巡する期間が、「ひと月」です。
その一巡は約29.5日なので、旧暦では29日の「小の月」と、30日の「大の月」を交互に組み合わせ、12か月で1年としました。
しかし、29.5日×12か月は354日なので、地球が太陽を一周する365日に11日足らず、3年で約ひと月分の差が出てしまいます。
そこで19年間に7回、1年を13か月とする「閏年」を設けて、その差を調整していた訳です。

1日目のお月様(新月)のことを、「朔(さく)」と言います。
「朔日」あるいは「一日」と書いて「ついたち」と読みますが、これは「月起ち(つきたち)」からきているそうです。
3日目の月が「三日月」、15日目の月夜が「十五夜」で満月になり、これを「望(ぼう)」と言います。
なので、満月のことを「望月(もちづき)」とも言います。

その後、お月様は次第に欠けていき、29日目には真っ暗になりますが、それを「晦(かい)」と言います。
「晦」という字は「つごもり」とも読みますが、これは「月籠り(つきごもり)」からきているそうです。
また、月末のことを「晦日」と書いて「みそか」と読みますが、これは「三十日(みそか)」、30日目ということです。
そして一年の最後の日は「大きな晦日」で、「大晦日(おおみそか)」という訳です。

で、「二十三夜」「23日目のお月様が出る夜」ということになりますが、この夜に人々がお堂に集まって一晩寝ずにお月様にお祈りするという風習が昔からあったようです。
その起源については、「遠野物語」で有名なあの民俗学者・柳田國男も、はっきりとは分からないと言っています。

しかし、月の満ち欠けによって作業の適期を計っていた人々にとって、月が信仰の対象になったことは自然なことでしょう。
「二十三夜」にかぎらず、節目節目の月の出を待つ「月待ち」というのが行われていたそうです。

その中で「二十三夜」の月は、満月を過ぎてちょうど半分になるという節目の月です。

「二十三夜」を過ぎると、月は日々瘦せ細り、ついには姿を隠してしまいます。

また、二十三日という日は、智慧の光を以って一切を照らし衆生が地獄・餓鬼界へ落ちないように救うという「勢至菩薩」(せいしぼさつ)の縁日でもあります。

信心深い昔の人々は、いろいろな思いを以て「二十三夜」の月に祈りを捧げたのでしょう。
この夜の月は深夜を過ぎてから姿を現わし、明け方になって南中します。
人々は寝ずに月の出を待ち、明け方まで祈ることになります。
一人では睡魔に打ち勝つことができないので、お堂に集まって、吞んだり食ったりおしゃべりしたりで夜を明かすのでしょう。

奇しくも、今日は旧暦の2月22日なので今夜は「二十二夜様」(にや様)、明日の夜が「二十三夜様」(さんや様)になります。

「日本昔ばなし」に、「二十三夜さま」というのがありました。
お時間のある方は、ご覧ください。


【さんや様】






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この記事へのコメント
子供の頃、母が当番の家で行なわれる二夜様によく出かけていました。地域に妊娠した女性がいると掛け軸を床の間にかけて、その女性の安産を皆で祈ったようです。また、女性たちの情報交換の場にもなっていたようです。
Posted by いちじん  at 2017年03月25日 19:53
>いちじんさん

ほー、実体験されてましたか、それはすごい!

二十二夜が女性、二十三夜が男性の講だったらしいですね。
よく如意輪観音を彫った塔が建っていて、「女人講」と刻まれてますが、これが「二十二夜塔」なんでしょうね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2017年03月25日 20:41
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