2008年12月25日

人情ラーメン物語

この風景、50年前とそう変わっていない。(写真クリックで拡大)
嘉多町通りを東から西に向かって見ている。
真っ直ぐ行った突当りが「高崎神社」だ。

あの頃、ゑびす講というと、この通りの左側(覚法寺側)には、ズラーっと露店が並んだ。

露店の灯りは今のような電灯ではなく、カーバイトのガスを燃やすランタンだった。
シューっという音と、独特の臭いと熱さは、今でも思い出せる。
夜が明けると、カーバイトの使い残しが道に捨ててあったりする。
拾って水たまりに放り込むと、ブクブクと白い泡を出して、小さくなっていく。
触ると、熱かったっけなぁ。

写真に写っているおそば屋さん「中よし」さんには、貧乏のどん底だった時代に助けてもらったことがある。
私の家は一応店を構えていたが、客足はさっぱりだった。
何日も客が来ないので、米びつも財布も空っぽだ。

その日も客は来ず、夜になって当時5歳の私は、「母ちゃん、おなかが空いたよ~!」と泣きべそをかく。
母親は見るに忍びず、「中よし」さんへ行って、ラーメンを3つ届けてもらう。
空いた丼を取りに来るまでに、客が一人でも来れば金が払えると考えてのことだった。

ところが、客が来ない内に丼を取りに来てしまった。
母は「すみません。まだ空いてなくって。」と嘘をつく。
そんな訳はない。もう、2時間も経っているのだ。
でも「中よし」さんはそれを承知で、「はい、わかりました。」と言って帰ってくれた。
確か、もう一度来た時も言い訳をして引き取ってもらったと思う。

夜が明けた。
もう、いくらなんでも丼が空いてないとは言えない。
だが、神様というのはいるもので、やっと一人の客が来て、3杯のラーメン代(1杯30円位?)を払うことができた。
母親は、この話をするたびに、「中よし」さんの人情の厚さに感謝して涙を流していた。
その母も他界して、もう20年。
一度、その時のお礼を言いに行かなくてはバチがあたるな。

「中よし」さんの隣にある、「綿貫病院」の院長先生にも助けられた。
母が真夜中にぎっくり腰になり、七転八倒でもがき苦しんだことがある。
「綿貫病院」に駆け込んで往診を頼むと、院長先生が一人で来てくれた。
頭の毛は寝癖そのまま、眠たそうな眼をしていたので、子どもの目にも先生が就寝中だったことがすぐわかった。
そういうお医者さんがいた時代だった。

貧しかったけど、助けられて今がある。
感謝、感謝。


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Posted by 迷道院高崎 at 10:24
Comments(6)思い出
この記事へのコメント
初めまして。こんなに楽しい高崎に
まつわるブログがあるなんて全く知りません
でした。
高崎在住たった4年のJACKと申します。
家庭の事情で越して来まして4年経って
高崎は良い街だなと実感しています。

ラーメンと言うとスカイビルにあった
「十五夜」と言うお店をご存じでは無いでしょうか?実は高崎は家内の実家があって訳あって
住んでいます。そのお店はは昭和40年代
にあったと家内から聞いていて、当時としては
画期的な子供以外、男子禁制だったそうです。
そこのラーメンと言うか支那そば絶品
だったとの事。ご存知でしょうか?
Posted by JACK  at 2014年11月02日 22:50
>JACKさん

コメントありがとうございました!
お目に留めていただき、嬉しいです。
高崎は良い街だと言って頂き、それも嬉しいです。

スカイビルにあった「十五夜」さんですかー。
私は存じ上げないのですが、もしかすると読者の皆様の中には「知ってる!」という方がいるかも知れませんね。
それと、スカイビルのすぐそばに長年いる知人にも聞いてみましょう。

これからも、よろしくお付き合いのほどお願い申し上げます。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2014年11月03日 20:31
こんばんは。高崎は家内の実家があって
一緒に住む前は埼玉県に住んでいました。
関越を飛ばしても1時間くらいでしたので
事ある事に高崎には来ていましたが、
実家だけに行くだけでこれと言った散策は
した事が無かったですね。強いて挙げれば
観音山くらいでした。

それがまさか高崎に住む事になるとは夢にも
思わず、だんだん職場から遠くなっています
(笑)おそらく70名くらいいる職場で
一番遠いと思います。まぁ、それも慣れて
しまい、人生経験だと割り切っています。

さて、高崎と言えばやはり音楽ですね。
音楽と言えば群響、群響と言えば、
「ここに泉あり」ですね。

先日、やっとDVDを買って一気に見ました。
公開が昭和30年ですから60年も前の
高崎の風景がところどころに見る事が出来て
映画の内容も興味深いですが、街の風景が
好きな私にはそちらも大いに堪能出来ました。

映画の後半で合同演奏会を開く会場ですが、
あれは高崎市内のどこなのでしょうか?
ロケ地が詳しく掲載されているサイトなど
ご存知ですか?
長文失礼いたしました。
Posted by JACK  at 2014年11月03日 22:06
>JACKさん

どの土地にも歴史があって、それを知ると面白さを感じられるようになるもんですよね。
私もそうでした。

「ここに泉あり」のDVDをお求めになりましたか。
それは、それは。
さて、合同演奏会シーンの場所というと、いま直ぐには分かりかねます。
ロケ地の詳しい場所もお知りになりたいんですね。

心に留めておき、調べてみます。
即答できず、申し訳ありません。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2014年11月04日 20:07
こんばんは~
そうですね。高崎の町名も面白いと言うか
歴史を重ねているなと思います。
お城があったので、お城に関連のある
職業の町名が多いですね。

町名変更で安易に「~台」とか「~野」に
変更する自治体もありますが、ずっと
残して欲しいと思います。

高崎だと鞘町とか白銀町、新紺屋町など
良い町名ですね。私は動物が町名に
入っている町内に住んでいます(笑)

「ここに泉あり」の件ですが、私も
自分なりに調べてみるつもりです。
図書館に行けばある程度は分かるでしょうか?

楽団員がチンドン屋で日銭を稼ぐシーンが
ありますが、当時の高崎商工会議所が
出てきます。その隣には埼玉銀行が映って
いますね。これはおそらく九蔵町ではと
思います。

調べれば調べるほど面白いですね。
Posted by JACK  at 2014年11月04日 23:35
>JACKさん

仰る通り、高崎の町は井伊直政時代からの町割りと町名がそのまま残っている、全国でも珍しい町です。
もっと自慢して、観光資源として活用してもいいと思いますね。

高崎の図書館は、私もよく利用します。
私のブログも、図書館で読んだ郷土史の本がきっかけです。
今年は下仁田戦争150周年ということで、ちょうどいま下仁田戦争に関する資料展示をしています。
ぜひお出かけください。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2014年11月05日 19:55
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